第8話

 週末。金曜日。

 TGIF(Thank God, It's Friday.)と喚く大人たちが電灯に照らされた夜の街を埋め尽くし、飲み屋で働く者たちはその忙しさに声を枯らしながら目を回す、という話は有名だ。

 しかし夜の街に出かけるわけでも、ましてや酒を飲むわけでもない一高校生たる俺にとっては、今週もお疲れ様、また来週、という程度の曜日である。


 そんな金曜日である今日の朝。

 俺の目の前では、少し前まで考えられなかったことが起こっている。


「あ、あのさ」


 なんと、恭介曰く「学校のマドンナ」である国分寺琴音が、わざわざ俺の席にまで足を運び、声をかけてきたのである。

 この場に今、恭介がいなくてよかったと心から思う。いたら絶対にめんどくさい動きとセリフで場を掻き乱していた。


「……なに?」


 俺がそんなことを考えている間、国分寺は口を開かずにもじもじしているだけだった。何だか嬉し恥ずかしい現場で、他のクラスメイトの視線を感じなくもない状況に、俺は取りあえず続きを促す。


「遊ぼうって話なんだけどさ。昨日、千歳ちゃんから連絡来て、今週の土曜日、ショッピングモールに行こうって話になったの」

「ショッピングモールって、二駅隣の?」

「そう、そこ」


 どうやら俺が話をつける前に、それを待ちきれなかった妹がすでに昨晩のうちに計画を立ててしまったようだ。何と言う早業はやわざ。お兄ちゃん自分が情けないです。

 ちなみに、話にある「ショッピングモール」とは、二駅隣の駅から無料送迎バスまで出しているほどの大きなショッピングモールで、時間を潰すにはもってこいだ。ついでに俺と国分寺は、そのモールがある駅は定期券内であるため、実質無料でモールまで行ける。確かに、考えれば考えるほどこれ以上は無いスポットである。


「なるほどね。何時からとか、もう決まってる?」

「11時にしようかなって思ってる」

「おっけ。俺んから駅までの道に国分寺の家あるし、朝迎えに行くよ」

「う、うん。ありがとう……」

「よし、じゃあ、今週の土曜日の、11時ね。……ん? 今週の土曜日?」


 ここまで話してようやく思い至る。今日は週末、金曜日。そしてそこ基準の「今週の土曜日」と言ったら、


「明日じゃん!?」


 明日だった。


「え?」

「あぁ、いや、なんでもない」


 いきなりエキサイトした俺に対して、国分寺は目を真ん丸にしてきょとんとしている。

 自然な反応だろう。いくらなんでも気付くのが遅すぎる。おかしかったのはこっちである。


「そ、それじゃあ、よろしくね」

「う、うん。よろしく……」


 そう言い交わすと、国分寺は自分の席へとそそくさと帰っていく。

 それを眼で追っていると、


「おい、マイスター」


 何者かが俺の首に腕をまわし、耳元でささやいてくる。吐息が非常に気持ち悪い。


「何だよ恭介。気持ち悪ぃな」


 口にも出た。


「見たぞ、見ました、見ましたぞぉ!!」

「うるさいな。何をだよ。パンチラ?」

「パンチラだったらどんなによかっただろうかっ! しかし現実はいつも俺に非常なり! 教室に入った瞬間、俺の目に飛び込んでくる、マイスターとマドンナが親しげに話す姿。嗚呼ああ、学級委員という苦行を分かち合うことで、まさかここまで二人の距離が縮まってしまうとはっ!」


 芝居がかった口調でくねくねしながら何事か大仰に騒ぎ出した恭介。

 大声につられて周りから向けられている目は、「またコイツか」と言う感情を秘めている。

 進級一週間でここまでキャラが確立できるヤツもそうそういなかろう。

 願わくば、その周囲の目が「またコイツか」に変化しないことを祈る。


「落ち着けよ、恭介」

「落ち着けだとう!? なんだ、その上から目線は!! 『落ち着いてくださいませ』だろうがぁ!!」

「いや、もう意味わかんないから……」


 そこまで言うと、恭介は俺に向かって人差し指をビシィッと突きつけ、


「いいか、俺はお前を学級委員だなんて認めないからな!!」


 と言うと、自分の席に戻って行った。

 認めないも何も、俺を推薦したのは恭介だった。


「理不尽だ……」

 

 思わず声に出た。


   ◇ ◇ ◇


「ワリィ、マイスター。今日は部活のミーティングが昼休みにあるんだ。適当に食っちゃってくれ!」


 昼休みが始まるや否や、恭介がそう言って頭を下げてくる。

 朝の大騒ぎはなんとなくハイテンションに任せた出来事だったようで、もう恭介は朝に騒いだことすら忘れていそうな様子だ。こんなヤツだから真面目に取り合うことは不要だと、前々からわかっている俺は取り乱したりはしない。

 おう、と俺が短く返事すると、恭介はカバンを持って教室から出ていく。部室棟に向かうのだろう。


 さて、と辺りを見回す。

 別に一人で食事を食べること自体に抵抗があるわけではないが、教室で一人、という状況はなかなかハードルが高いものがあるだろう。とにかく、俺は一緒に食べてくれそうな人を探す。

 国分寺……は友達と楽しそうに食べているな。というかそもそも一緒に食事をとるような間柄じゃないか。

 拓海……はサッカー部だから、恭介がいないならば、隣のクラスにはいないだろう。

 そこで俺ははたと気付く。

 あれ、もしかして、俺は友達が少ないのでは?


 これは由々しき事態である。

 とりあえず、今日は一人で昼休みを過ごさなければならないようだ。

 一人ならば一人なりの、落ち着ける場所にどうせならば行きたい。と、そんなことを考えていた俺に、突然天啓が閃く。

 そうだ、屋上に行こう。



 校舎の最上階である4階から更に上に行くための階段がある。それが屋上に続く階段である。

 その前には「屋上立ち入り禁止」という立札たてふだがあるわけだが、しょせんはただの立札。横をすり抜けてしまえば簡単に屋上には行くことができる。

 ノブを捻って開けようとすれば。ギギィと音が鳴る古い扉。おそらく鍵が壊れているから、苦肉の策の立札なのだろう。

 その扉を抜けて一歩外にでる。俺の思惑おもわく通り、全然人がいない。ここならば優雅な昼休みを過ごせそうだった。

 しかし早速さっそく、そんな俺を後悔が襲う。

 昨日は、一日中雨が降っていた。今日は日がしているが、それでも水たまりを完全に蒸発させられるほど暖かいというわけではない。

 つまり何が言いたいのかというと、床がまだ湿っている。

 これでは腰かけることができない。人がいないのにも納得である。


「……ん?」


 そう考えてきびすを返そうとした俺の視界に、わざわざレジャーシートを敷いてまで屋上で昼食をとっている人物が目に入る。

 その人物は俺に背を向けて、屋上から空を見上げながら、もそもそと弁当を食べている。

 ソイツが全く見覚えもない人物であれば、世の中には変わったヤツもいるもんだと放置したのだが、いかんせんその後姿うしろすがたには見覚えがあった。そのせいで、回れ右しようとした俺の足は止まり、思わずその後姿に声をかけてしまう。


「……森崎?」


 俺の声に、その人物は腰から上だけで振り向いてこっちに顔を向ける。

 やはり、緑化部の幽霊部員その1、森崎であった。


「……」


 しかし森崎はじっと目を細めて俺を見つめるだけで、返事をしない。

 もしかして、他人の空似かな、と思いつつ、俺は二の句を継ぐ。


「森崎だよな? 俺だよ、緑化部の……」

「あぁ、あんたね」


 そこまで言って、ようやく俺の存在にピンときたらしい森崎から素っ気ない返事が来る。


「え、もしかして、顔忘れられてた?」


 急に心配になってそう確認する。


「そういうわけじゃない。今日、コンタクトも眼鏡も忘れちゃったから、何も見えないの」


 森崎は俺の問いにそう返すと、また背を向けて空を見始める。

 俺はそんな森崎に歩み寄ると、レジャーシートを指さしながら口を開く。


「隣、座ってもいい?」

「…………………………いいけど」


 随分と間があった気がするが、了承は得たので、遠慮なくレジャーシートの上、森崎の隣に腰を下ろす。

 俺が弁当を広げて食べだすも、森崎はずっと空を見たままだ。


「なんか見えんの?」

「見えない」


 そりゃコンタクトも眼鏡も忘れたって言っていたしね。そもそも本当に森崎の視線の先には雲くらいしかないのだが。


「緑化部、新入部員が来たよ」

「へぇ」

「……部活には顔出さないの?」

「テニス部が忙しいから」


 どうやら、森崎は兼部をしていたようである。初めて知った。


「テニス部も入ってたんだ。知らなかった」

「そもそも、こんなに話すのも初めてだしね」

「……それもそうか」


 森崎がたまに部室にきたとしても、大抵は部長が絡んでそれで終わりで、俺と話すことはあまりなかった。

 なんというか、ツンツンしているのだ、雰囲気からすでに。私に近づかないでオーラというのか、そういうものが出ている。

 有り体に言えば、俺はこの女の子のそんな雰囲気が苦手で、今まで積極的にコミュニケーションを取ろうとしてこなかったのだ。


「今日は、どうしたの」


 そんなことを考えつつ、街の景色を見ながら弁当を食べていると、先に食べ終わったらしい森崎が話しかけてくる。


「なんでわざわざここにきたの?」

「……教室でボッチになったから」


 なんと答えようか迷ったが、これが一番簡潔だろうと思ってそう答える。

 自分で口に出したらかなり悲しいものがあったのは秘密だ。


「ふぅーん」


 森崎の反応はその程度だった。

 そこから、俺が弁当を食べきるまで、会話はなかった。


「……ごちそうさま。悪いな、一人の時間を邪魔して」

「ん」


 短く言葉を交わして立ち上がると、階下への扉に手をかける。

 そこでふと、もう一度森崎の方を振り返ってみる。

 彼女は変わらず俺に背を向けたまま、ぼうっと空を見ている。


「じゃ、またな」


 少し大きめの声で、その背に声をかける。森崎は俺の声にゆっくりと振り向くと、


「……ん。また」


 と、小さな声で返してくる。

 なんというか、もしかしたら彼女は俺が思っているよりも、全然ふつうの人なのかもしれない。

 今まで苦手と言い訳して、一方的にこっちが距離を置いていたが、もしかしてもう少し歩み寄ってみたら、意外と仲良くなれるのではないか。

 彼女の返事を聞いて、俺はそう思った。

 また、機会があれば屋上に来てみようと決心する。彼女がいつもここにいるのかはわからないけど。

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