第20話

 翌週。今日は嬉しい金曜日。

 何が嬉しいといえば、それはもちろん。中間テストがすべて終了したことだろう。

 手応えとしてはまあまあ。

 少なくとも、全科目赤点を取ることはないだろうな、なんていう程度の出来映えだが、所詮まだ高校二年生。そんなもんで十分であろう。


 と、まあ、そんな調子で、今まさに最後のテスト終了を告げるチャイムが、黒板の上についているスピーカーから、教会のカンパネッラもかくやと鳴り響く。

 はいペン置いてーテスト後ろから集めてきてーという、テスト監督をしていた担任の声。後ろから回され、段々と積み重なるみんなのテスト。誰とも無しに、はふうと緊張で滞っていた息を吐く。

 その瞬間である――


「終わっ………………!!」


 恭介、そんな謎の鳴き声を上げながら両手を高く高く掲げ、フリーズ。

 なんだろうあれは。

 あの場にヤコブの梯子でも差し込めば、さながら天使に連れ去られる魂とか、心から神に懇願する狂信者とか、そんなポーズであろうか。


 最初は何だ何だと自然にみんなの視線が恭介に集まったが、なんだまたアイツか、と誰とも無しに呟いたことと、その姿勢からピクリとも動かない恭介のおかげで、自然とみんな思い思いの行動に戻っていった。

 そうなるほどに時間が経ってようやく、


「……………っったああぁぁぁ~~」


 恭介のフリーズがとけた。

 少なくとも俺は、「終わった」という一単語をここまで溜めたヤツは初めて見た。

 そのくらいには溜め込んだ息と言葉を吐き出しながら、高く掲げていた手を降り下ろす勢いで机に突っ伏する恭介。

 ガタンと音を立て、勢い余って前方に押し出されるように動く机。彼の席は最前ではない。なので当然、その前には誰かが座っている席がある。

 勢いよく前方に飛び出た机に、思い切り椅子を押される、恭介の一つ前の志村くん。自分の机と椅子に腹をサンドイッチされ、「うっ」と声を漏らす志村くん。


「あ、わり」


 そんな彼に向けられた、恭介の一言よ。


「……いや、大丈夫。須田の前になった時点で、諦めはついてる……」

「お、そうか」


 腹を撫でながら、悟った目でそう返す志村くん。

 実に志村くんは哀れな役どころであった。


   ◇ ◇ ◇


「よっしゃ部活再開じゃあ! とりあえず、明日サボるためにいっちょド派手な怪我でもかましてくるわ!!」


 そんな謎宣言をしながら、部活仲間を引き連れ俺にサムズアップを向ける恭介。


「ああ……。まあ、脚は怪我しないようにな」

「もちのろんよ!!」


 俺は苦笑いと共にこれを返すのが精一杯であった。

 普通に「明日用事があるので」じゃ駄目なのかな?


 ふむ。しかし、部活再開か。

 俺も一応部室に顔を出してから帰ろうか、どうしようか。

 どうせいつ行っても、部長と先輩は居るのだ。今日もおそらく居ることだろう。行って誰も居ないさみしー、ということにはならないことは間違いない。

 ……だがまあ、最近は小日向に付き合わされて毎日顔出していたし、強制参加の木曜日でもないし、わざわざ行くほどでもないかなあ?


「学級委員ー。ちょっと頼みたいことがあるので来て下さーい」

「あ、はーい」


 そんなことを考えてぼうっとしていたら、担任が教室内に響く声でそう呼び掛けているのが聞こえた。

 次いで、琴音の返事も。

 大変だなあ、学級委員。またなんか雑用でも押し付けられるのだろう。合掌。


 ……よし決めた。今日は帰ろう。

 テスト終わったその日くらい、帰って昼寝してもバチは当たらないだろう。


 そう結論付けて、バッグに手をかけたときだった。


「あ、あの、純くん……」

「んあ?」


 あらま美少女、じゃなくて琴音が話しかけてくる。

 何だろうか。明日のことで何が話でもあるのだろうか。だが、


「あれ、呼ばれてなかった? さっき」

「あ、うん。呼ばれた。学級委員ーって……」

「大変だな、学級委員。面倒な用事じゃないといいな。どうせ雑用なんだろうけど」

「……ん? え、あれ?」

「ん?」


 呼ばれたのだから、担任を優先した方がいいだろう、と思ってそう言うと、会話の途中で頭の上に「?」を3つくらい浮かべる琴音。

 そんな様子も実に可愛らしいのだから、美少女とは得な生き物である。今世はこんな得な人生を歩んでいるのだ、前世でさぞ世のため人のために働いていたのだろう。

 と、まあそんな話は置いといて。そんな頭に「?」状態は、人にうつるタイプの状態異常だったらしく、彼女と話しているうちに、俺の頭の上にもいつの間にか「?」が浮かんでいた。

 そんな俺を見て、琴音は合点がいった様子を一瞬見せたが、すぐに目を細め、いわゆるジト目とやらで俺を睨む。


「ねえ、純くん。まさかだけど、忘れてる?」

「え、何が? 明日のこと?」

「純くんも学級委員だってことだよ」

「は……?」


 ………………はっ!?


「……完全に忘れてたっ!」

「はあ、そんなことだろうと思った……」


 露骨にため息をつかれてしまった。

 いや、だって……ねえ? もともと学級委員ってキャラじゃないし、なんか四月上旬以降に学級委員っぽいことやった記憶無いし、忘れてても仕方ない……。駄目か。すいません。


「すいません……」

「ううん、別に思い出してくれたならそれでいいよ」


 ありがとうとごめんなさいは魔法の言葉である。俺は謝るときには謝れる男ということだ。

 軽く頭を下げて謝罪する俺を優しい言葉と共に許す、いや赦す女神ことね。後光が射してるぜ。


「……何で眩しそうにしてるの?」

「つい」

「もう……。先生、職員室に来てほしいってさ。ほら、行こっ」

「おっけ」


 ぐいと腕を引かれ、歩き出す俺ら。

 「おっけ」、などとクールに返事をした俺だが、内心は急に触れられてどぎまぎである。

 仕方がない、童貞だから。

 自分に不利益なことがあれば、「いや自分、童貞スから」で割と何でも言い訳できる、素晴らしい称号な気がするぞ、童貞。まあその分、十二分に不名誉ではあるのだが。




「はい、これ」

「……これを、どうしろと?」


 職員室に着き、担任の机に向かった俺たちに差し向けられる、プリントの束が入ったであろう、4つの茶色い紙の包み。

 だが一つ断言しよう。アイコンタクトやジェスチャー、はたまた言葉の間を読んで用件を把握できるほど、俺と担任の絆は深くない。

 訝しげに細めた目で担任を見つめ、俺はそう問う。

 そんな俺の横で、琴音は何も言わずに差し出された包みを受けとる。この子良い子過ぎやしませんか。

 とりあえず、4つの包みのうち3つを琴音の腕から勝手に取り、俺が持つ。何やら琴音が目で訴えてくるが、俺は学級委員の力仕事担当だからな。ということで、そんな彼女の訴えは黙殺である。


「それ、採点が終わったテストなんですが、月曜の朝に一気に返しちゃいたいんで、教卓に入れといてください」

「わかりました」

「うい」


 よくよく見たら、包み一つ一つにさりげなく科目名が書いてあった。

 あ、数学。……ちょっと点数気になる。


「見ても良いけど、まだ持ち帰らないでくださいね」

「み、見ませんよ?」


 地味に勘が鋭い担任であった。




「このためだけに呼んだんだな。あの人、面倒くさがりにも程があるだろ」

「あはは、確かに」


 教室に帰り、何やら教卓のなかに既に入っていたあれやこれを乱暴に片側に寄せ、無理矢理スペースを作りながらそんな会話をする。

 琴音を以て「確かに」と言わせしめる担任のものぐささ。目を見張るものがあるな。


「うし。んじゃ、帰りますかね」

「あ、あのね、純くん?」

「ん?」


 包みを全て教卓に押し込み、ぐいと伸びをしながら帰ろうと机に向かうと、その背中に声がかかる。

 何事かと目を向けると、何やらもじもじする琴音。何だろう、トイレかな。


「あ、えと、一緒に帰っていいかな?」


 トイレじゃなかった。

 いやいやいやちょっと待て。それより、美少女からまさかの「一緒に帰ろ☆」だと!? 何と。いつの間に俺はこんなイベントが起こるほどに得を積んでいたのか。

 ……いや、ニュアンスは違ったけど。

 問い方的に、どうやら決定権は俺にあるようなので、所在なさげに目を伏せる琴音に一言、


「もちのろんよ」


 と答える。

 図らずも、恭介と同じ返事のしかたをしていた。


   ◇ ◇ ◇


「何だかんだ、初めてだよね。高校から一緒に帰るの」

「え? あ、うーん……そうだっけ?」

「そうだよ」

「そうだったか」


 そうらしい。


「こんな簡単に昔みたいに戻れるなら、もっと早くに話しかけてればよかったなあ」


 電車の窓の外。少し日が傾いて、長い影を伸ばす町並みが流れていく様を見ながら、ぽつりとそう漏らす琴音。


「……簡単じゃあ、なかったかもよ」

「え、そうかな」

「いや、わからんけど」

「なにそれ」


 少なくとも、俺は簡単じゃなかったけどな。

 気持ち的には、心臓が3個は潰れた気がする。残機次第ではゲームオーバーもあり得たぞ。

 でもまあ、それを彼女に語るのもどうかと思うので、適当に茶化して、この話題は終了だった。


「……ねえ、明日のことだけどさ」


 暫しの沈黙の後、琴音が決意に満ちた表情でそう口を開く。


「ん?」


 俺は短くそう返答して、続きを促す。

 このとき、かじりつくように続きを促してはいけない。しかし素っ気なくしては更にいけない。余裕を持って、でも聞いているよとしっかりアピール。ちょっとやそっとの訓練じゃあ身に付かない高等テクニックである。何のテクニック、と訊かれたら、俺は肩を竦めてこう答えるね。「さあ?」、と。


 そんな俺のどうでも良い思考はさておき、琴音から続きの言葉は出てこない。正確には、あーとか、うーみたいな唸り声は微かに聞こえるが。

 そんなに言いにくい話なのだろうか。

 ……はっ!? まさか!!


「明日行けなくなった、とか?」

「えっ、ううん。違うよ? 全然」

「あ、そう」


 違ったらしい。

 倒置法を使って強調しながら全然違うと否定された。これはよっぽどである。


「え、えーと。明日、集合2時じゃない? 午後の……」

「うん。水族館の最寄り駅に」

「そうでしょ? でも私、明日は一日中予定なくて、暇なんだ。……えと、だから……」


 ……うん。黙っちゃったね。

 話が進まない。仕方がない。高等テクニックその二だ。


「……だから?」


 すなわち、たまには露骨に先を促せ、である。やり過ぎるとウザがられる諸刃の剣。辛抱できない恭介なんかはすぐに続きを促すが、まったり喋っていたいときにはその促しがウザいことこの上無い。

 だからあくまで、「たまには」、である。

 普段は受け身な男が、たまに見せる攻め。乙女はこれについついドッキリッ! だって、「女を落とす10の男の仕草」で見たもん。間違いないね。


「……だから、午前中に、純くん家にお邪魔してもいいかな? どうせ、千歳ちゃんと一緒に行くんでしょ? 私も一緒にいいかなあって……」


 ほれ、間違いなかった。

 しかし、これ、そこまで言い淀むような内容かなあ。


「ん、もちろん良いぞ」

「ほんとうっ?」


 俺の答えはもちろんイエス。

 というか、断ったら妹様に蹴り殺されそうである。

 そんな俺の答えに、ぱあっと背景に花を咲かせる美少女。うむ。眩しい。


「じゃ、じゃあ。起きたら連絡入れるね。いつ行っていいかって」

「おっけー。まあ、いつでもいいけどね。ほんとに」

「いやいや、それはさすがに……」


 本当に構わないのでそう言ったのだが、琴音はさすがに困ったように笑っている。

 まあ確かに、俺も同じ立場だったら、連絡もなしに急に向かおうなどとは思わないか。

 親しき仲にも礼儀ありと言ったものだし、琴音はことさらに礼儀正しい子だしな。たまになんか抜けてるけど。




 その後も当たり障りのない会話をして、彼女を家の前まで送り、ようやく別れる。

 送ると言うと、いつも申し訳なさそうな顔をする琴音。別に帰り道っちゃ帰り道なのだし、気にしなくていいと思うのだが……。

 まあ、そこも彼女の魅力の一つなのだし、良いということにしよう。

 明日は待ちに待った水族館。

 柄にもなく、かなり楽しみであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る