第6話
週の真ん中、ちょっと外れて木曜日。
天候はあいにくの雨。別に遊びに行く用事もないし、何か困ることもないのだが、なんとなく憂鬱になってしまう。
しかし雨にも良いことはある。ずばり、花粉症が軽くなる気がする、ということだ。あくまで「気がする」なので、実際に症状が軽くなっているかは不明である。
ピークは過ぎたと思って、昨日からマスクは外しているが、雨のせいなのか単純に花粉の量が少なくなっているのか、今日は時々くしゃみが出る程度で治まっている。
この木曜日と言う日は一週間の中でも少し特別で、いつも通りの6時間の授業の後、更に1時間「
特に内容が決まっている授業ではなく、体育祭が近づけば種目を決めたり、文化祭が近づけば催し物を決めたり、その日その日の決め事を行うために設けられている1時間である。
そして週で唯一の緑化部強制参加の日でもある。部長曰く、「緑化部に、木曜日。なんだかとことん緑色っぽくていいですよねー」とのこと。こじつけである。
強制参加なんて言っても強制力は全くないため、幽霊部員たちはもちろん顔を出しはしない。
「それでは、今日のLHRでは、クラスから男女一名ずつ、学級委員を決めます。ついでに他の委員も決めてしまおうと思います」
そんな担任の一言から始まった本日のLHR。
どうやら別名「クラスの便利屋」と呼ばれる毎年恒例の学級委員の選出らしい。
まぁ、俺には関係ないだろうと、始まった瞬間に傍観者気分になる。
「えー。まず、立候補する人はいますか?」
沈黙。こういうとき、面倒なことに巻き込まれたくないヤツはたいてい顔を上げもしていない。
教壇の担任から見たら、自分の言葉をみんなが
あれ。すごい悲しい気分になってきた。先生ってかわいそう。
「……いませんか?」
待ったって出ないもんは出ないだろうに、律儀にもう一度そう訊く担任。
しかしそんな俺の予想とは裏腹に、
「お。国分寺さん、やってくれますか?」
「はい」
物好きな立候補者が出た。しかも、
担任もまさか立候補者が出るとは思っていなかったのだろう。一瞬、その目は驚愕に少し見開いた。
「意見のある人はいますか? ないなら、女子は国分寺さんで決定ですが……」
沈黙。
そりゃそうだ。立候補すらしていないヤツらに文句を垂れる筋合いはない。
そもそも文句もないが。
「じゃあ、国分寺さん。一年間宜しくお願いします」
「はい」
そう言って頭を下げる担任。国分寺も下げ返している。
パチパチとまばらな拍手。拍手の音からもう皆のやる気のなさがにじみ出ている。
「あと、男子は……」
「俺! 俺やります俺! オレオレ!」
急に元気に手を上げ始める男、
これを機にお近づきに、という下心がモロバレるその勢い。手を上げるにおさまらず、もはや椅子からスタンドアップしている。
「須田君はサッカー部のレギュラーなので、忙しいでしょう。なので、出来れば他の人が……」
「オゥマイグンネスッ!!」
撃沈。高らかに叫んで頭を抱えたまま机に沈む恭介。クラス中からクスクスと嘲笑を浴びている。
「……誰かいませんか? 部活に入っていないか、そこまで厳しくない文化部に入っている人。国分寺さんをサポートできるような、力のある人の方がいいかもですね」
文化部で、なおかつ力持ちという一見矛盾した条件を突きつける担任。
世の中の風潮は文化部を「暇人」と一緒くたにしがちだ。否定はできない部もあるだろうが、そういう風潮はどうかと思うね、俺は。
「誰もいないですかね。立候補じゃなくて、推薦でもいいんですが」
「せんせー。狙い撃ちしたかのように条件に合う田村くんがいまーす」
「……はぁ!?」
そんなどうでもいいことを考えていたら、担任が「推薦でもいい」というワードを口に出す。瞬間、挙がる俺の名前。声を頼りに推薦したヤツを確認すれば、復活していつも通りになった恭介であった。
「田村くん。やってくれますか?」
「え、あえ、えぇ?」
人間、本気で理解できない状況で無理に声を出そうとすると、変な音が口から漏れるんだよ。コレ豆な。
冗談はさておき、さて、どうしましょうか。無理して理由をこじつけることも出来なくはないのだが、そこまでして断る理由もない。それに、妹風に言うならば、コレは確実に国分寺と「復縁するチャンス」である。
復縁って、こういう場合でも使っていいのかな。
とにかく、ふわりと考えた結果、別に断る理由も見当たらないので、了承しようと口を開く。
「……やります」
「はい、それでは田村くん。一年間宜しくお願いします」
俺の
再びパチパチと、まばらな拍手。
「それでは、あとは学級委員の二人にお任せして、他の委員を決めてもらいましょう。二人とも、前に来てください」
「はい」
「……」
早速、仕事を丸投げされる。流石はクラスの便利屋である。
面倒だとは思うが、反抗してもどうしようもないので、大人しく席を立つ。
「……」
教壇に国分寺と並んで立つも、これからどうしたらいいのだろう。
あ、隣の国分寺からいい匂いがする。シャンプーかな? リンスーかな? 今のうちに胸いっぱいに吸い込んでおこう。これぞ合法セクハラ、略して
「え、えと。それじゃ、まずは保健委員から……」
俺がそんなくだらないことを考えながら鼻をヒクヒクさせていると、意を決したように国分寺が仕切りはじめる。なかなか様になっている。もしかして去年もやっていたのだろうか。
結局、その日のLHR中に教壇の上で俺が喋ることは無く、お世辞にもきれいとは言えない文字で、決まった委員の名前を板書しているだけだった。情けないことこの上ない事態である。
全ての授業が終わり、みんながカバンを持って帰り始めていても、俺と国分寺は担任の目の前にカバンも持たずに立っていた。
LHRが終わったときに、「このあと二人は少し残ってください」と言われたためだ。早速、嫌な予感がする。具体的に言うならば、面倒な仕事を押し付けられそうな予感だ。
「あれを」
そう言って黒板を指さす担任。
つられて見れば、先ほど俺がしていた板書がまだ残っている。各委員会と、その委員に決まったクラスメイトの名前が羅列してある。
「この名簿に写して、職員室まで持ってきてほしいんです」
「わかりました」
「…………はい」
いや、俺らが仕切ってる間にそれくらい出来ただろ。という文句をググッと飲み込んで、大人しく返事をする。
国分寺は文句もなさそうな顔で返事している。なんというか、将来が心配である。変な男に良いように丸め込まれてしまわないか、という
「俺、やるよ」
紙ッペラ一枚を俺に手渡して去っていく担任を見送った後、短く国分寺にそう伝えて、早速写しはじめる。
「あ、ありがと……」
国分寺は手持無沙汰そうにもじもじしているが、これは仕方がない。
さっきはずっと仕切らせていて申し訳なかったし、これくらいはやっておかないとさすがに罪悪感を感じる。
ものの2分ほどで写し終わる。なんともやりがいのない仕事である。
俺が写し終わったのを見て、すぐさま板書を消しはじめる国分寺。かなり手持無沙汰だったようだ。
「これ、できました」
「あぁ、ありがとう。早かったね」
国分寺を連れ立って職員室に行き、名簿を担任に渡す。
ちなみに、もちろん教室から職員室までの道は無言であった。小日向のときとは違う、気まずい沈黙である。
とりあえずこれで今日の仕事は終わりかな、と考えて、「では、さようなら」と一声かけて
「……これは?」
「明日配るプリントなんですが。教室まで持ってっておいてくれますか? 教卓の中に入れておけばいいので」
「…………わかりました」
多分嫌そうな表情は出てしまったろうが、大人しくその束を受け取る。
どっちにしろカバンを取りに教室には寄るので、ついでである。
「……ごめん、持ってもらっちゃって」
「ん? あぁ、いいよ。俺は力仕事枠なんだから」
教室に向かって歩いていると、国分寺が話しかけてくる。
律儀な子である。
教室に着くと、もう
プリントの束を放り込もうと教卓の中をふいと見れば、微妙に汚い光景がそこには広がっていた。
流石にここまでくるとわかる。「普通人」だと思っていた俺の担任だが、おそらく相当のめんどくさがりである。学級委員を何の気なしに引き受けたことを早速後悔し始めた。
「へくしっ!」
少し教卓の中を整理してからプリントの束をしまったところで、くしゃみが出る。
ズビッと鼻を一回すすり、「あー……」と思わずオヤジのような声も漏れる。
「……花粉症」
「ん?」
それをちらりと見た国分寺が、ボソッと声を漏らす。
「花粉症、昔からひどかったもんね」
「……あー。うん」
なんだか、不思議な気持ちだった。
俺が花粉症だということを覚えている。それだけなのに、ここまで嬉しく感じている自分自信が、我ながら可笑しいと思う。
「え、えと。それじゃ、私はこれで」
そう言ってカバンを引っ掴むと早足に教室を出ていこうとする国分寺
「あ、あのさ」
「え?」
きっと、浮かれていたんだろう。何の抵抗も無しにその背中に声をかけることができた。
しかし、その後は何も言えずに沈黙。さすがにそこまでは、俺の浮かれ気分も担当してはくれなかった。
「えっと……何、かな?」
国分寺は
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
えぇい、言ったれっ!
「あの、今度さ。い、一緒に遊ばない?」
「…………え?」
キョトン、という国分寺の表情。そして再び、沈黙が空間を支配する。
俺はそれから少しして思い至る。自分がなんか色々すっ飛ばしたことに。
「あ、いや、違くて……。その、千歳が会いたがってて。俺が一緒のクラスになったんだって言ったら、じゃあまた一緒に遊びたいねって言ってて。えと、それで……」
しどろもどろ、ここに極まれり、である。
変な汗をだらだらと流しながら身振り手振りを加えてそう弁解する俺は、きっと
「あ、わかった、わかったから。そういうこと」
国分寺もその哀れさに流石に見ていられなかったのだろう。そう言って俺の動きを止める。
取りあえず、深呼吸をする。もう口から出してしまったものは仕様がない。とにかく、落ち着くことが第一優先である。
「そ、それで、どうかな」
ばくばくと高鳴る心臓を押さえながら、そう訊ねる。
告白をしている気分である。したことないのでよくわからないが。
「う、うん。そういうことなら、大丈夫。千歳ちゃんも来るんだよね?」
「うん、たぶん」
どうやら、了承してくれたようだ。妹が来ることをやたらと強調されたことには、一抹の悲しさを感じずにはいられないが。
「えっと、じゃあ、連絡先……」
「あ、そか」
そう言ってカバンを漁る国分寺。俺も胸ポケットから携帯を取り出す。
疎遠になる前は携帯電話など持っていなかったので、連絡先を知らないのだ。
「……これ、振ればいいの?」
「たぶん……」
昔は赤外線通信でパパッと連絡先を交換できたのに、赤外線通信機能が無くなってから、連絡先の交換がどうすればいいのかよくわからなくなった。
あれ、便利だったんだけどなぁ。
「千歳にも教えていい?」
「うん。もちろん」
ぎこちなく連絡先を交換し終わった後、事前にそう訊いておく。
おそらく妹も連絡先を知りたがるので、その確認である。
「……今日、緑化部は?」
一通り話が終わり、一安心している俺に、国分寺はそう訊ねてくる。
「今日は週で唯一の強制参加の日だよ。まぁ、遅刻だけど」
「……そっか」
なんだか、心なしか国分寺ががっかりしたように見えた。
「てか、なんで俺の部活しってんの?」
「昨日、後輩ちゃんと話してるの聞こえたから」
「あー……」
そういえばそんなこともあった。
今更ながら、教室中の注目を浴びていたことが恥ずかしくなってくる。完全に小日向の巻き添えである。
「……国分寺は? 部活……」
「……帰宅部。大学に行くために予備校に通ってるの」
「ふぅん」
「それじゃ、また。何か決まったら、連絡するよ」
「う、うん。またね」
そう言って国分寺と別れて、緑化部の部室に向かう。
最後の方は、なんとか普通に話せていたと思う。
大きな前進だった。今晩の妹への報告がすでに楽しみになっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます