第3話
「お兄ちゃん、今日から授業?」
「おぉ」
「へぇー。大変だね、高校生。私はまだ午前で終わりだよ」
明らかに受験生である妹の方が長い目で見たら大変なのだが、そんな自分のことは棚に上げて、朝食を食べている妹はそう言う。
パンに、目玉焼き。俺はそれにコーヒーを。妹はココアを加えた朝食だ。
毎朝の食事も、妹が負担している。しかも、起きる時間もバラバラな家族に合わせて、いちいち目玉焼きを焼くという面倒なこともしている。
俺は別に冷めていても文句はないのだが、本人曰く、「どうせ作るなら、作り立ての暖かいおいしいうちに食べてほしい」とのこと。気持ちはわかる。
コーヒーを一口すする。コーヒーには砂糖もミルクも加えている。もちろん、ブラックも飲める。飲めるが、飲む意味は分からない。口に含んだ瞬間、苦味から鼻の上の辺りにグッと力が入る感じがして、不快だ。人はそれを「飲めない」と言うのかもしれない。
「ごっそさん」
「ん」
短い妹の返事。俺は椅子を引いて立つと、皿を片して身支度を整えるため、部屋に向かう。
妹は既に制服に着替え終わっているので、あとは歯を磨くだけだろう。
「今日、琴音お姉ちゃんと話す?」
「無茶言うな。話す姿を想像するだけでドキがムネムネして大変なんだよ」
「いくじなしだぁ」
家を出て肩を並べて歩く二人の、他愛もない会話。
妹は昨日から何度も俺に向かって「意気地なし」という。
みっともないので口には出さないが、俺が飛びぬけて意気地なしという訳ではないと思う。男の子はみんなそんなもんだろう。
だってそうだろう? 女の子は好きな男の子に話しかけに行く際、「ねえ、ちょっと緊張するからついてきてよ~」と女友達に頼むこともできるが、男の子はそうはいかない。
試しに頼んでみようものなら、「えぇ、何コイツ。きっも」となること請け合いだ。男から罵倒されても、ただ傷つくだけで何も嬉しくない。
つまり、男は常に単騎で戦場に臨むことを強要される。それってすごいことなんじゃないかな。そうでもない? あっそ。
そのうち、じゃあと短く言葉を交わして別れる俺と妹。
俺の通学時間に合わせて家を出ている妹は、自然とかなり早く学校に着くことになる。部活にも入ってない妹は、そんなに早く行って何をしているのかと聞くと、「勉強してる」のだという。
どこまでも出来た妹だった。
今日から、一週間の部活の仮入部期間が始まる。
校門を抜けた瞬間、部活勧誘の挨拶やチラシ配りに目を回す。俺は新入生ではないのだが、制服の外見から学年の区別がつかないうちの高校では、そんなことは言わなければわからない。
あと一週間の間、こんな朝が続くのかと思うと、早くも憂鬱だった。
そういえば、うちの部活は勧誘はしないのか、と部長に聞いたことがある。
部活に対してやる気があるのかないのかわからない部長は、「無理やり入れなくても、そのうち私たちみたいなのが勝手に入ってくれますよ~」と言っていた。
私たちみたいなの、という言葉の真意は不明だ。
「マイスター、今日部活は行くの?」
昼休み、一緒に昼食を食べている恭介の言葉だ。
もちろん俺のお弁当は妹お手製。一つは必ず俺の好物が入っている。中学生レベルをはるかに超えて、もはや嫁に出せるレベルの妹だ。お兄ちゃんは許しませんがね。
「いや、俺の部活、木曜日以外は出席自由だから」
「自由ったって、仮入部期間だろ? それでいいのか? 先輩として」
「勧誘とかしてないから、新入部員が来る可能性はかなり低いんだよな……」
しかし、恭介の意見はごもっともだった。
一応、顔は出そうかな、と思う。
「部活と言えばさ、小日向がこの高校来たらしいんだ。サッカー部に行くかも」
「お、まーじ? マネージャー少なくて困ってたんだよ」
中学からサッカーを続けている恭介は、俺の言葉に本気で嬉しそうに笑う。
一年の時は、「いいか、友よ。俺はマネージャーと部活終わりに体育倉庫でエッチなことをするのが夢だ」と熱く語っていた恭介だが、一年の高校生活を経て、そんなことはまさしく夢なのだと気付いたようで、もうそんな妄想は語らなくなった。
口から出さないだけで、まだ夢は見続けているかもしれないが。
そんな恭介だが、今回は単純にマネージャーが増える、ということが嬉しいようだ。
「お前、小日向はいやらしい目で見ないのな」
「んー。アイツも可愛いっちゃ可愛いんだがなぁ。なんか、見てると残念と言うか、話すともっと残念と言うか……」
小日向はとにかく残念な評価だった。
そんな話をしながらも、ときどきチラリと国分寺を見る。
彼女は女友達と机をくっつけて楽しそうに談笑している。
うん。あそこに割って入る勇気はない。無理だな。
そう考えた俺は、早々に彼女に話しかけることを諦めるのだった。
◇ ◇ ◇
「あれー、田村くん。珍しいですねー。木曜日じゃないのに」
放課後。校舎一階の空き教室。そこが俺が所属する「
活動方針は「学校を緑で埋め尽くそう」。それだけ聞くと、もはやテロである。
部室に足を踏み入れた瞬間、間延びした声で話しかけられる。部長だ。
「仮入部期間でしょう。先輩として、一応」
「どうせ誰も来ませんよー」
「それ言っちゃうんですか」
窓辺の椅子。それが彼女の特等席だった。
部長はいつもそこに座り、ぼうっとしているか本を読んでいる。
「あ、聞いてくださいよ、田村くん。また髪の毛のことで注意されたんですよ」
「……まぁ、そりゃね」
腰まで伸びた長髪。それに彼女は軽いパーマをかけている。もともと色素が薄く、茶色がかった髪を持つ彼女は、それがとてもよく似合う。
しかし、そこまで校則が厳しい学校ではないとはいえ、さすがに行き過ぎた制服の着崩しや、色気づいた髪型は教師の目に留まる。
注意しない教師もいるが、目敏くそれを注意して回る教師なんてのも、もちろんいるわけで。彼女はそんな教師陣の粛清対象だった。
「髪色は地毛だし、パーマだってガッツリはかけてないのにー」
「でも、かけてんだろ?」
俺と部長の会話に、部室内から男の声が加わる。
机の一つに腰掛けて本を読んでいる、清水先輩だった。
彼が声を発するとき、必ずと言っていいほど、眉間にしわが寄る。最初は、嫌われてるのだろうかとか、怒っているのだろうかと気になったが、どうやらそれが彼の素なのだと気付いてからは、気にならなくなった。
「かけてますけど、地毛だ! って言い張ってます」
「かけなきゃいいじゃないですか」
「いやですー。だって考えてみてくださいよ。私ももうすぐ華の女子大生なわけですよ? 髪型一つ綺麗にまとめられないまま進学してしまったら、都心暮らしのイケイケガールズにいじめられちゃいますよ。飲み物に雑巾のしぼり汁を入れられちゃいますー」
「いや、都心暮らしのイケイケガールズ陰湿だな」
部長のとんでもない偏見に、思わず敬語が抜けて突っ込んでしまう。
しかし部長は気を悪くした様子はなく、朗らかに笑っている。変な人だが、とても魅力的な先輩だった。
清水先輩はとっくに興味が尽きたようで、本に目を落としている。ブックカバーがついているので、何の本かはわからない。言ってしまえば興味もないが。
結局その後、初日から早速出された英語の課題をしていたが、新入生どころか他の部員も顔を出さないまま、時間だけが過ぎた。
他の部員、と言っても、残り3人の部員は幽霊部員で、1人以外顔も知らないのだが。
ちなみに、1人は一つ上の学年。2人は俺と同じ学年らしい。去年、部長が緑化部を立ち上げるために無理やり署名だけさせたと部長本人から聞いた。
何とも適当な部活だ。
ふわあ、と一つ
「俺、帰ります」
と一声かけて椅子から立つ。
「はいー」
「んー」
と、二人の先輩は本から顔も上げずに返事する。本当にこれは部活なのだろうか。今からでも遅くないから、「文化部」に改名した方がいいのではないかと、常々思う。文化部は既に存在しているが。
扉を開けて、一応最後にお辞儀をしてから扉を閉める。振り返って最後に見た部長は、俺に向かって手を振っていた。
なんだか、独特の雰囲気で、案外嫌いではない部活だ。
◇ ◇ ◇
「琴音お姉ちゃんと話した?」
「……お前、まさか毎日それ聞くつもりか?」
夕食を妹と二人でとっていると、朝にも聞いた覚えのある質問をされる。
別にその質問が嫌というわけではないが、何度も聞かれると流石にうんざりとしてくる。人間って、そういうもんだろう。
「えへへ、ごめんね。なんかすごい楽しみで」
しかし妹が無邪気にはにかみながらそう言うもんだから、完全に毒気を抜かれる。
兵器に運用可能なほどの癒しパワーだった。
「まぁ、頑張って機会は
大人しく、現状を妹に伝える。
つまりは、進展なしという意味だ。
「ふぅん。頑張ってね、お兄ちゃん」
「……あぁ、頑張るよ」
本当に。
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