第4話
「昨日、小日向が来た」
「へぇー」
翌日、朝のHR前の教室で、恭介が話しかけてくる。
内容は、昨日、俺らの後輩である小日向咲良がサッカー部の仮入部に来たという話。
昨日の俺の予想通りだった。
「でも、すぐ帰った」
「……なんで」
「さあ?」
しかし流石は残念の代名詞、小日向。その行動は俺の想像をはるかに凌駕する。
訊けば、サッカー部の部室に顔を出した小日向は、すぐに何事かワーワー騒いで、飛び出していったのだという。
何事か、というところが気になるところだが、そこを掘り下げようとしても、恭介はニヤニヤと笑って答えてくれない。ニヤケ面に腹が立ったので、取りあえず肩を殴っておく。
結局そのあとも小日向が騒いでいた内容は教えてもらえなかったのだが、それを恭介から聞き出す前に、俺は自分で知ることとなった。
それは、昼休み。今日も恭介と優雅なランチタイムと洒落込んでいた俺の耳に、雷鳴が轟く。
「せええんぱああぁい!!」
「ぶっ。ごほっ」
スパァン!という扉が開ききる音と、何者かの叫び声。
突然の出来事に、飲み込んだ米が器官に入ってむせる。
瞬間俺の頭によぎった思いは、へぇ、教室の扉を思いっきり開けたら、こんな音鳴るんだ。であった。
何事かと、開ききってなお勢い余って半分以上閉まった扉を見ると、
彼女は突然の大声で教室中の視線を独り占めしているが、そんなことは気にもしていないようで、キョロキョロ、いや、ギョロギョロと教室中を
「先輩っ!!」
「お、俺っ!?」
ツカツカと上履きを踏み鳴らして歩み寄ってくる小日向。正直、怖い。
正面を見れば、恭介が口元を押さえてピクピクと痙攣している。
「なぁんでサッカー部辞めてるんですかっ!?」
「は、はいっ?」
思い切り顔を俺に肉薄させてそう訊いてくる小日向。
唇を尖らせたらあわやキッスできそうな距離である。しないが。
「昨日、サッカー部行ったんですけど、先輩の姿がどこにもないじゃないですか? 須田先輩に訊いたら、『あぁ、あいつ辞めたよ』って答えるし! なんじゃあーって、なりますよそりゃ!」
須田先輩、とは、恭介のことだ。
しかし、なるほど。どうやら昨日小日向が騒いでいたこと、というのは俺がサッカー部を辞めたことのようだ。
「ついでに、今どこで何をしているのか訊いたら、『今俺と同じクラス。2年2組』って言うので、そりゃ殴り込みですよっ!」
「うん。普通先輩のクラスに殴り込みはしないね」
先輩のクラスでなくてもどうかと思うが。
それにしても、この事件の黒幕が判明した。
どうやら恭介は、こうなるであろうことを予測したうえで、小日向に俺のクラスを教えて、彼女が殴り込みに来るのを楽しみに待っていたようである。
腹を押さえてプククと堪えきれない息を漏らしている恭介。
「あうっ」
取りあえず肩を殴っておく。
「で、なんでサッカー部辞めたんですか!?」
グイと再び俺に肉薄すると、質問を浴びせかける小日向。
「なんでって……」
……なんでだっけ?
「今はどこの部に所属してるんですか!?」
「いや、早い早い! 質問の回転が早すぎる!」
俺がサッカー部を辞めたときのエピソードを思い起こそうとした瞬間には次の質問を繰り出してくる小日向。躾のなってない犬の如き我慢の無さである。
「い、今は緑化部ってとこに入ってるよ」
取りあえず、考えなくてもわかる質問だったので、すぐに答える。
「じゃあ、今日の放課後はそこに行きます! 首を洗って待ってるがいい!!」
およそ先輩にかける言葉とは思えない捨て台詞を残して、走り去る小日向。
その存在、まさしく嵐。文字通り、嵐の後の静けさが教室を支配する。
「いやぁ、アイツは相変わらず面白ぇのなー」
「お前、後で覚えてろよ……」
目尻に溜まった涙を
その頃には教室にはざわざわという喧騒が戻ってきていた。
やたらと俺に視線が注がれているように感じるのは、きっと気のせいだと思う。
思わず、はあ、とため息が一つ漏れる。
ちなみに、小日向事件のせいで昼休みに食いきれなかった弁当は、次の休み時間にちゃんと食いきった。
だが、流石は予測不能の代名詞、小日向咲良。事件はこれだけでは終わらなかった。
時間は6限目。本日最後、国語の授業。
満腹になった俺は、国語の授業という退屈さも
その瞬間、震える俺の胸ポケット。そして直後に鳴り響く「ピョロロロロ」という鳥の鳴き声。ご存じ、国民的連絡ツールの通知音だった。
一気に覚める俺の頭。必死に平静を取り
「おい、田村」
俺の席は一番前。当然、バレる。
「すいません。鍛えぬいた俺の大胸筋が唸りを上げました」
「ほう。鍛えぬいた大胸筋は鳥の鳴き声で唸るのか」
「はい」
適当な嘘をでっち上げる。咄嗟に寝起きで考えたにしては、完璧な嘘だった。
「……大胸筋はちゃんとマナーモードにしておけよ」
「はい。すいませんでした」
冗談はさておき、素直に謝る。教室内でひそひそと喧騒が生まれる。
流石に恥ずかしかった。
後で携帯を確認してみたら、小日向から「そういや、先輩の部活はどこでやってるんですか?」という連絡が来ていた。
入学してすぐ授業中に携帯をいじるとは、ふてぇヤツである。
マナーモードにしておかなかった自分の失態は棚に上げて、取りあえず小日向は後で
小日向一人に振り回される、散々な一日である。
◇ ◇ ◇
教室に来た小日向を連れた俺は、緑化部の部室に入る。
今日も今日とて、窓辺には部長が、一つの席には清水先輩が座っている。もはや二人はここに住んでいるのではないかとすら思える。
「あらら。田村くんが彼女さん連れてきたわー」
「先輩。あたしは彼女さんなんですか?」
「なんでお前は俺に訊くんだよ。違います部長。仮入部として来た新入生です」
「小日向 咲良です!」
「元気な子ねー。部長の
「先輩、美人さんですよ」
「……」
無礼にも部長を指さしてそんなことを抜かす小日向を、俺は完全に無視する。
そして、未だに本から顔を上げない清水先輩を指して、紹介する。
「あちらも俺の先輩の」
「清水
俺が紹介しようとするのを遮って自己紹介する清水先輩。
顔を上げないだけで、話はしっかり聞いているようである。
「ひえ。睨まれました」
「睨んでないぞ」
思ったことを何でも口に出す
「ごめんねぇ、咲良ちゃん。この人、眉間の筋肉が異常に発達してるから、どうしても睨んだみたいな顔になっちゃうのよー」
「な、なるほどです……」
「……なんか適当なこと言われてますよ」
「もういい。ほっとけ」
清水先輩はもうすでに本に目を落としていた。
「えっと、何したらいいんですか?」
適当な席に腰を落とした俺を見て、小日向は手持無沙汰そうに立ち尽くすと、みんなにそう訊いた。
「適当に」
「なにしてもいいのよー」
「……」
三者三様の返事(一人は返事もしてないが)を返す小日向の先輩たち。
「適当……なにしても……」
おっと、バカの頭がオーバーヒートしそうだ。
「取りあえず、座れよ」
「はいっ」
隣の席を指さしてそう言うと、素直に応じる小日向。
「課題とか、まだ出てない?」
「ないですねー……。あ、でも、春休みの宿題がまだ終わってないです」
「とことんがっかりだよ、お前には」
新入生の小日向が言う「春休みの宿題」というやつは、おそらく入学前にやっておけと学校から渡される、受験合格者用の書類に入っている課題のことだろう。
もう入学して三日目になる。まだ終わっていないのは流石に遅すぎる。
俺のそんな言葉を受けた小日向は、でへへと頭を掻いて笑っている。危機感ゼロである。
「……手伝ってやるから、今日中にそれ終わらすぞ」
「先輩! さては神ですねっ!」
「簡単になれる神もいたもんだ……」
調子の良い小日向は入学三日目でなぜそこまで汚くなったのかと突っ込みたいバッグの中身を「あれー?」などといいながら漁っている。思わず俺が「あーあー」と口に出すと、そんな俺らの様子をニコニコと見ている部長に気が付く。何だか気恥ずかしい。
「ありました! 英語と数学!」
小日向は少しクシャッとなった冊子を二冊、机の上に出す。
「……どんくらい終わってるの?」
「あたしが諦めたとこまでです」
質問の答えになっていなかった。
めくって見れば、英語はそこそこ、数学は全然という感じ。どうやら数学が苦手のようである。
「……はぁ、大した奴だよ、お前は」
「なんですか、急に褒めて。逆に怖いですよ」
褒めてなかった。
◇ ◇ ◇
結局、小日向の課題を終わらせる頃には、18時を回って外はすっかり暗くなっていた。
どっと疲れた俺は、「そろそろ帰ります。お騒がせしてすいませんでした」と先輩方に頭を下げると、小日向を連れて部室から出ようとする。
「咲良ちゃーん。明日もウチに来てくれるのー?」
その背中に、部長が声をかけてくる。
「はいっ! 来ます!」
「はぁっ!? 来んの?」
「え、ダメですか?」
「ダメじゃないわよー。田村くんもひどいこと言わないの」
どうやら明日もこの後輩に振り回されるようである。
とりあえずそのことは置いといて、俺は小日向に気になることを訊ねる。
「お前、サッカー部はいいの?」
すなわち、真っ先に部活見学に行ったサッカー部はどうするのかである。
「いいです、別に。だってサッカーってなんかルールが複雑で、よくわからないんですもん。結局3年間見ててもオフサイドって何なのかわかりませんでした」
その俺の問いに、元も子もない答えを返す小日向。さすがは残念の代名詞である。
「なので取りあえず、先輩が興味を持った場所に居てみます!」
そう言って俺を見ると、ニヘラと変な笑顔を見せる小日向。
そんな小日向に俺が何も言い返せずにいると、
「慕われてるわねー、田村くん」
部長がそんなことを言ってくる。
「……帰ります」
「はーい。また明日」
気恥ずかしくなった俺はそう言って頭を下げると、部室の扉を閉める。
「先輩、顔赤いですね」
「うっせ」
小日向は空気が読めなかった。
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