第二話
「コントラルト」
悄然と去っていく決闘の相手とは対照的に、オイセルストは喜色を浮かべコントラルトの方へと身をひるがえす。
昼下がりの決闘を見ようと集まっていた人垣の環は、少しずつ形を崩していく。しかしコントラルトは決闘が始まる前に立っていた位置から、まだ一歩も動かない。
「あなたに寄り付こうとする虫は追い払いましたから、安心してください」
コントラルトの目の前に来たオイセルストはそう言って、優美に腰を折る。そのオイセルストの耳に届くほどの溜息を、コントラルトは盛大についた。
「どうしました、コントラルト」
オイセルストが顔を上げ、コントラルトを見る。貴婦人から下働きの女たちまで、王宮の女性陣の熱い視線を集めてやまない造作の顔に、ちょっとした疑問が浮かぶ。
「さては、俺の勝利に喜び、安堵の溜息をついているのですね。安心してください、コントラルト。俺はいかなる敵が向かってこようとも、決して負けたりなどしません。だからどうか、その顔を彩るのなら不安ではなく、安堵を。悲しみではなく、喜びを。涙ではなく、あ――」
「オイセルスト」
それ以上彼の戯言を聞きつづけるつもりはないので、コントラルトはオイセルストの言葉を遮るように言葉を発した。
「――涙ではなく、愛を。無論、俺への」
遮った意味がまるでない。なんだと聞き返してもいい場面だと思うのだが、そうしないところがこのオイセルストという男の困ったところだ。とりあえず、自分の言いたいことを言わないと気が済まない。
「貴様、さっきから黙って聞いていれば言いたい放題好き勝手なことばかり。誰が貴様の心配などしている」
「では何故、この場に?」
「団内では私情による決闘は禁止されている」
コントラルトは強い口調できっぱりと言い、ついでにまだ近くで様子をうかがっているイルゼイたちも軽く睨め付ける。
「そうですね。しかし、コントラルト。ほかの男が未来の我が妻に求婚すると聞いては、いても立ってもいられなく」
「誰が未来の妻だ、誰が」
そろそろ集まった野次馬たちも三々五々、持ち場へ戻るなりしている。しかし、それでもまだ残っていた野次馬たちが、いまだその場に留まっているコントラルトたちに気付き、今度はコントラルトとオイセルストの二人を取り囲みはじめている。見れば、知った顔が多い。さっさと仕事に戻れと目で合図するが、彼らは軽く肩をすくめるだけで面白がるばかりである。最初から見物していたイルゼイたちに、今度は何事かと尋ねている騎士もいる。
「つれないですね、コントラルト。俺を《沈黙の森》から救い出してくれたのはあなただというのに」
オイセルストが少し不満そうに言い、周りの野次馬たちがそうだそうだとはやし立てる。
囚われの姫君よろしく、目の前の男が救い出されるさまをとっさに想像してしまうが、この男が何かから救われる図を、結局上手く思い描くことができなかった。
「《沈黙の森》には貴様が勝手に住み着いていただけだろう。わたしはあの時、貴様を倒すつもりで行ったのであって、救うつもりはさらさらなかったぞ」
三年前まで賞金首だったこの男は、魔物が多く棲む《沈黙の森》を住処に選ぶという、正気の沙汰とは思えない感性の持ち主だ。あのまま賞金首であった方が良かったのではと、時々――もちろん本気ではないが――思う。この男を倒そうと、うかつに《沈黙の森》へ乗り込んだのが失敗だった。コントラルトはこの男に取り憑かれることとなってしまったのだから。
まさに取り憑かれている。わたしに寄り付く最大の虫は貴様だろうと、コントラルトは眉根を寄せてオイセルストを見返してやる。
「いいえ、救われましたよ」
ところがオイセルストは急に真面目ぶった顔になり、深い青色の瞳がまっすぐにコントラルトを捉える。
「コントラルト。賞金首だった俺に挑んでくる男どもを蹴散らす不毛な日々から、俺が抜け出す切っ掛けを作ったのは、ほかならぬあなたです」
さっきまでの、どこまで本気だか冗談だか分からない態度とは打って変わって、しごく真面目で真摯な物言いに、コントラルトは言い返す言葉さえすぐには思い付かない。一年前、ふざけた様子も見せずにオイセルストが「本当に救われた」と語った時のことを、どうしても思い出してしまうからだ。あの時も、オイセルストはたいした前触れもなく真面目ぶって語り始めた。
そうなのだ。唐突に、オイセルストは真剣な物言いをする時がある。本人には口が裂けても言いたくないが、秀麗な顔立ちのオイセルストが向ける真剣な眼差しには、抗いがたい圧迫感があり、コントラルトは苦手だった。
「とはいえ」
そしてまた唐突に、元の態度と口調に戻る。瞬間的に固くなった場の雰囲気が一気にやわらぐのを感じ、コントラルトは内心胸をなで下ろす。あのままの眼差しであれ以上なにかを言われたら、毅然とした態度をとることができたかどうか正直自信がなかった。
「この俺を差し置いて、あなたへ求婚しようとする不届き者を片っ端からとりあえず排除してきましたが、コントラルト。これでは、三年前と変わりがない」
求婚者たちからしてみれば、決闘して邪魔しようとするオイセルストの方が不届き者な気はするが。
それはともかく、オイセルストがいつか『それ』を言い出すのではないかとコントラルトは危惧していた。オイセルストが気付かないのであれば、いっそずっと気付かなければいいと思ってさえいたのだが、さすがにそうはいかないようだ。
コントラルトへ求婚しようとする者にオイセルストが初めて決闘を吹っ掛たのは、オイセルストが騎士団へ入って間もなくのことだった。
元・賞金首でこの国最強と名高い男が決闘を申し込むとあって、その剣技はいかなるものかと物見高い者たちの間でその話は瞬く間に広まった。それから同じことが何度か繰り返されるうち、いつの間にか、コントラルトに求婚する者は、まずオイセルストと決闘をするという図式ができあがっていた。
三年前と、ほとんど変わらない状況である。《戦乙女》と結婚するために、オイセルストという賞金首に様々な男たちが挑みかかった時と、さほど変わらない。もっとも、今はその構図を生み出したのはオイセルスト自身であり、コントラルトはまたもや巻き込まれているだけなのだが。
「いいじゃないか。変わりがなくて大いに結構。わたしは当分結婚するつもりはないからな」
コントラルトは両足を踏ん張って腕組みし、鼻息も荒いという、乙女らしからぬ態度でオイセルストを見た。決闘は禁止されていると言っておきながら、今のセリフはどことなく矛盾しているような気はするが、結婚するつもりがないのは事実だ。
「俺以外の男とは、ということですよね、もちろん」
今までのやりとりとコントラルトの態度から、いったいどうすればそんな答えが導き出せるのだ。不思議でならない。
「貴様も含めてだ。当然だろう」
眉間にしわを寄せ、コントラルトは言い返す。同じようなやりとりをもう三年近く続けているというのに、オイセルストは一向にあきらめる様子がなかった。
「コントラルト、俺と結婚したくないと言うんですか。容姿端麗にして頭脳明晰、そのうえ品行方正で、おまけに騎士団最強どころか大陸最強のこの俺と」
「……貴様は相変わらず自信過剰だな」
いつの間に国で一番どころか、大陸で一番になったのだろうか。あくまで、オイセルストの中での話だが。
「俺は事実を言っているまでです」
オイセルストはどこからどう見ても本気であると分かる目で、じっとコントラルトを見つめ返した。
「……」
本人の言葉を認めるようで癪(しゃく)ではあるが、オイセルストの容姿は確かに優れている。こんな風にじっと見つめられれば、たちまちとろけるように崩れ落ちてしまうご婦人方も少なくはないだろう。
しかし、三年もの間似たようなやりとりを繰り返してきたコントラルトは――先程のように急に真面目な顔で真面目な物言いをする時は別だが――口説く時のオイセルストの顔はすっかり見慣れてしまっている。見つめられても、毛先ほども感情は動かない。今は、ただ単に呆れて言葉も出ないだけである。
「ふむ。コントラルト、あなたの照れ隠しにも困ったものです」
黙っていたところで、オイセルストの都合の良いように捉えられてしまうのが厄介ではある。
「いや、照れてない」
コントラルトは即座に否定するが、それはまるで聞こえていないかのようにオイセルストは勝手に話を進めていった。
「俺もこの三年、昼といわず夜といわず、あなたのために愛の言葉を紡いできたのですが、あなたにことごとく引きちぎられてしまい、繊細な俺の心はズタボロです」
「……どこが繊細なんだ、どこが」
誰よりも図太くできているだろう。その上頑丈だ。
「そこで、俺もここまではしたくはなかったのですが、最後の手段に出ようと思います」
「ほう」
コントラルトの話を聞かず、自分の進めたいように話を進めていく強引さはいつものことであるが、今日はどうもひと味違っているらしい。オイセルストの言う最後の手段がどんなものであるか、気になった。
「あなたの愛が得られないのであれば、騎士団を辞めて、いっそこの国を潰してしまいましょう」
「待て! ちょっと待て! なんでいきなりそうなるんだ!」
コントラルトの想像を超えた最後の手段に、思わず声を荒げていた。それは最後の手段と言うより、最終手段という気がする。最後と最終の違いはなにかと訊かれてもうまく答えられないが、とにかくそんな気がした。
「俺が騎士団へ入ったのは、あなたと結婚するためなんですよ。それなのにそれが叶わないというのであれば、騎士団に用はありません。失恋の痛手を癒すために、俺は再びさすらいの生活に戻ります。もしかしたら行く先々で、八つ当たりして暴れるかもしれません。心の痛みに流されるまま、ぺんぺん草も残らぬほど破壊の限りを尽くし、この世の果てまで突き進むしかありません」
この男が言うと、どんなに子供じみたことだとしても本当にやりかねないから恐ろしい。しかも、それを実現するだけの力を持っているのだから、なおさらだ。
「いや、オイセルスト。そんなことを言われても……貴様、また懸賞金をかけられるぞ」
「あなたを得られないのであれば、この世界に意味などありませんから」
どこか芝居がかってさえいる口調と態度で、オイセルストは切なげに柳眉をひそめる、
「オイセルスト。あのな」
「では手始めに、北の要塞を破壊しましょう。あそこがなくなれば、一気にデイルダの軍が流れ込むこと間違いなし」
なんだか今すぐにでも本当に行ってしまいそうなオイセルストに、コントラルトは半ば本気で焦ってしまった。
「そんな脅しは、卑怯だぞ!」
オイセルストはそう簡単に人の言うことを聞くような男ではない。わがままだ、と言われればそれまでだが、奴にはそれを貫き通すだけのものが備わっているのだ。
「ならば、正々堂々と行きましょう」
オイセルストがにっこりと笑う。もしや、コントラルトから卑怯という言葉を引き出すために、とんでもないご託を並べていたのだろうか。
「私、オイセルスト・ルフティヒ・シュナウツは、コントラルト・ヘイリー・ヴァルヒルムに決闘を申し込みます。我々の結婚をかけて」
右の拳を心臓のある位置にあて、オイセルストが宣言する。それが、決闘を申し込む時の姿勢である。
取り囲んで見物していた同僚たちが歓声を上げる。その騒ぎを聞き付け、まだ残っていた野次馬たちが、何事かと振り返った。
一方のコントラルトは、してやられたという気持ちでいっぱいだった。
コントラルトの立場上、団内で行われる決闘を見過ごすわけにはいかない。
しかし、しかしである。
ここで拒否すれば、オイセルストに敵わないから受けて立たないだの、受けないならば結婚してくれるんですねだの言われるに違いない。そんなことを言われるのはコントラルトの望むところではなく、また名誉の問題でもあった。
《緋の夏陽》の長としては、見過ごすわけにはいかない。しかし、一騎士としてこの決闘を断るのは、騎士の名折れ。
受けて立つしかない。これまではオイセルスト自身が始めたことのおかげもあって逃げられるだけ逃げてきたのに、ここに来て一気にツケを払うことになってしまった。
「……その決闘、受けて立とう」
コントラルトも右の拳を胸に当てる。
それから、コントラルトとオイセルストは胸に当てていた互いの拳を前に出して軽くぶつけ合った。これで、決闘を行うことが正式に決定したことになる。同僚たちが更に歓声を上げ、散っていた野次馬たちが再び集まりはじめていた。
コントラルトは決闘する前から、気持ち的には負けた気がしていた。
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