お涙頂戴




  ※ 都合のいい涙、売ります!







 小高い山の上にぽつんとある小屋。雨にうちひしがれ、いかにも長年耐えてきたという風構えの店である。そんな扉の横にある看板の文字を、注意深く見ている一人の客がいた。

 歳にして三十ほど。全身をスーツで包み、このみすぼらしい小屋には不相応な人物だ。ある思いを秘めて、その客は扉を開いた。


「いらっしゃい」


 しわがれた声が、正面から聞こえてきた。

 家の中には、窓と目の前のカウンターがあるばかりで、天井の申し訳程度の照明がその室内を照らす。継ぎ接ぎの木でできた床、デコボコとした目の前のカウンター。そこに、一人の老人が肘をついて座っていた。


「あの、これを見たんですけど」


 客はチラシをポケットから取り出す。

 小さな紙にはカプセル錠の写真と、表の看板と同じ文句が書いてあった。


「ああ、これね。私が麓の街で適当に貼ったやつだ」

「この効果のことなのですが……」


 薬の写真の下に説明欄がある。



(この薬を飲めば、いつでも自分の好きな時に泣けます。葬式で体裁良く泣きたい方、卒業式で冷たい人と言われたくない方はぜひお使いください)



 そんなことがでかでかと書かれていた。


「これは本当なのですか? 信じられないのですが」

「本当ですよ。なんなら一回試してみますか? こんな山奥まで来るとは、よほどの事情がおありのよう……」


 言いかけて、老人はふと思い出す。目の前の客は、つい最近テレビで目にしたことがある人物だった。


「ああ、あの病院の……」


 客は一つ、咳払いをする。


「そういうことです。人の死を悲しむ必要があるのですが、全く泣けないんです」

「ははあ……なるほど」


 事情を察した老人がそう言うと、カウンターに置いてあった箱から一錠の薬を取り出した。


「効果は一錠で二時間ほどです。まずは一回使ってみて下さい。涙は、悲しみの感情をほんの少し感じただけで出るようになります」


 客は言われた通り薬を飲み、ほんの少しの悲しみを感じようと努めた。


 ……しかし、全くと言っていいほど対象に悲しみなど抱かない。代わりに自分のペットが死んだ時のことを思い浮かべようとした時、老人は説明を付け加えた。


「泣くような思い出が一切ないというお客もいます。そんな時は、泣く相手との思い出を無理やり作る方法があります」


 思い出を無理やり作る? ノリ気にはなれなかったが、目を瞑ってそんな嘘を思い浮かべた。昔読んだ小説を記憶から引っ張り出し、対象との嘘の思い出を作った。

 するとどうだろう。客の顔に一筋、店内の照明に照らされた光の線ができた。頬をつたい、それは顎に集約され一粒の滴となる。

 演技めいたものはない、美しい涙だった。


「すごい……」

「そうでしょう。嘘の思い出の方が、涙の量がちょうどよくなるのです」

「買います! いくらでしょうか」

「一箱十錠入りが五万円です」


 破格の値段にたじろいだが、客は買う決心をすぐに固めた。


「それなら、二箱ください」

「そんなに必要ですか?」

「ええ、必要です。これからさらに必要となってきますよ」


 老人は悟ったように、ニヤリと笑った。


「頑張ってください」

「ええ、頑張ります」


 帰り際、嘘の思い出というバルブを、試しにもう一度緩めてみる。するとたちまち涙が一筋流れる。


 大丈夫だ。これなら……。


 涙の似合わない気味の悪い笑みを浮かべ、客は道を下っていった。





 T大学病院内の一室で、マスコミと被害者遺族が整然と座っていた。

 大学病院の医療ミス。その記者会見がこれから始まろうとしているのだ。


 しばらくすると、明滅するフラッシュの中、四人の医師が扉から入ってくる。二番目に入ってきた小太りの男が、渦中の人蜷川康介あぶかわこうすけである。一同が着席すると、左端にいる老齢の医師が口火を切る。


「本日はお集まりいただき、誠に恐縮です。蜷川康介の医療ミスに関してですが――」


 そこからは専門用語の混じった弁解が始まり、最後には医療ミスを認めないという病院側の意志が提示された。


 怒号に近い質問がマスコミ側から飛んでくる。それを合図とするように、すかさず蜷川がマイクを取った。


「医療ミスという認識は、自分にはありません。しかし、私が携わった手術で患者が亡くなったというのは、自分でも悲しいことでした。自分の腕がまだまだ未熟だったことが、悔しくて……」


 マイクを置き、表情を作る。するとその目から一筋、涙がこぼれた。

 その涙に一瞬、会場は静まり返った。




「ふざけないで!」


 その沈黙を破るように、一人の女性が立ち上がった。


「あなたが医療ミスをしたのはわかってる。私の夫を……あなたは殺したも同然なのよ!」


 マスコミ関係者は、一斉にこの女性にカメラを向ける。

 喪に服しているにも関わらず、いささか小綺麗なスーツを着ている。これから世間の注目の的になるであろうその女性に向かい、カメラはフラッシュを焚く。


 彼女の目には演技めいたものはない、美しい涙がこぼれていた。

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