第2話

 結局初日は始業式の後、LHRを行ってその日の授業は終了で、解散となった。

 まだ11時にもなっていない。早速、手持無沙汰となった。


「マイスター、帰る?」


 のろのろと帰る用意をしていると、恭介が声をかけてくる。


「あー……」


 なんとなく、俺はちらりと国分寺の席を見る。

 そこにはすでに彼女の姿は無く、どうやらさっさと帰ってしまったようだ。


「うん。帰る」

「おう。んじゃ一緒に帰ろうぜ」


 俺の通学時間は電車その他混み混みで1時間とちょっと。

 確かに高校の通学距離としては少し遠めで、俺の中学からの進学者は全然いない。地元まで一緒に帰ってくれる人間は貴重だった。


   ◇ ◇ ◇


「あれ、お兄ちゃん。早かったね」

「うーん。始業式で終わりだしね」

「そっか。私もそんな感じ」


 家に帰ると、妹は既に帰宅していた。

 どうやら中学も午前中で終わりだったようだ。


「お昼ごはん、まだ?」

「うん」

「私もまだだから、一緒に作っちゃうね。面倒だから、そうめんでいい?」

「なんでもー」


 妹は料理もできる。

 というか、家事全般を、我が家は妹に一任している。

 父親は昔から単身赴任。月に数回は帰ってくるが、普段いないことには変わりない。

 母親も普段は朝から晩まで仕事をしている。

 きっと二人とも、仕事が好きなのだろう。自慢の両親だ。

 でも、それでいいのかな、とも思う。


 間違いなく、うちは円満な家庭だ。喧嘩もしないし、父親が帰ってくる日は、母親も仕事を早く済ませて帰ってくるし、仲もよさそうだ。俺や妹にだって、たっぷり愛情を注いでくれている。それはわかる。

 しかし、根本が仕事人間の二人は、俺と妹が物心つくころには、家のことを子供二人に任せるようになった。

 お婆ちゃんの家に預けられることもあったりして、そのときにお婆ちゃんから料理を教わったりもした。

 最初は、俺が。当然年上なんだから、と言う理由。

 文句は無い。それもそうだ、と幼いながらも俺は思ったのを覚えている。


 そのうち、妹も料理を教わりたいと言い出した。

 お婆ちゃんの家にいるときは、お婆ちゃんから。実家にいるときは、俺から教わった妹は、みるみる上達し、やがて料理は自分にまかせてほしいとすら言い出した。

 そのまま洗濯、掃除とどんどん家事をマスターした妹は、結局中学生という身で我が家の家事一切いっさいを負担することとなっている。


 これでいいのかな、とは思う。

 じゃあ、お前がやれよ、とすら。

 でもどこかで、このままでいいじゃないか、と思う自分もいる。

 実際、今のままで我が家は良く回っている。妹だって、嫌々家事をしているわけでは無さそうで、自ら進んで引き受けてくれている。

 でも、そのせいなのか、妹は中学で彼氏も作らず、部活も入らず、家のことばかりに気を使っているきらいがある。


 どうしたらいいんだろうな、と。なんだかままならない日々だ。


「そうめん、出来たよ」

「お、さんきゅー」


 部屋で荷物を置いて制服を脱いだ俺がリビングに戻ると、すでにそうめんがテーブルの上に盛られていた。

 そうめんはゆで時間が飛びぬけて短い。実にすばらしい食べ物だ。


「小日向先輩には会えた?」

「ううん。流石に今日はな。午前中だけだったし、特に探しもしてないし」

「ふーん」


 そうめんを食べながら、俺らは他愛もない話をする。

 見慣れた、二人だけのいつもの食卓だ。


「……そういや、ちぃはさ。琴音が俺の高校にいるの、知ってた?」


 ちぃ、とは、妹のことだ。千歳ちとせという名前から、そう呼んでいる。

 妹は国分寺のことを「琴音お姉ちゃん」と呼んで慕っている。流石にこの歳で女の子を、下の名前のさらに呼び捨てでは呼ばない俺だが、妹に彼女の話を振るならと、とりあえず下の名前で呼ぶ。


「え、お兄ちゃん知らなかったの?」

「知らなかったの」


 どうやら妹は知っていたようで、俺がそれを知らなかったことに目を剥いて驚愕している。


「はえ~。まぁ、めっきり遊ばなくなっちゃったしね。でも昔、お兄ちゃんは琴音お姉ちゃんのこと好きだったじゃん。あれはどうなったの?」

「ぶっ」


 突然妹に変なところを突かれてそうめんを吹き出す。

 それを見た妹は汚そうに眉を顰めている。


「な、なんのことかな……?」

「あれ、バレてないと思ってたの? 小学生からしても、好きなのバレバレだったのに」

「……」


 そう言って妹はくすくすと笑う。

 俺はその言葉にうまく返事を出来ず、口を尖らせるだけだった。

 

「でも、なんで急に琴音お姉ちゃんの話?」


 当然の疑問だった。


「同じクラスになったの」


 沈黙。俺がそうめんをすする音のみがリビングに響く。


「ええぇぇ!?」

「な、なんだ! 敵襲か!?」


 突然、妹が大声を出す。

 びっくりして尻が浮いた。


「お、お兄ちゃん、それはチャンスだよ!」

「なんのだよ?」

「琴音お姉ちゃんと復縁するチャンス!」

「復縁って、こういう場合でも使うの?」


 謎だった。


「とにかく! これを機に琴音お姉ちゃんとまた仲良くなってさ、一緒に遊べるようになるんだよ!」

「馬鹿野郎お前。男子高校生の初心ウブな心なめんなよお前。女の子に話しかけるためには、心を決めるのに基本3か月はかかると思え」

「なっがすぎ! いくじなし!」


 ごもっともな意見だ。


「というか、別に俺が疎遠になっていようが、お前は琴音と遊んだりできるだろう」


 俺は男で、妹は女。女同士で、昔からの知り合いと遊んだりショッピングなんていうのはありきたりな話だろう。

 そこにわざわざ俺が介入する必要なんて、これっぽっちも感じない。


 だが、妹はそんな俺の言葉に、少なからずショックを受けたように見えた。

 少しの沈黙。


「……そういうことじゃ、ないんだ」


 視線を俺の目から少し下げた妹の、小さな呟きだった。

 いったい、どういうことなんだろう。

 それから会話は無くなり、二人だけのリビングはそうめんをすする音のみが支配した。


   ◇ ◇ ◇


 少し昼寝をするつもりが、気付いたら夕方で、お天道様も顔をひっこめはじめていた。

 その光景をぼうっと見ながら、俺はお昼に妹が言っていた言葉の意味を考える。


 そういうことじゃない、とは。

 妹が国分寺と遊びたい、というのは本心だろう。あからさまに、妹は彼女のことが大好きなのだし。

 でもなぜ、そこに俺がいる必要があるのだろうか。

 確かに妹の言うとおり、俺は昔、国分寺のことが好きだった。

 そりゃ美少女と、四六時中と言っていいほどの時間を共有したのだ。幼心とはいえ、惚れない方がおかしい。そんなヤツがいたら、そいつはEDだろう。間違いない。

 少年ED。映画にありそうなタイトルだった。

 とにかく、確かに昔は好きだったが、今はどうかと聞かれれば、うーん、微妙。と答える。

 国分寺は美少女だ。そんな女の子と付き合えるなら、それ以上の幸せは無いだろう。でも、それは好きという感情か、と聞かれれば、多分違うと思う。

 そもそも今、国分寺に彼氏がいるのかどうかすらもわからない。いや、いると考えておこう。その方がいるとわかったときの心のダメージが少ない。


 そんなことは、妹だってわかっているはずだ。あの子はバカじゃない。勉強だってできる。今年は中学3年で受験生なわけだが、特に心配もない。そのくらいには頭がいい。

 そんな妹が、俺と国分寺を付き合わせよう、と考えているとは、とてもじゃないが思えなかった。


 じゃあ、どういうことなんだろうな、と思う。

 なんで妹は、俺の言葉にあんなにショックを受けていたのだろう。

 昼食の時、ショックを受けて俯いた妹の様子を思い出し、少しイラっとする。

 そんな仕草をする妹にも、そんな思いをさせた無神経な俺自身にも。


 もしかして妹は、俺と国分寺と妹の3人で遊んでいた昔に、少し依存しているのかもしれない。楽しかった思い出、というやつだ。

 きっとあの頃のように、3人で肩を並べて歩きたい、という思いなのだろう。


 そう結論付けた俺は、部屋を後にし、リビングに下りる。

 リビングでは、ソファにぐでっとなった妹が、テレビを見ていた。

 天気予報。明日も晴れのようだった。花粉症もちからしたら、憂鬱な天気。

 そっと、妹の隣に座る。

 座った俺をちらっと見た妹は、一瞬だけもぞりと姿勢を正そうと動くが、力が入らなかったのだろう。早々に諦めてまたぐでっとする。


「今度、琴音に話しかけてみるよ」

「……ほんとっ?」


 テレビを見ながらの俺の呟きを、一瞬吟味したように反応を遅らせた妹は、ぱあっと表情を明るくする。


「『千歳が久しぶりに会いたがってる』って話しかけるつもり。話題くらいにはなってくれよ」

「いいよ、いいよ。やった」


 まだ本人に話しかけてもいないのに、妹はるんるんだ。

 ぐでっとなったまま、ニヒヒと年相応な笑みを顔に張り付けている。


「ただし! やっぱり女の子に話しかけるには勇気が必要だからな。明日早速とかは俺としてもキツイ。少し待ってくれ」

「…………いくじなし」


 仕方ないじゃないか。

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