変わらない二人の結末

第一話

 すれ違った見習い騎士らしき少年が、彼女の姿を見るなり慌てて廊下の隅へ身を寄せて道を空けた。しかし、少年がわざわざ道を譲らなくとも、二人がすれ違うには十分すぎるほど廊下の幅はある。つまるところ、少年は彼女の気迫に驚き、思わず廊下の端へ避難したのだ。

 だが、今の彼女にそんな少年の行動など気に留めている余裕はなかった。正確には、そんなことを気に留める以前に違う事柄で頭がいっぱいだったのだ。そのせいでほとんど駆け足をするような速さで、肩を怒らせて歩いている。両のまなじりもつり上がっているのだから、今の彼女の様子を見れば、怒っていることは容易に察することができる。

 彼女が目指す場所――訓練場にたどり着いた時には、彼女の予想通り、訓練場の中心あたりに人だかりができていた。普段、訓練に励む騎士や見習い騎士たちの真剣な空気で満たされているそこは、今はヤジの飛び交う喧騒に包まれていた。

 訓練場を取り囲む回廊のひとつからその様子を見て、溜息ひとつついた彼女は、意を決するように顔を上げると訓練場の中へ踏み出した。廊下を歩いていた時と変わりない足取りで、人だかりに近付いていく。

「どいてくれないか」

 人だかりは、ある点を取り囲むようにほぼ円形に広がっていた。人垣の環の最後部にいる野次馬たちは、なんとか前の様子を見ようと背伸びをしたり、飛び跳ねたりしている。見習い騎士の少年が多いところを見ると、先輩騎士たちに後ろへと追いやられてしまったのだろう。

 喧騒に紛れて唐突に飛んできた女の声に、少年たちは慌てて振り返った。自分たちの背後から声をかけてきた人物が誰かを知るや、少年たちは言われた通り慌ててその場から二歩も三歩も下がり、彼女が環の中へ入る道を作る。

 彼女は同じようにどいてくれと言いながら、人垣の最前列を目指す。

「遅かったじゃないか、コントラルト」

 人をかき分けようやく先頭へ出られた彼女――コントラルトは、聞き慣れたその声の主をすぐに見つけられた。人を二人挟んだ右隣に、同僚の騎士イルゼイがしゃがんでいた。もっとも、コントラルトとイルゼイの間にいる二人も、同僚の騎士なのだが。

「もうすぐ始まるところだぞ」

「間に合って良かったじゃないか」

 あとの二人も、のんきそうにそう言って環の中心を指さした。

 そこには、二人の騎士が向かい合って立っている。人垣は、彼らを取り囲んでいるのだ。

 一人は、少しだけ気弱そうに見えたけれど、背筋をピンと伸ばして大地をしっかりと踏みつけて立っている。そしてその正面に立つもう一人は、黒髪を風にそよがせ悠然とたたずむだけでも一幅の絵になりそうな程に容貌の整った男である。気の弱そうな騎士に見覚えはないが、生憎もう一人は知っている。オイセルストだ。

「なにが『間に合って良かった』だ! どうして止めないで、のんきに見物しているんだ、貴様らは」

 周囲のヤジに負けないくらい声を張り上げ、コントラルトは同僚たちを叱咤した。

「我らが王国最強の騎士の剣技が見られるんだ。見習い騎士たちのいい勉強になる」

 しかし、イルゼイはコントラルトの言葉などまったく気にした風もなく、それどころかいかにももっともらしいことを言うが、

「まあ、それは横に置いといて、面白いしな」

「オイセルストに挑戦する無謀な奴がまだいたとはなぁ。もてるじゃないか、コントラルト」

 あとの二人が、イルゼイの建前を台無しにする本音を、あっさり白状した。

「面白がるんじゃない! 騎士団内の私的な決闘は禁止されているんだぞ」

 コントラルトが急いでこの場に駆け付けたのは、オイセルストが決闘をすると聞いたからだ。断じて、オイセルストの応援をするために駆け付けたわけではない。止めるために来たのだ。

 一応、騎士団の規律のひとつである。国を守る剣であり盾である騎士団は、同時に民への模範を示す存在でもある。民の模範たる騎士が、私闘をするなどあってはならない。

 あってはならないのだが、案外守られていない規律である。

 城下の酒場で杯を酌み交わしていた騎士たちが些細なことから口論を始め、果ては剣を抜いての喧嘩に発展しそうになったのを、決闘をすることで決着を付けたり、意中の姫君を巡って決闘をしたり、見習い騎士たちが騎士に倣ってしょうもない理由で決闘の真似事をしたり――もはやあってないような規律ではあるが、コントラルトは立場上、見逃すわけにはいかない。

 まして決闘の原因が自分にあるのでは。



 オイセルストは、三年前まで賞金首だった男だ。

 当時まだ騎士でもなく、流浪の旅を続ける剣士だったオイセルストは、腕が立つのに一向に国王どころかどの領主にも仕える素振りを見せなかった。いつか彼が王に弓引くことを恐れ、王宮は彼を賞金首として掲げたのである。

 そして、その時の懸賞金とされたのが、ほかならぬコントラルトであった。オイセルストを倒した男の妻に、その頃から既に《戦乙女》と呼ばれていたコントラルトを与えてやろうというわけであった。見合い相手や求婚者を叩きのめし、結婚する気が毛頭なかったコントラルトに困り果てた両親が、オイセルストが賞金首とされた時、その懸賞金にしてくれと自ら申し出たのだ。もちろん、コントラルトには内緒で。

 自分が懸賞金にされたことを知ったコントラルトは、自らオイセルストを倒せばどこの誰とも知らない男の妻になることもないことに気が付き、オイセルストの元に出向いたのだが――


「あなたと結婚するためです」


 オイセルストはそう言って騎士団に入ることを快諾し、晴れて賞金首ではなくなった。

 コントラルトは、オイセルストを倒しに行かなければ良かったと、何度後悔したか知れない。騎士団に入ってからのオイセルストは、真面目に出仕する一方で、ところ構わずコントラルトに求婚し続けてきた。コントラルトはその度断り続けているのだが、オイセルストはまったくめげることもなく、それどころかコントラルトに求婚しようとする男がいると知れば、それを阻むために決闘を申し込む始末だ。

 今日の決闘の理由も、それである。

 コントラルトの血筋は王族の直系に近いため、その家柄から求婚者は昔から後を絶たなかった。騎士になれば、求婚者たちも少しは減るだろうと思っていたのだが、思っていたよりも減ることはなかった。

 オイセルストが騎士団へ入り、コントラルトへの求婚者を決闘で叩きのめすようになってからは、賞金首にされるほど腕の立つオイセルストには敵わないとあきらめてさすがに減ってきた。しかしそれでも、オイセルストの体調がこれ以上にないほど悪いとかいう万が一の可能性にかけて決闘を、あるいはオイセルストの目を盗んで求婚をしようとする男がいないわけではなかった。

 オイセルストと対峙している騎士のことは名前も顔も知らない。名も顔も知られていない騎士では、彼には悪いがオイセルストには敵わないだろう。おそらくオイセルストの目を盗んで求婚するつもりだったのだろうが、奴に嗅ぎ付けられたのが、彼の運の尽きである。

 オイセルストは強い。奴の過剰すぎるほどの自信を抜きにしても、オイセルストは強かった。今は騎士団の一つ《蒼の冬月》の一騎士に過ぎないが、いずれ確実に団長の座に着くだろう。

 そんな男を相手に、いかにも気の弱そうなあの騎士が勝てるとは到底思えなかった。決着はあっという間に付くだろう。始める前から勝負の行方は見えたも同然であるが、それでも決闘は決闘である。《緋の夏陽》を預かり、更には王女の護衛騎士も務めるコントラルトの立場上、見過ごすわけにはいかないのだ。

「とにかく、今日という今日は止めてみせる!」

「まあ落ち着けって、コントラルト」

 コントラルトは鼻息も荒く、人垣の環から抜け出そうとしたのだが、イルゼイたち三人に寄ってたかって引き留められてしまった。

「《戦乙女》が乱入するのも面白そうだが、懸賞金は大人しく見守っておけ」

「誰が懸賞金だ!」

 不本意ながら、一時期確実にそうであった時もあったが、今は違う。

「似たようなもんじゃないか」

 確かに、オイセルストたちはコントラルトを巡って決闘を繰り広げようとしているのだから、似たようなモノと言えばそうに違いないだろうが、それを認めたくはない。私的な決闘は禁止されているのだし、モノ扱いはいやだ。

「それよりほら、愛しの君へ手でも振ってやったらどうだ。奴の士気が高まるぞ」

 イルゼイが、明らかにからかう口調でオイセルストを指さした。

 遠くからイルゼイに指されたことに気が付いたわけではないだろう。人垣の最前列でイルゼイたちとすったもんだしていた騒ぎに、気が付いたのだと思う。オイセルストは、コントラルトの姿を認めると、決闘直前の緊迫した時であろうというのに、さわやかな笑みを浮かべてヒラヒラと手を振って見せた。

「おお、おまえの思いが通じたみたいじゃないか、コントラルト」

「誰が愛しの君だ。それに何の思いがだ!」

「オイセルストの士気が高まったことに違いはないな」

「高めてどうする!」

「高まったところで、そろそろ始めてほしいな。あまりさぼっていると、下に示しがつかない」

 そう言った同僚を、コントラルトは呆れ顔で見返した。禁止されているはずの決闘を見物しようとしている時点で、既に示しはついていない気がする。

「おおーい。そろそろ始めてくれないか!」

 同僚はコントラルトの呆れ顔など気にすることもなく、それどころか大声でオイセルストたちを促した。

 それに答えるかのように、オイセルストが優雅に笑んだ。

 どうやら今回も、止めることに失敗したらしい。コントラルトはそれを悟ると深々と溜息をついた。


 ○ ● ○ ● ○


 笑みを浮かべる余裕のあるオイセルストとは対照的に、相手は緊張しまくった顔で、剣に手を伸ばしている。オイセルストも、それに倣い剣に手を伸ばす。

 二人共が剣を握った時点で決闘は開始される。開始を決めるのは当人たちだが、柄を握る前から既に駆け引きは始まっている。じりじりと少しずつ立ち位置を変えながら、気弱そうな騎士が自分に最も優位な間合いに詰め寄ろうとする。それまで飛び交っていたヤジや喚声はいつの間にかなくなり、全員が固唾をのんで行方を見守っていた。

 やがて、二振りの刃が陽光を弾いた。先に踏み込んだのはオイセルスト。

 目で追うのがやっとな程の速さで鞘走る剣先が、未だ抜刀しきっていない決闘相手の鍔元を押さえつける。

 相手の手元を縫うようにして振られた剣は、しかし彼のいかなる部分に傷を付けることもなく、正確に鍔を捉えていた。

 始まる前から予想はしていたが、呆気ないほどにあっさりと、決着はついた。

 再び、人垣から喚声が上がる。勝利を収めたオイセルストは、優雅な仕草で剣を鞘に収める。

 決闘の行方を仕方なく見守っていたコントラルトは、眉間にしわを寄せ、ひとり小さくうなった。

 悔しいことに、いつ見てもオイセルストの剣技はすごい。速さももちろん、その正確さにも思わず目を見張ってしまう。遠く離れた場所から見ていてでさえ、オイセルストが剣を抜く動作は驚くほど速かった。これが間近で対峙していた相手の目には、どれ程の速さで映ったのだろう。

 負けた決闘相手の騎士は、悔しげな表情で、完全に抜くことすら叶わなかった剣を鞘に収めると、くるりときびすを返し人垣を割っていずこかへ去っていった。

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