第22話
「クラゲねぇ……」
目の前の水槽にてフワフワと漂うクラゲを見て、思わずそう呟く。
「文句あんならどっか行ってよ」
「文句なんて、滅相もないっす」
その瞬間に噛みついてくる暴れ犬森崎。反射的に敬語レベル1で謝ってしまったね。ちなみに、敬語レベル1とはなめてる先輩に使うレベルの敬語のことだ。
「いや、でも確かにいいな。クラゲも。ほらこれとか、なんかブニブニ活発に動いてて」
ブルージェリーフィッシュ、と書いてある色とりどりの活発なクラゲを見て、そう感想を漏らす。
「そいつは嫌。なんか落ち着きがないし品がない。クラゲは漂っていればいい」
そしてそんなお言葉が返ってくる。きみは本当にクラゲが好きなの? という疑問を何とか口にしなかった俺をどうか誰か褒めてくれ。
「ほら、これとか。泳いでると漂ってるの中間くらいの動きの方が可愛いと思う」
そんな台詞を珍しく微笑みながら口にした森崎の目線の先には、『ミズクラゲ』というTHEクラゲという見た目のクラゲ。
ふわんふわんと傘を動かして、確かに泳いでるのか漂ってるのかわからん軌道を示すクラゲがいた。
「あ、あと、こういう触手が長いヤツも好き」
次いで彼女が指差すのは、『アカクラゲ』というクラゲ。これもまあ、THEクラゲという見た目だった。
いや、クラゲの見た目なんてどうだっていいんだ。それよりだ、それよりも、聞きましたか、みなさん。
うら若き女の子の口から『触手』という単語を聞くことができましたよ。
ぼかぁその単語をエロ漫画以外で初めて聞いたね。
「でも、こういうヤツって総じて毒が強いイメージ。見る分にはすごい綺麗なんだけど、海で働く人には厄介なんだろうなって……なに。なに気持ち悪い笑顔を浮かべてんの」
「ん、はっ。え? 気持ち悪くなんてありませんよ?」
「……ふーん。あっそ。まあ、いいけど。どうでも」
ちっ。勘の鋭いヤツめ。
マスター童貞が類い稀な体験に浸っていたんだ。
「……なんか、森崎さんと純くん、仲良いね?」
そこに挟まれる、琴音の台詞。
ちなみにこの台詞、頬を膨らして言えば「もうっ、私妬けちゃうなあ」っていう態度を示すことができる。そんな態度とられれば、女性経験に乏しい男の子は「はは~ん。ワンチャンあるで?」となる。全く以て童貞殺しの台詞である。
今回の琴音はどうなのかって? 察しろ。
「いや、別に」
「仲良くないだろ。こんなに刺々しい態度とられてるんだぞ」
まあつまりは単純に感想を漏らした様子の琴音の言葉に、脊髄反射ばりの速度で反論する森崎と俺。具体的に言えば、森崎の方がちょっとはやかったせいで、俺が言葉をかぶせるようになってしまった。
「……」
「いてっ」
そして蹴られる俺。蹴ったのは森崎。
「何だよ?」
「私も否定しようとしてたけど、あんたに否定されるとムカつく。だから蹴った」
とのこと。
実に理不尽である。
「ほら、仲良しじゃん」
うるさいぞ。
◇ ◇ ◇
森崎も合流し、しかし別に団子になって動くこともなく、各々が2,3人の小グループとなって動くことしばらく。
ちなみにだが、俺は森崎とふらふら回っていた。
え? どんな会話をするんだって?
「……」
「……」
ご覧のとおりですわ。
「あ。せんぱーい。どこ行ってたんですか? 探しましたよー!」
「嘘つけ。お前いま完全にペンギン見てたろ。それともペンギンの水槽内に俺がいると思ったのか」
「…………思いました!」
「小日向が言うと本当に思ってそうだから怖いな!」
ペンギンの水槽前にて、小日向と合流。
「森崎先輩と回るつもりだったんですけど、気付いたら一人ぼっちになってました」
「私も咲良がいるもんだと思ってたら、気付いたら一人になってた」
「わーい! 似た者同士ですね!」
「……いえーい」
ハイタッチを交わす森崎と小日向。
出来れば森崎の「いえーい」にはもう少し感情と笑顔と溢れんばかりの愛情を込めてほしかったところ。虚無しかこもっていなかったね。なんなら「小日向と似た者は嫌だなあ」という嫌悪感すら感じ取れたよ。
それでもそれを直接口には出さないんだよなあ。
俺が相手だったら絶対「は? あんたと似た者同士は勘弁してよ。死ね」って蔑みの目線と共に言ってくるくせに! わかってるんだから!
……もしかして俺って嫌われてるんかな。
「……直接訊いてみたらいいんじゃないですか?」
「うおっ」
そんなこと考えてたら、突然すぐ近くからの小日向のささやき。
油断してたから、めちゃめちゃびっくりした。心臓が『ドゥンッ!』ってなった。
「き、訊くって……誰に、何を?」
鳴り止まぬ鼓動を少しでも抑えるべく胸に手を当てながら、わけわからん小日向のセリフについて問い質す。
「いや、森崎先輩に『俺のこと嫌いなの?』って――」
「わっ、わっ。ばっ! おまっ」
その瞬間、声を潜めることもなくそんなことを言う小日向の口を、慌てて手を被せてふさぐ。
あ、あらやだ。お肌つるつる。ほっぺたぷにぷに。
……じゃ、ない。
小日向はさっきまで森崎と話していたはず。ということは、森崎はまだ近くに居るのでは。
「んふー。んふんふ」
相変わらず何やら喋ろうとする小日向の吐息がこしょばゆい。
だが、そんなことは気にしていられない。恐る恐る、森崎が居るであろう場所に視線を向ける。
が、すぐにほっとする。
彼女はどうやらアザラシが気になったようで、いつの間にかその水槽の前まで移動していたため、もう近くにはいなかった。
「流石にわたしも、それくらいは空気読みますよーだ」
俺の手から逃れた小日向が、頬を膨らして抗議する。
ごもっとも。
飛び切りのバカだと思っていて申し訳ない。
「……そんなん、訊けないだろ。『なあ森崎、お前、俺のこと嫌いなん?』ってか」
「まあそうですね。わたしだったら訊けないです」
宇宙人のお前にでも訊けないんだったら地球人には無理だ。
いや、つーか。そもそもだ。
「俺、そんなにわかりやすく凹んでた?」
そこだ。
特に森崎の件に関し、小日向に相談を持ちかけたことなどない。小日向どころか、誰に対しても特にしたことはないか。
とにかく、そんな俺の心境をどんな手段で察して、この助言をしてきたのだろうかと、俺は気になるところだ。
「え、いや。先輩って結構わかりやすいですよ。見てればなんとなくわかります」
なんとなく、の次元は超えるほどドンピシャな助言だったけどな。
いや、しかし、そうか……
「ええー。俺、そんなにわかりやすいか……?」
「いえ、人並み以上にはわかりにくいと思います!」
「は? いや、どゆこと?」
小日向の言葉の意味が分からん。
相変わらず独特な会話のリズムを作り出しやがる。「しまった! これじゃ小日向のペースだ!」なんてマンガにありがちなセリフを吐けそうである。
「先輩はちょっとわかりにくいですけど、わたしはわかります」
「いや、だから……なんで?」
「うーん。愛ですかね?」
小日向の答えはそんなふわっとしたものだった。
何が愛だ。アホたれめ。
四捨五入したら彼氏いたことないヤツが愛について語るとは、笑止千万、片腹痛いわ! まあ、俺は正真正銘彼女いない歴=年齢なわけだが……。
「お兄ちゃーん。そろそろ、ラッコの餌やりの時間じゃない?」
俺が小日向に対して愛とはなんたるかを語り出そうとしたその瞬間、うちの妹様が俺を呼びに来る。
時間を確認すると、なるほど確かに、今からラッコの水槽に戻らないと餌やりを見逃してしまいそうな時間になっていた。
「わっ、ほんとだ。ちぃ気にしてたもんな。行こうぜ。小日向はどうする?」
「えーっと……森崎先輩がカワウソに夢中になっているので、わたしはその傍に居ます!」
「おっけー」
そう言う小日向につられて見れば、確かに森崎はアザラシからカワウソへとシフトしたようで、夢中になって忙しなく動き回る小動物を目で追っている。
その横までてててーと可愛らしく駆け寄って行った小日向を背に、俺と妹はラッコの餌やりを見るべく、順路を逆走した。その途中で琴音も待っていたので、三人で向かう。
◇ ◇ ◇
ラッコの餌やりをしっかりと見てきた。
結論から言うと、なんか想像と違った。
「ああーっ。なんかなぁ。違うんだよー!」
隣を歩く我が妹様もこのご様子だ。
「確かに、なんか違ったね」
琴音も苦笑交じりに同意している。
それもそのはずだ。
ラッコと言えば、二枚貝を石かなんかでキチガイのように叩き割るあの食事風景が有名だろう。わざわざ『フィーディング』などと銘打って客を呼ぶのだから、まっことピュアな心を持つ俺らも、てっきりその光景が生で見れるのかとワクワクしていた。
そんな俺らの目の前。アクリル板の向こう側に現れた飼育員のお姉さんが、手に持ったバケツから取り出したるは、剥き身の貝? 切り身のイカ? なんかそんな感じの白いヌルヌルしてそうなヤツだった。
その時点で、俺らの頭には「あっ違う」というセリフが湧き出ていたが、一抹の希望を胸に、最後まで黙って見つめたものだ。
お姉さんがバケツから取り出した謎の白いヤツを見たラッコが、はよ寄越さんかいとばかりにお姉さんの元へと行く。お姉さん、ラッコに餌を手渡す。それを器用に短い手で受け取ったラッコは、そのままむしゃむしゃと食べ始めた。
うん、可愛い。
「けど違うっ!」
俺の心からのツッコミだった。
「おー、おかえり。どうだった、ラッコは?」
徘徊を再開し、ジャングルコーナーにて合流した恭介からの問いだった。
「なんか違った」
「貝をたたき割るタイプのラッコじゃなかった」
「表情からなんとなく、そんなこったろうなと思った」
少し落ち込む俺らに、拓海は優し気な温い慰めをくれる。
恭介はぷーくすくすと笑ってる。
「あうっ」
肩を殴っておいた。
「あ、トカゲとかヘビもいるんだねー! お姉ちゃん、ヘビとかって平気?」
「うーん、ガラス越しだから大丈夫……って感じかなぁ」
「実は私もー。ヘビ飼ってる子がクラスにいるんだけどね、エサって冷凍したネズミなんだってさ」
「ってことは、ネズミを冷凍庫にいれておくってこと? 嫌じゃない?」
「絶対いや!」
お嬢さん方はもう気にするのを止めたようで、新しいエリアを見ながら雑談と洒落込んでいる。
しかし、冷凍庫にネズミ……。そんなに嫌か?
肉は肉じゃんね。魚とか豚足いれとくみたいなもんじゃないの。
別にヘビ飼いたいとかは思ってないから、どうでもいいけど。
あーでも、毛深いやつは確かにちょっと嫌かも?
「こっちのトカゲとかは可愛いのになあ」
正面のガラスにべたあっとくっ付いているトカゲの腹を見つめながら、妹様はぼやく。
「でもトカゲって、餌はコオロギとかだろ? 自分で飼育するなり、買わなきゃいけないんじゃない?」
「ええ! 絶対無理! 虫はダメ!」
「あ、ほんとだ。食い残しみたいな
「お兄ちゃん! ほんとやめて!」
虫のこととなった瞬間、うちの妹があわあわと狼狽えだした。俺も別に……というか普通に虫は無理だが、狼狽える妹をいじめるのはなかなかいいものだ。きっかけを作ってくれた拓海には感謝だな!
感謝の気持ちを込めて拓海にサムズアップを送ってみたが、普通に不可解という顔をされた。そりゃそうか。
「お姉ちゃーん。お兄ちゃんがいじめる」
「えーもう、駄目じゃん」
いじめたの俺だけじゃないじゃんね。
「はいはい、悪かったよ」
まあ、謝るけど。
「気持ちがこもってなーい」
そりゃ、あんまりこめてないもんね。
◇ ◇ ◇
「あ、遅かったですねー。お土産、買います?」
森崎と小日向は二人でずんずんと進み、いつの間にやら最後のお土産コーナーにいた。
「いや、買わん。というか、イルカショー行くぞ」
「ああ、そういえば見てなかったですね」
その通り。そういえば見てなかった。ついさっき、琴音が「イルカのショー見てないね。どうする?」って思い出したのだ。もしくは思い出したかのように訊いてきたのだ。
彼女がこういう言い方をするときは、私はけっこう見に行きたいけどみんなが別にいいやって感じなら我慢できるよ。どう? ってことだ。素直に行きたいって言えばいいのにね。まあ、難しいのは俺にもよーくわかるけど。
ちなみにそんな琴音の心境をいち早く勘付いたのはうちの妹様だ。「私行きたい! ね、いいでしょ?」と俺たちに素早く振ってきた。なんだこの中学生。出来る。そんな言い方されたら「おう、行こうぜ!」としか言えないよね。いや、普通に行きたいけどさ。入館料は払ってるんだ。隅の隅まで楽しみたいところ。
というわけで、イルカショーに一行でずらずらと向かう。まだあと30分ほどあるが、座って駄弁っていればすぐだろう。
「ここのイルカショーはね」
「んお?」
その道すがら、いつの間に隣を歩いていた森崎が話しかけてきた。
「ここのイルカショー、ちょっと凄いよ」
「ちょっと凄いか」
「うん。ちょっと凄い」
ちょっと凄いって、つまりどれくらい凄いってことだってばよ?
なーんて思ったけど、どこかウキウキしてる森崎の横顔に、余計な茶々をいれるのは止めておいた。
「んじゃ、ちょっと期待だな」
だから、そんなありきたりな答えを返した。
「うん。ちょっと期待しといて」
森崎も、そんなありきたりな返事をした。
こいつがこんだけ言うんだ。俺はイルカショーがちょっと楽しみになってきていた。
気まぐれな世界は淡々と くーのすけ @kit1210
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。気まぐれな世界は淡々との最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます