第三話
「急いで準備をしなくちゃいけないわね。そうだ、占術師を呼んで、縁起の良い日を占ってもらって。それから、招待状も作って、花嫁衣装はどの仕立屋に頼もうかしら……ああ、でもその前に、会場はどこが良いかしら。ねえ、あなた?」
浮かれた様子で父を振り返った母を見て、コントラルトは溜息をついた。
「母様……何故、決闘をする前から、まるで結婚式でもするようなおつもりなのです」
オイセルストに申し込まれた決闘を受けて立ったその日、コントラルトが家に帰って来てみれば、浮かれまくっている母に出迎えられた。
噂が騎士団内に瞬く間に広まるであろうことは、その場に居合わせたイルゼイたち同僚の表情を見ていれば容易に想像できたが、まさかその日に実家にまで伝わっているとは思いもよらなかった。
しかも、コントラルトの母はいったい何をどう思ったのか、決闘の準備ではなく結婚式の準備をするつもりでいる。
「何故って、あなたの負けは決まっているのでしょう、コントラルト」
娘がそんなことを言い出す方がむしろ不思議だといわんばかりの顔で、母は首をかしげた。
「まだ負けていません!」
今日は不本意ながらも決闘をすると決まっただけで、まだ決闘自体はしていないのだ。
「あら。でも、オイセルストどのはそれはそれはお強いと聞いているわ。コントラルト、あなたは年甲斐もなく《戦乙女》とか呼ばれているけれど、それでも敵わないのでしょう?」
きっと母に悪気はないのだろうけれど、コントラルトが密かに気にしていることをズバリ言われてしまった。未婚であるため《戦乙女》などと呼ばれているが、コントラルトは今年で二十七歳になる。平均的貴族の子女ならば、結婚して子供が一人か二人か三人はいてもおかしくない歳だった。
「年甲斐もないは余計です! それに、わたしとてひとつの騎士団を任されているだけの自負はあります。決闘をする前から、負けるつもりでいるわけもありません」
負けた気になったのは確かだが、それは決闘を受けた直後の一時的だけだと自分を奮い立たせた。決闘をすると決まった以上、負けるつもりはまったくない。
「コントラルト。決闘なんかしないといけなくなるまで、オイセルストどのの求婚を断り続けてきたあなたが悪いのですよ。あなたがさっさと求婚を受け入れて結婚していれば、オイセルストどのと決闘をして負けることもなかったでしょうに」
深々と、呆れるような溜息をつかれる始末である。
「だからどうして、負けることがもう決まっているのですか」
「あんなにお綺麗な顔をした息子ができるかと思うと、母様、それだけでウキウキしてしまうわ」
母はコントラルトの言葉は完全に無視して、一人で言葉通りウキウキとしている。
「父様もなにか言ってやってくださいよ! まるでそこらの小娘のようなことを、母様が仰っていますよ」
コントラルトはたまらず父に助けを求めた。長椅子に座る父は、さっきからずっと黙ってコントラルトと母のやりとりを見ているだけであるが、暴走気味な母を抑えるのが、いつもの父だ。ところが、今日ばかりは違っていた。
「……母様の味方をするわけでもないが、コントラルト。おまえももうすぐ二十七。貴族の令嬢としては、かなりいき遅れているということを自覚していないわけではあるまい」
低い声が、コントラルトにずしりと響く。
「それは……」
自覚は、している。かなりどころかむしろ異常である。コントラルトの二つ下の妹は、六年前に結婚して四歳と一歳になる息子がいるのだ。
「適齢期を過ぎた娘――まして騎士などやっている娘をもらってくれる御仁など、もはやそうそういないぞ」
口数の少ない父だが、口を開けばその言葉はずっしりと重く、有無を言わさぬ強いものがあった。軽重はともかく、強さを秘めたその口調は少しだけオイセルストと似ているとふと思った。オイセルストのように自信過剰ではなく、むしろ控えめな父であるが。
「いえ、いないことはなかったのですが、それはオイセルストが」
片っ端から、それこそ奴が賞金首であった頃から叩き伏せていたのだ。
「オイセルストどのは、多少変わったところはあるが立派なお方だ。三年も待たせた、おまえが悪い」
父はきっぱりと断言し、母がにこにこと同意するように頷いた。
どうやら我が家に味方はいないらしい。コントラルトは諦観の境地で、溜息をついた。
○ ● ○ ● ○
「よお、コントラルト。結婚式の日取りは決まったか?」
訓練場の片隅で、ややもすれば下がりそうになる士気を高めるべく無心に素振りしていたコントラルトの元を、イルゼイが訪ねてきた。いや、用事のついでに立ち寄ったという程度の、気軽さである。その証拠に、からかうような冷やかすような表情と口調だった。
「……イルゼイ。決闘は五日後で、まだわたしの負けは決まっていないぞ」
手を止めて、コントラルトはじろりとイルゼイを睨む。どうして周りの人間たちは、誰も彼もが口を揃えてコントラルトの負けを疑わないのだろうか。士気が上がるどころか、むしろ削がれるばかりである。
「そう睨むな。せっかくの顔が、台無しだぞ」
イルゼイはそう言ったが、コントラルトの顔はどちらかといえば地味な方で、美人とは言い難い。王女の護衛騎士を兼任するようになってから、再び伸ばしはじめた金色の長い髪がなければ、ますます地味に見えること請け合いだ。自分でもそれを分かり切っているから、世辞を言われたところで素直に受け取る気にはなれない。
「生憎、惜しむような顔じゃない」
「相変わらず素直じゃないな、お前は」
「世辞を言われたところで、嬉しくなどないだけだ」
「世の姫君たちは、たとえ世辞と分かっていても喜ぶものだぞ――想いを寄せる男からの言葉ならば、なおさらな」
イルゼイは半分呆れ、半分からかうような笑みを浮かべた。
「……想いを寄せる男? 誰のことだ?」
付き合いが十年以上あるイルゼイから、今更世辞を言われたところで少しも嬉しくはない。それよりも気になるのは、イルゼイの言葉の後半部分だ。
会話の流れからして、『想いを寄せる男』の主語はコントラルトとしか考えられないが、生憎当のコントラルトは『想いを寄せる男』が誰なのか、思い付かない。まさか既に結婚して子供までいるイルゼイのことでもあるまい。
腕組みして頭をひねって考え込むコントラルトに、イルゼイは呆れた声をかける。
「おいおい、オイセルストのほかに誰がいるんだ」
「なんで、あいつがっ」
自分でも素っ頓狂だと思うほど裏返った声で、コントラルトは即座に反論していた。
「オイセルストじゃないが、照れ隠ししなくてもいいんだぞ、コントラルト。照れるような歳でもないだろうし」
「最後の一言は余計だ!」
母だけでなく、同僚にまで同じようなことを言われたくはない。
「まあ、歳の話は置いておくにしても、そろそろ素直になった方がいいんじゃないのか。あんまり意地を張っていると、オイセルストもついにあきらめてどこかの姫と結婚してしまうぞ」
「意地を張るもなにも、わたしはあいつのことは」
「なんとも思っていないわけじゃあるまい」
イルゼイの切り返しに、コントラルトはグッと言葉を飲み込んだ。認めたくはないが、図星だった。
○ ● ○ ● ○
一年前、国王の末姫カルティーナ王女が国内の巡視行啓をすることになり、王女の強い希望もあって、冬季の間だけという期間限定ではあったが、同行したことがある。
その際、見目の良い護衛騎士を連れている方が民に対する見栄えが良いということで、王族の護衛を務める《暁の盾》からは、見目麗しいとされる者たちを、同行する騎士として選抜することになった。
しかし、フィドゥルムの騎士団の中で最も構成人数が少ない《暁の盾》には、いざ選抜してみると、少ないだけに見目の良い者も少なく、思ったほどの人数を集めることができなかった。そこで、ほかの騎士団にまで範囲を広め改めて選抜をした結果、オイセルストも同行する騎士の一人に選ばれた。
コントラルトは《緋の夏陽》に、オイセルストは《蒼の冬月》にそれぞれ所属しているから、普段同じ任務につくことはない。だが、見た目の良い護衛騎士を連れ歩く方が良いという、宮廷文官たちの実を伴っていない理屈のために、同じ任務に――しかも数ヶ月間かかる任務につくことになったのだ。
オイセルストと顔を合わせる機会は当然多く、顔を合わせるたびに、奴の口説き文句とも戯言ともつかない話を聞く羽目になったわけである。
カルティーナ王女と共に王都を出発してから一月ほど経った頃、フローセンという地を訪れた。広い領内を巡視するため、当分の間フローセンの領主の城を拠点に動くこととなった。それまでは長くても二日程度しか滞在しないで移動と巡視を繰り返していたため、中休みも兼ねてのことであった。
フローセンは、フィドゥルムでも有数の広い領地を有しているが、その三分の一は《沈黙の森》と呼ばれる森に覆われている。
《沈黙の森》は魔物が数多く潜んでいるため、己の存在を気取られないよう口をつぐむからそう呼ばれるようになったとも、魔物に喰い殺されて二度と口をきくことができなくなるからそう呼ばれるようになったのだとも言われている。ともかく、数多の魔物が棲む森なので、入り口近くに入ることはあってもその奥にまで、更にはそこに居を構える者など滅多にいない。いや、もしかしたらフィドゥルムの歴史上、一人しかいなかったかもしれない。
かつて賞金首だった男が、その一人である。
オイセルストだ。
○ ● ○ ● ○
コントラルトが事務仕事をするために、フローセン領主の城にある書斎のひとつを借りているのだが、オイセルストにそれが知られてから、奴がちょくちょくやって来る。オイセルストはコントラルトが仕事に集中している間は、部屋の隅で椅子に座り黙って本を読んでいるので、追い出す口実がなかった。
コントラルトが手を休める時に、すっとそばに来てあれこれ話しかけてくるのである。
今日もいつの間にか書斎へ現れて、コントラルトが仕事をするのを一旦やめたと見るや、窓際にある机に優美な足取りでやって来た。
コントラルトは話を半分聞き流しながら窓の外の風景を見ていたのだが、コントラルトの視線の行方をたどっていたオイセルストの目に、《沈黙の森》が飛び込んできたのはその時だった。
「ここから、あの森が見えたんですか」
今まで何度となくこの部屋へ来ているのに、オイセルストはそのことに初めて気が付いたらしい。城から《沈黙の森》まで距離はあるが、窓が小さいわけでもあるまいし、フローセンに黒々と広がる森に気が付かないとは、よほど観察力のない者くらいではないだろうか。
「あの森の存在に気が付かないとは、貴様の目は存外節穴のようだな」
自信過剰気味なオイセルストにも、意外と抜けたところがあるではないか。そう思い、少し意地悪く言ってみたのだが。
「俺の目は、常にあなただけを見つめているので、余計なものは無意識のうちに排除してしまうんですよ、コントラルト」
オイセルストは臆面もなくそう切り返してきたので、コントラルトが閉口した。たまにはオイセルストが口ごもるところを見てみたかったのだが、この男相手ではそう簡単にはいかないらしい。
いつでもそうだったなと、《沈黙の森》を眺めながら思い出す。出会った時から、コントラルトはオイセルストの過剰なほど溢れかえっている自信と態度に振り回されている。それにもだいぶ慣れてきたと思うのは、それだけ多くの時間を奴と共有してきたからだろう。一方的に向こうから関わってくる場合がほとんどだったが。
コントラルトはあれこれと思い出していて気が付くのが遅れたが、そういえばさっきから、オイセルストが珍しく話しかけてこない。どうしたのかと思って隣に視線を向けると、オイセルストはじっと、遠くに広がる《沈黙の森》を見つめていた。その横顔は、いつものオイセルストらしくない、わずかに哀愁漂うものだった。
「……懐かしいですね」
ぽつりとそれだけを呟くが、表情は変わらない。楽しかった過去を懐かしんでいるわけではないように見えた。
それが、オイセルストの次の一言で確信に変わる。
「あの森が、俺の死に場所になるはずでした」
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