第9話

「田村くん、最近どうしたんですか? 毎日顔を出すなんて、なんか不吉ですよー」

「不吉は言いすぎです」


 部室に顔を出した瞬間、部長から放たれた言葉だった。

 しかし部長の言うことも一理ある。1年生の頃は部室に顔を出すといっても、強制参加の木曜日くらいなもので、あとはたまに、家に帰ったら怠けてしまいそうなときに、課題を消化するために部室を活用する程度だった。

 それが2年生になったとたん、火曜日から金曜日まで毎日出席している。これは確かに不吉とまではいかなくても、不気味だろう。

 ただ、さすがに俺もなんとなく部活に来ているわけではなく、ちゃんと理由がある。


「小日向が入ったんで、一応、慣れるまではついておこうと思って」

「わーお。田村くんは思った以上にいい先輩ですねー」

「……」


 部長が目を真ん丸にしながら驚き、掛け値なしに賞賛してくるため、流石に照れる。


「でも、肝心の小日向がいないですね」


 照れくさいので、話をそらす。そこまで急いで部室に向かったわけでもないのに、小日向の顔が見えない。

 もしかして、今日は他の部活にでも行ったのかな、と思ったときだった。


「こんにちはっ!」


 扉を思い切り開けて、大きな声で挨拶をしながら小日向が現れる。


「あら、こんにちはー。今日も元気ねー」

「おい、そんなに勢いよく扉を開けるな。壊れるだろ」

「ついでに声もデカい。そんなに張らなくても聞こえる」

「はうぅっ! 早速さっそく、集中砲火を受けました!」


 部長、清水先輩、俺の順番で思い思いの返事という名の文句を返す。

 それを受けた小日向は胸を押さえて呻きながら一歩下がる。集中砲火に苦しんでますよ、という仕草だろう。


「って、そんなことはいいんです! 先輩、聞いてください!」

「…………なにをだ?」


 そんな気の抜ける仕草から、はっと我に返った様子の小日向がそう言いながら俺に迫ってくる。

 俺は少し後ずさりしてある程度の距離を保ちつつ、一応、先を促す。

 聞いてください、と小日向は言っているが、正直聞きたくない。何だか嫌な予感がした。


「この間やった実力診断テストの結果が返ってきたんですよ」

「うん? まず、お前がそんなテストを受けていたことすら初耳だよ俺は」

「あれ、そうでしたっけ? 入学してすぐ、1年生みんなが受けるんですよ!」


 話の冒頭から、俺の頭は完全に取り残されている。小日向の話の切り出し方は常に唐突なのだ。

 しかし思い返してみると、そう言われれば確かに、1年生の最初に、そんなテストを受けた記憶があるような……ないような……


「あったっけか、そんなの……。まぁ、いいや。で、それがなんなの?」

「結果が返ってきたんです」

「うん、それはさっき聞いたね」


 一向に話が進まない。


「結果に、順位が載ってたんですよ。学校内の順位」

「まぁ、よくあるな」

「何位だったと思います?」


 と、小日向はわくわくしたような目で突然の質問形式で訊いてくる。

 いったいなんなんだこの話は。どこに落ち着くんだ。

 そんなことを考えながら、一応、訊かれた通り、小日向の順位を予想してみる。小日向は俺が知る限り、かなりのおバカだ。なので、後ろから数えた方が早いのは間違いないだろうことは想像できる。

 しかしここで、いや、待てよ、と俺の頭にひとつの考えがよぎる。

 ここまで期待に満ち溢れたような目をして訊ねてきているんだ。もしかして、かなりいい結果だったんじゃなかろうか。

 よし、ここは結構上位に答えておこう。


「そうだな。50位くらい?」

「ブブゥー。全然違いますぅー」

「…………」


 別に外れたのはいいのだが、小日向の言い方にイラッとくる。


「正解はー。どるどるどるるる……」

「ドラムロール下手すぎだろお前」

「じゃーん! 226位でしたー!」

「……は?」

「先輩耳悪いんですか?」

「いや、226位って聞こえたから、聞き間違えかと思って」

「合ってますよ?」

「…………」


 なるほど、どうやら俺の耳は正常のようだ。

 つまり、異常なのはいつも通り小日向の頭だけのようである。よかったよかった。

 うちの高校は、一学年あたり、40人前後のクラスが全6組ある。つまり一学年の全生徒数は約240人。その中の226位といったら、それなりにヤバイ順位である。


「小日向的にその結果は良いの? 悪いの?」

「悪いです。見た瞬間、涙がこぼれそうになりました」


 爽やかな笑顔でそう言ってのける小日向。全然こたえていなさそうである。


「で、それを俺に話してどうしようっていうんだ?」


 俺が知りたいのは、最終的にそこである。

 いくら小日向バカとはいえ、さすがに何の意味も無しに俺にこんな話をするわけはないだろう。

 しかし、さすがは小日向、その答えは俺の想像の遥か斜め上を行っていた。


「これで先輩も本気でわかったと思うんですよ。わたしは本当に頭が悪いってことが!」

「うん? 前から本気でわかってたつもりだよ?」

「あれ、そうなんですか?」


 そうなんです。


「と、とにかく、今日返ってきたテストの結果で、わたしは一人では進級できないだろうことが、身に染みてわかったわけですよ!」

「…………」

「というわけで、先輩にはテスト前など、たくさんのご迷惑をおかけすることを、ここに誓います」

「誓うな」


 頼むから。

 どうやら、小日向が言いたいことを簡単にまとめると、「わたしこんなにヤバイんで、先輩勉強教えてください」ということなのだろう。わざわざ頭の悪さがよくわかる証拠まで携えてくるという用意の周到さである。

 なんという他力本願だろうか。頭痛がしてきた。


「田村くん、大変ねぇー。頑張ってねー」


 俺がこめかみを押さえて唸っていると、後ろから部長が無責任にそう声をかけてくる。

 しかし彼女は受験生。「そんなこと言わないで、部長も手伝ってくださいよ」とはさすがに言えない。


「…………はい、頑張ります……」


 仕方がないので、そう言うしかなかった。


「先輩っ! ありがとうございます!」

「でも、さすがに最初から何もかも聞くなよ。自分でやれるようにお前も頑張れよ」

「がってん承知の助でございます!」

「…………」


 こりゃダメそうだった。


   ◇ ◇ ◇


 今日も今日とて、学校からの帰り道を小日向と肩を並べて歩く。

 そんな帰り道で、唐突に小日向が俺にひとつの質問をしてきた。


「そういえば、先輩は彼女とかいないんですか?」

「……なんだよ、藪から棒に」

「ふふふー。藪からスティックガールと呼んでください!」

「呼ばん」

「で、どうなんですか?」


 すなわち、彼女の有無である。

 正直、見栄を張ろうか迷ったのだが、なんとなく小日向相手に見栄を張るのはしゃくなので、素直にありのまま答えることにした。


「いないよ。いたこともない」

「あぁー。先輩って確かに恋愛とかドヘタそうですもんね」


 俺の何をわかっているのか、コロコロと笑いながらそんなことを言われる。


「なんて言い草だ……。そう言うお前はどうなんだよ?」

「わたしですかー?」


 どうせ、俺と同じで、一度も彼氏ができたことなど無いだろうと思ってそう訊き返したのだが、


「今はいませんけど、いたことはありますよー」

「…………はぁ!? いたことあんの!?」

「え、なんでそんなに驚いてるんですか? 心外です!」


 予想だにしなかった答えが返ってきて、俺は一気に狼狽うろたえることとなった。

 小日向はそんな俺の様子を見て頬を膨らませて怒っている。ぷんぷん、という擬音が聞こえそうだ。


「うわあぁ。小日向に限ってそれはないと思ってたんだけどなぁー」

「えぇー、何でですか? わたしこれでも『黙ってれば顔は可愛い』ってよく言われるんですよ?」

「お前それ誉められてると思ってんの?」

「え、誉められてないんですか?」


 おそらく誉められてないだろう。


「まぁ、彼氏がいたとはいっても、中3のときに一度きり、一ヶ月ももちませんでしたけどねー」

「それは、ずいぶんと早いな」


 付き合ったことがないので相場はわからないが、それでも一ヶ月続かないというのは短いだろう。


「なんで別れたの?」

「ううーん。それがよくわからないんですよねぇ。そりゃ付き合ってるわけですから、当然デートとかしたんですけど、なんというか、話してると相手が何故かイライラしてるのがわかるというか……なんでだろって思ってたら、向こうから別れを切り出されて、そのまま……」

「ああ、なるほど、すごいわかる」

「さすが先輩。わかってくれますか!」

「いや、彼氏君の気持ちがすごいわかる」

「そっちですかっ!」


 こいつの独特なテンションに着いていくことは、一朝一夕いっちょういっせきの訓練では不可能だろう。


「相手はよく知ってる人だったの?」

「いいえー、一回同じクラスになったことあったかなぁって感じの人でした!」

「……なんで付き合ったんだよ」

「えっと、好きですーって言われたんで、へぇーって思って付き合いました」

「…………」


 全く理由になっていなかった。こういうところが慣れていないとイライラポイントになるのだろう。

 しかしどうやら元彼氏君は小日向の生態をあまり観察しきらずに、下手したら「元気な可愛い子」くらいに思って告白したのかもしれない。しかしその正体は宇宙人だと気付いたので、別れを切り出したと。

 なんとも想像しやすいエピソードだった。


「しかし、話を聞く限り、お前も別に好きじゃなかったように思えるぞ」

「やっぱりですか?」

「なんだよ、『やっぱり』って」

「いやぁ、当時はわたしも悩んだんですよー。いかんせん好きっていう感情がよくわからないので、なんとなーく付き合いだしたもんですから」

「悪女だな」

「え、わたし悪女なんですか!?」


 これはまさしく、世間でよく聞く、「まぁアタシ今カレピいなかったしぃー。向こうからコクってきたしぃー。別に好きじゃないけど付き合ってみようかな? みたいなぁー」というやつだろう。

 まさか小日向がそんなことをするとは、心底残念である。小日向の残念ポイントがまたひとつ上がった。

 そんなことを考えながら悪女呼ばわりされた小日向に目をやると、不満げに口を尖らせている。

 さすがに悪女呼ばわりは勘弁願いたいようだ。


「しかしあれだな、そんな短い恋愛期間だったら、四捨五入したら確実にゼロだ。これからは見栄を張らずに『付き合ったこと無いです』と言えよ」

「えぇー! 横暴おうぼうだあ!」


 小日向は思わず敬語も抜けて抗議の声をあげる。

 しかし、なんとでも言えば良いさ、と俺は気にしないのだった。

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