第21話

「恭介も今からうちに来るってさ」

「うー?」


 たった今携帯に届いた恭介からの連絡を、そのまま居間に居る妹と琴音に伝える。

 時刻は午前10時。集合までまだあと4時間もある。集合場所となっている駅まで、余裕をもって家から1時間ほどだと考えれば、家を出るまであと3時間もある、といえる。


「……なあ、これ、何の時間?」


 その事を考えた俺は、思わず、そんな問いを二人に投げ掛けた。

 しかし、俺のもとに届いた返事は、


「うー?」


 という、さっきの恭介についての報告をしたときと、全く同じ。居間の床に座布団を三連結させた即席の布団に寝転がる妹からの、気の抜けた声のみであった。


「……」


 ソファーに目を向ける。

 流石に寝転がってはいないものの、全く力のこもってない身体をだらっとソファーに投げ出す琴音が、そこに居る。

 こちらも話を聞いているのかいないのか、とにかく完全に省エネモードの表情で、ぼけっと虚空を見つめている。


 はあ、と溜め息がでる。

 親が仕事のため家を出ていってから、こんな感じである。

 最初の方こそ、


「純くんと千歳ちゃんのお家って、なんか落ち着くんだよね」


 と朗らかに話していた琴音も、いつの間にか、落ち着きすぎて魂が抜けたようになってしまった。

 それにつられたのか、妹もごろりと床でくつろいでいる。寝返りをうつたびに、健康的な生足が眩しい。男の子も居るんだから、もう少し防御に気を回せと思うお兄ちゃん心と、げへへもっとさらけ出せやという男心の間で揺れ動く、俺の気持ち。思春期の男の子とは、かくも複雑なものなのである。


 俺だけ立っていてもしょうがないので、床に座布団を一つ置き、その上に腰かける。申し訳程度のふかっとした感触。


 ほどなくして、ピンポーンというインターホンの音。時間を見れば、恭介の家からうちまで歩けばこのくらいだろうな、という程度の時間は経っていた。


「はいはーい。恭介だろうな」


 どうせ聞こえるわけもないのに、何故か玄関に向かって返事をしてしまう。電話先に向かってペコペコ頭を下げる現象に似ている、と思う。

 ぱたぱたとわざとらしく足音を響かせて『向かってますよ感』を出しながら玄関に向かい、「はーい」と改めて返事をしながら玄関を開けると、


「よっ」


 やはり、シュッと素早く右手をあげながら、そんな挨拶をくれる恭介がそこに居た。


「おー。まあ入れよ」


 玄関の扉を大きく開き、招き入れる。


「おじゃましまー」


 どうせなら「す」まで言えよ、というツッコミをしたくなるような挨拶と共に、我が家に足を踏み入れる恭介。

 そのまま二人で居間に向かって歩く。今、あの扉の向こうにはまるでスライムのようにだらけきった二人の女の子が居る。おまけに、そのうち一人は恭介が『女神』と崇める国分寺琴音である。

 いったい恭介は彼女らを見てどんな反応をするだろうか。幻滅するだろうか。それとも「それもまた良い!」と騒ぐだろうか。

 そんな気持ちでワクワクしながら、居間に繋がる扉を開くと、


「恭介さん、いらっしゃい」

「須田くん、おはよう。良い天気で良かったね」

「どういうこっちゃねん」


 二人仲良くソファーにきちっと座り、さっきまでのだらしない表情はどこへやら、笑顔を浮かべて恭介を迎えた。ご丁寧に、床に出した座布団もきれいさっぱり片付けられている。早業である。

 そんな彼女らを見て、思わずエセ関西弁でツッコミをいれてしまった俺を、いったい誰が責められようか。


「うおっ。くそっ……後光がマブくて、直視できねぇ……っ!」


 ちなみに、恭介の反応はこの通り。

 もしかして二人がダレたままでも同じ反応だったんじゃないかな、とそれを見て思った。


   ◇ ◇ ◇


 オセロのトーナメント(俺はビリだった)や、ジェンガ大会(俺が倒した)をやりつつ、妹が作った焼きそばを食べたりしていたら、いつの間にか時刻は13時すこし前。

 そろそろ出ようか、と誰かが言うでもなく、俺らは各自ぞろぞろと荷物をまとめ、我が家を後にした。

 そして、他愛もない会話をしつつ駅に向かうと、


「あ」

「お?」


 駅のホームにて、森崎と遭遇した。なんたる偶然。いや、集合時間も集合場所も使う駅も一緒なら、そこまで偶然でもないかもしれない。


「よー、森崎。久しぶり」


 恭介が真っ先に特攻を仕掛ける。


「……ああ、須田か」


 目を細めて恭介をじっと見つめたあとに、ポツリの漏れる森崎の声。どうやら、真面目に誰だかよくわからなかったらしい。

 恭介、フリーズ。

 そのときに丁度流れた「間もなく、一番線に電車が参ります~」というアナウンスが、彼の惨めさをより一層引き立てていた。


「えと、久しぶり? うちの高校に進学したことは知ってたんだけど、あんまり見かけなかったから。森崎さん、元気そうで……」

「ああ、うん。国分寺さんも元気そうだね」


 ええと、何これ。

 同じ中学校出身で、俺は覚えてなかったけど、恭介は同じクラスになったこと、それどころか修学旅行で同じ行動班だったこともある。琴音は、話しぶりからして顔見知り程度には知り合いなのだろう。

 だが弾まない会話。そして流れる気まずいタイム。


「……静かだね」


 電車に揺られつつ、隣の妹から耳打ちにてそんな感想をいただいた。

 うん。静かだね。

 恭介が再起動して通常運転してくれるのを、生まれてはじめて願った俺だった。


   ◇ ◇ ◇


「おお。なーんだ。お前ら全員お揃いかよ」

「おっそーいですよ!」


 集合場所である駅に着くと、すでに集合していたらしい拓海と小日向が並んで立っていた。


 お前ら知り合いじゃなかったのに、よく巡り会えたね? と後で訊いたところ、拓海は俺になついている後輩ということで一方的に小日向を知っており、キョロキョロと忙しなく周囲を探る小日向に話しかけたらしい。

 「急に男に話しかけられて、ナンパかと思いましたよ」とは、小日向の談である。

 ちなみにだが、もし俺ならば、顔を知っていても話したことがないヤツ、下手すると話したことがあるヤツであっても、声をかける勇気など出ない。これが彼女持ちイケメンと俺との差である。悲しい。負けた。完膚無きまでに。


「じゃあ、行こうか」


 さすがクラス委員の琴音がそう音頭を取ることで、我ら一行は水族館に向けて歩き出す――


「どっち方向?」

「えっ。あ、待って待って、今調べるから……」


 となることはなく、グダグダな計画性が浮き彫りになっただけであった。


「はあ、こっち。私知ってるから、ついてきて」

「あ、わわ。森崎さんありがとう」


 そんな俺らを見てられないとばかりに露骨なため息一つ。先行して歩き出す森崎。

 それを慌ててお礼を言いながらも追いかける琴音に、ぞろぞろと追従するその他大勢。

 うん。大所帯過ぎないかな。なんて感想を抱きながら、俺は最後尾。いつもこんな感じ、俺は出遅れる。


「ちぃちゃんは相変わらず可愛いなあっ! 来年はわたしの後輩? ん? ん?」


 そんなエロ親父のような迫り方をする小日向の声がここまで聞こえてくる。「え、いや、同じ高校と決まったワケじゃ……」というしどろもどろの妹の声。やめてやれ、困ってるぞ。

 なんて思っても会話に混ざれるわけもなく。楽しげに会話する面々を後ろから眺めて、混ざれる機会をうかがって、結局混ざれないで、進んでいく。

 いつもこんな感じ。何だろうね。おいてけぼりの気分。


 やがて、先行する森崎と琴音についていった結果、絶妙な混み具合の水族館が見えてくる。

 この混み具合がまさしく絶妙に微妙で、すいているわけではなく、それどころかどちらかと言えば混んでいるのだが、休日である土曜、それにリニューアルオープンしたばかりという情報が加われば、うん、大丈夫? と変な心配が生まれてしまう程度の混み具合である。


「思ったよりもすいてる」


 いつの間にか隣に居た妹の感想。まさしくその通りだね。


「あ、私、一気に全員分買ってきちゃうね。えーっと、半額だから、900円」


 女神からの神々しい一言。からの、困った金額。900円をぴったりポンと出せるやつなんてそうそう居ないだろうに。当然、みんな「ありがとー」なんて言いながら、財布から千円札を取り出す。そして途端に申し訳ない顔。

 ちなみに俺は妹と二人分、五千円札を取り出した。申し訳なさもひとしおである。


 別に百円程度なんて……とは、高校生である我らが思えるわけもなく、誰とも無しに、「これ、個別で買ったほうが早いんじゃね?」という雰囲気が胸中に満ちたころ、


「あ、俺、百円玉9枚あったわ」


 ありがたいけど、それどうなの? という感想を抱けることを言いながら、パンっパンに膨らんだ財布をヂャリヂャリと漁った恭介が言った。これで全員にお釣りを渡すことができる。

 何故そんなに小銭を持ってるんだと拓海が訊けば、何でも、いつもレジで会計と相成ってからようやく財布を取り出す恭介は、小銭を探すのが面倒で、よく紙幣で買い物をするのだという。事前に財布を出しておけ。今回はありがたかったけどな。




「はい。純くんと、千歳ちゃんの分」

「さんきゅす」

「ありがとう!」


 渡された2枚のチケットには、1枚にはペンギンの写真、もう1枚にはなんかイボイボしたゴツい魚の写真がプリントされていた。どっちがいい? と2枚見せたら、当然ペンギンを取られた。まあ、いいけどね。


 建物の中に入れば途端に薄暗く、まるでいかがわしいホテル(行ったこと無いけど、俺のイメージ)の様に、ムーディな薄暗い照明のみで照らされた水槽が眼前に広がる。思わず「おおっ」と驚嘆が漏れる。


「うまそう」


 絶対言うヤツ居るよな、という感想は、例に漏れず恭介が口にしていた。


「イルカとか、アシカとかのショーがあるみたい。あと、ラッコのフィーディングとか」

「フォールディング?」

「フィーディング。餌やり、ね。ラッコ折り畳まない」


 お洒落な横文字使いやがって。素直に『餌やり』と書けばよかろうに。


「ラッコの餌やり見たいかも!」

「おけ。じゃあ、ちょくちょく時間を見て回ろう」


 うちの妹様は、イルカやアシカよりもラッコに興味を示されたらしい。餌やりの時間を確認すれば、16時とある。まだ15時にもなってない。ラッコがどこにイルカ(水族館ジョークだ)はわからんが、1時間あって辿り着けないなんてことはないだろう。


 ちなみにそんな会話を俺らがしているそばから、森崎なんぞは一人ですいすいと見て回り始めていた。まあ、その後ろを小日向がちょこちょこついていってるので、正確には一人ではないのだが。


「取り敢えず、回ろっか」


 琴音がそう言うことで、俺らも動き出す。早くもバラバラになっているメンバー。何のためにこの人数で来たのか、甚だ疑問である。別に、動きやすくていいけどね。


 俺らは俺らのペースで、見たいものはゆっくり見て、そうでもないものもそれなりに見て、進んで行く。


「あ、ラッコ」


 途中でラッコも見つける。餌やりタイムにはしっかり戻ってこれるよう、頭のなかの地図にしっかりと印をつけておいた。




 そのまま進んで行くと、何やら腰の高さくらいに設置された小さな窓のような水槽を懸命に覗き込む恭介と、それを困ったように見ていた拓海に追い付いた。


「何やってんの、恭介さん」


 呆れたように目を細めた妹からの冷たい一言。またこの人は変なことを、と言葉に込められた想いまで安易に読み取れる表情であった。


「うーん……この水槽、魚が居ねぇんだよ」

「そういう水槽なんだろ。なんか水草とかあるし、それらの紹介なんじゃね?」

「いや、でも、水槽の上の紹介パネルには魚の写真載ってんじゃん。でも居ないしなぁ。死んだか?」


 いや、死んだら流石にパネルも取っておくだろう。

 そう言うと再びじっくりと水槽を覗き込む恭介。ちびっこたちが見てるぞ。そろそろやめろ。

 そんなふうに、俺がだんだんと恥ずかしくなってきたとき、


「『かくれんぼの達人、オニダルマオコゼ』……岩に擬態してるんだってさ」


 魚の紹介パネルのさらに横。液晶画面を使ったスライドショーを見ていた妹が、ぼそりと漏らした。


「岩ぁ? …………あっ! あっ!? 岩だ! 岩いわ、イワ!」


 その妹の一言にて遂に言語中枢がイカれたらしい恭介が、何やらイワイワと鳴き声をあげている。恐ろしい。

 俺と同じ感想をどうやら妹も抱いている様子で、戦慄の表情を浮かべて彼を見詰めている。


「恭介さん、遂にそこまで……」

「は? いやいや、お前ら兄妹揃ってなんて目で俺のこと見てやがる!? 違う違う、岩だと思ってスルーしてたのが魚だったんだよ! あれもそれも! あっ! あっちのもそうか!?」


 お前が邪魔で、俺らは水槽が見れないよ。とは言えないくらいのはしゃぎっぷりで水槽にかじりつく恭介。

 だがさしもの恭介も、


「んー? どれどれ……」

「は、はわわっ! 女神やっ!」


 女神と崇める女性がその水槽を見たいと所望するのならば、邪魔をするわけにはいかない。

 バネ仕掛けの人形のようにバビョンと背筋を伸ばし、水槽の前から素早く退いた。その際に「はわわっ」なんていうドジっ子メイドしか似合わないような声を上げた気がするが、気味が悪いので聞かなかったことにする。


「わっ、わっ、すごい。本当だ。えぇー、これは言われなきゃ気付かないなぁ」

「ええっ、そんなに? どんな感じなの?」


 琴音も驚いているのを見て、妹の魚に対しての注目度が跳ね上がったようで、てとてとと小気味良く水槽前まで移動する。恭介が反応していたときに比べ、非常に分かりやすい興味の変化だ。その変化をわかりやすく数値にすれば、0から100といった感じであろうか。


「うわっ! すごい! 本当に岩だ!」

「へぇ、どれ……。うお、こりゃ本当にそっくりだ。自然界の神秘だな」


 妹も拓海も大絶賛。

 それもそのはず、見てみたら、本当に岩にそっくりなのである。おまけにじーっと動かないという徹底ぶり。この魚の無機質な瞳からでも、彼らが抱くプロ根性を垣間見ることができる。


 色とりどりの魚が泳ぐ大水槽よりも明らかに大きな反応を示す俺ら。

 ちなみに、俺はというと――


「うおぉっ! まじか。これ魚っ? 全然動かねえ。プロ根性すげえな」

「こらっ、水槽叩かないの」


 例に漏れずはしゃいでいた。はしゃぎすぎて妹に怒られた。




「あれ、森崎じゃん」

「……」


 先行していた森崎と小日向。いったい俺らがもたもたしているうちにどこまで行ったのかと思いながら進んでいたら、クラゲコーナーのベンチに腰掛け、ぼーっと呆けた表情をブルーライトに照らされる森崎を見つけた。


「何してんの」

「癒されてる」


 癒されてるんだそうだ。

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