気まぐれな世界は淡々と

くーのすけ

第1話

「春ってさ、好きだけど、嫌いだな」


 家を出た直後の、妹のセリフだった。


「……はぁ」


 扉を抜けて少し進んだ場所で靴紐を結んでいた俺は、適当な相槌を打つ。

 なんだかよくわからない妹の呟き。とりあえず、先を促すという意味を込めてそれ以上の言葉は発しなかった。

 しかし妹的にはどうやら特に意味もない、誰に向けてという言葉ではなかったらしく、玄関にカギをかけて、そのカギをカバンにしまうと、学校に向けて歩き出す。


「……どういう意味?」


 仕方がないので、隣について歩き出した俺が、そう言って続きを促す。

 その俺の言葉にぱちくりと瞬きした妹は、顎に手を当てて考え出す。


「うーん……。何ていうのかな? 出会いの季節でわくわくーってのもあるし、その逆、別れの季節ではらはらーっていう気持ちもあるじゃん?」

「あるね」


 はらはらっていう擬音はどうかと思うが。


「だからなんか、うーん。なんというか……よくわかんない」

「なんじゃそら」


 そう言い放った妹は俺に向かってにへらと笑う。

 どうやら本当に大した意味もない呟きだったようだ。


「俺は、春は大嫌いだよ」

「なんで? ……あぁ。花粉症ね」


 なんでという妹の問いに、俺は装備しているマスクを指先で叩いてアピールする。


「お兄ちゃん、大変だもんね」

「俺からしたら、なぜ妹のお前が平気なのだとこの世界に憤りを感じずにはいられんよ」

「それは、日ごろの行いかな」


 どこにでもある。日常の風景。

 今日は4月の第2週月曜日。つまり、進級して初めての登校日だ。

 高校2年生に進級した俺も、妹と同じようにわくわくはらはらしてるのだろうか。

 なんだか、大してそうは思えなかった。


「あ、そういえばね。あの、私の一つ上の先輩。小日向こひなた先輩がね」

「うん?」

「お兄ちゃんの高校通うんだってさ」

「まじか」


 わくわく要素が加わった。

 小日向 咲良さくら。俺にとっては一つ下の後輩で、妹にとっては一つ上の先輩だ。天真爛漫一歩手前の正直少し喧しい女の子で、背が低く、ちょこちょこと走り回る姿が何とも愛らしいと評判だった。

 中学時代サッカー部で俺は部員、小日向はマネージャーという立場で、関わりがあったのだ。


「どこ情報?」

「本人。こないだ商店街で偶然会ってね。『私、ギリギリで受験通ったんで、勉強とかやばいとこあったらよろしくですー』って伝えてだってさ」

「……そういや、あいつはなかなかのバカだったな」


 はらはら要素も加わる。

 なるほど、妹が言ってたのはこういうことなんだな。と思う。多分違う。

 わくわく要素もはらはら要素も併せ持つ一人の女の子。素晴らしい。


 妹とは家を出て少ししたところの交差点で、妹は中学へ、俺は駅へ向かうために別れる。

 そんな距離のために、わざわざ一緒に家を出る必要はないとは思うのだが、なんとなく、習慣だった。

 妹離れがいつできるのか、我ながら心配だった。


   ◇ ◇ ◇


「おっす、マイスター」


 高校の正門を通ったところで、1年の頃クラスメイトだった拓海たくみが声をかけてくる。

 ちなみに、マイスターとは俺のあだ名だ。

 由来を聞くと、『妄想の巨匠』ということらしい。意味不明だった。


 妄想の巨匠、などと言われても、なぜそんな呼び方をされるようになったのか、我ながらわからない。

 1年の頃を思い返しても、「好きな女子のタイプは?」という質問に対して、「顔を見た瞬間に自分とベッドインする姿を想像できる女子」と答えたこととか、

 キツイ女教師にこってり説教を食らった男に向かって、「まぁ落ちつけよ。あの教師が俺らをいじめることで興奮するタチの、ヘンタイドS女王だと思えばさ、こっちも興奮しない?」と言ったこととか、

 水泳の授業中に、「フランス語って単語ごとに性別が決まってるんだってさ。もしプールが女だったらさ、実質この水泳っていうのは、俺とプールの交尾だよな」と言ったこととかしかない。

 どれも些末な出来事で、そんなあだ名をつけられる謂れはないだろう。とにかく、呼ばれる原因は分からなかった。


「おお。拓海。クラス替えの掲示、もう見た?」

「いんや、まだ」


 由来はどうあれ、「マイスター」という響きはそれなりにかっこいいので気に入っている俺は、特に否定したりはしない。

 大人の寛容さ。俺の魅力の一つさ。


「いやぁ。マイスター語録が埋まっていくのは楽しいからな。今年も同じクラスがいいな」

「……」


 不吉な単語が拓海の口からこんにちはしたが、俺はスルーする。


「お、集まってる集まってる。ちょっと待たなきゃ見れないなこりゃ」


 2年生用の昇降口、げた箱をこえてまっすぐ行けば、そこが掲示板だ。

 わらわらと集まる新2年生。とてもじゃないが、拓海の言うとおり、クラスの割り当てがわかる掲示物まではたどり着けそうになかった。


「お、あったあった。あぁー! マイスターとクラス違うじゃん! まぁ隣だし、許容範囲かぁ?」

「……」

「マイスター?」


 隣でショックを受けている拓海。自分と違うクラスになることをこんなに嘆いてくれるとは、友達冥利に尽きるというものだが、俺はそれにうまく反応できなかった。

 自分のクラスにあった、ある名前に目を奪われて。


国分寺こくぶんじ 琴音ことねね……」

「国分寺? あぁ、あの子ね。そんな目立つタイプの女の子じゃないけど、確かに整った顔立ちに、ほがらかな人柄。隠れファンも多いよな。なに、お前もそのクチ?」


 女の子の話になった瞬間、やたらとよく回る拓海の口。

 いったいどこからここまでのデータを集めているのか、いつも不思議だ。


「……いや、幼馴染ってやつなのかな」

「はぁっ!?」

「うおっ、耳痛ぇ!」


 こだます拓海の驚愕の声。間近でその攻撃を受けた俺の耳は悲鳴を上げる。


「お、おまおま……。お前! 幼馴染なんていう、うらやまけしからん関係の女の子がいたのかっ! しかも相手は国分寺! これが驚かずにいられますかいっ!」

「うげげぇ、苦しいですぅ」


 おまおま唱えながら、俺の胸ぐらをつかんでがくんがくん揺する拓海。何やら勘違いしている。


「げほっ。幼馴染なんて言っても、中学上がってからは全然話しもしなくなったよ。この高校に進んでたのだって、今知ったくらいだし」

「いけしゃあしゃあと、何を言ってんのかねぇ、こいつは」

「本当だって! 家がご近所なんだけどさ。俺んちの周り、同世代の子供少ないからさ。小さい頃はその縁でよく遊んでたんだよ」

「家がご近所って時点で有罪ギルティだ! 殺す!」

「ぎえぇーっ! コイツ話通じねぇ!」


 全然聞いてもらえなかった。


 国分寺 琴音。何やら由緒正しきお嬢様のような名前だが、特にそんなことはない一般家庭の一人娘だ。「邦楽部部長」という肩書で琴でも弾いていそうな物腰柔らかな動作が特徴的な女の子。まぁ実際は邦楽部ではなく、中学時代は「家庭調理部」などという料理をする部活に入っていた。がっかりかって? とんでもない。男心をよくわかっていると感心したよ。

 とにかく、そんな魅力的な女の子。そんな彼女だ、当然世の男どもは放っておかない。それはそれはモテていた。

 中学に上がった頃に、何だか「住む世界が違う」と後ろめたさを感じた俺は、新しい環境に慣れていくと同時に、少しずつ彼女とは疎遠になっていった。

 とはいっても、密かな恋心を彼女に向けて確かに抱いていた俺は、しばらく未練たらたらに目で追いかけていたのだが、


「……いつの間に、忘れるくらい気にならなくなってたんだな」

「あぁ?」

「いんや、なんでもない」


 ボソリと呟いた俺を、しっかりと拓海は睨んでくる。

 恐ろしさすら感じるその視線から逃れようと、俺はそそくさと割り当てられた自分のクラスに向かう。


「ンじゃ。また今度なぁー。ときどきクラスに遊びに行くわ」

「おう。待ってる」


 さっきまで思い切り首を絞めていたのが嘘のように、けろっとした表情でそう言う拓海。

 そんなさばさばした性格も、彼が周囲に人気のある理由の一つだと、俺は思っている。


 黒板にはもう各自の席を示したプリントが張られていて、そのプリントの通りに俺は自分の席に座る。

 ちなみに席は一番前。最悪だった。


「よおマイスター。まーた同じクラスだな。今年もよろしく」

恭介きょうすけか。同じクラスだったんだな」

「あれ、気付いてなかったんか。なかなか寂しいぞ」


 そういって大げさに床にへたり込むと、「よよよ」と泣きまねをする恭介。

 こいつは中学時代からの腐れ縁だ。ちなみに、俺にマイスターとあだ名をつけた張本人でもあるらしい。

 真偽は定かではない。


「床に座るなよ。きったねぇぞ」

「まだ新学期始まってすぐだから、余裕。全然汚くねぇ」


 謎理論だった。


「にしても、国分寺も同じクラスなのなー」

「あれ。恭介、国分寺のこと知ってんの?」

「おいおい。俺とお前の中学からこの高校に上がったヤツなんて、多分5人くらいしかいないんだぞ? それに相手はあの学校のマドンナ、国分寺 琴音。知らねぇヤツなんていないだろ」


 知らねぇヤツ、ここにいました。

 とは口に出さずに、「へぇー」と適当な相槌を返しておく。


「てか、学校のマドンナって、初めて聞いたぞ」

「そうか? 結構有名だったけどな」

「あぁいや、そういう意味じゃなく。そんなセリフ回しするヤツ初めて見たってこと」

「あ、そゆこと」


 へへへと人懐こい顔で笑う恭介。

 オーバーなアクションと足りないデリカシーのせいで女子からの評価は芳しくない恭介だが、男連中からは結構人気だ。

 俺も、コイツのことは嫌いじゃない。好きって言うと誤解が生まれるから、嫌いじゃないと言っておく。「嫌いじゃない」、なんだか硬派なヤツのセリフっぽくてかっこいいし。


「お、噂をすればマドンナだ」

「影が差す、な」


 謎のことわざを駆使した恭介は扉を凝視する。

 いや、ガン見しすぎだろ。とあきれつつも、俺もその視線の先を見てみる。

 美少女がそこにいた。


「ほああぁ……。美少女やでぇ。国の宝だな。眼福眼福」

「……」


 昔からかわいい子だったが、高校に入ってしばらく経ち、更にあか抜けて可愛くなっている。

 ため息が漏れる。


「マイスター?」

「……ん?」

「見すぎな」


 俺をちらりと見るとそんなことを抜かす恭介。

 お前が言うな。とは思うが、それよりも問題は、確かに俺が見すぎていたことで。

 クラス替え。新しい教室。入った瞬間、当然その美少女もまずはクラスを見渡すわけで。

 俺がガン見していたら、必然的にそのうち、目が合ってしまうわけで。


「……」


 気まずい。


「お?」


 ふい、と不自然なほど無理やり視線をそらされ、そそくさと逃げるように自分の席に向かう美少女。

 その様子に、恭介は目を丸くして驚く。


「なに、マイスターお前。マドンナに嫌われてんの?」

「……そうっぽい」

「よし、じゃあお前といたら俺も嫌われちまう。さらばだ友よ。離れても俺らは友達だ」

「いや薄情極まりないな!?」


 またもやへへへと笑うと手をヒラヒラさせながら自分の席に戻る恭介。

 その瞬間、キンコンとHRの開始を告げるチャイムが鳴る。

 どうやら、恭介は時間をしっかり見ていたようである。


 その後、新しい担任と名乗る男も教室に入ってくる。

 なんというか、担任は普通の人だった。


 それにしても、と思う。

 いくら関係は疎遠になったと言っても、嫌われるようなことはしたかな、と。

 結局その日、国分寺と話すことは無かった。

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