告白-3

 翌日は、時間があっという間に過ぎていったような気がする。

 僕と開耶は一緒に出店を切り盛りし、一緒にあちこちの出し物を見て回り、一緒に色々なものを食べた。

 気がついたら文化祭は終わっていて、僕も開耶も遊び疲れてくたくたになっていた。

 これほど楽しいと感じたことは、今までになかった。

 今まで生きてきて、今日が一番楽しかったように思えた。

 開耶も終始楽しそうにしてくれていて、それがなにより嬉しかった。

 文化祭終了後、三組の面々は簡単に教室の後片付けをしたが、机や椅子はまだ片付けられておらず、僕たちは一様に床に座り、教壇に立つ木下の言葉を聞く。終始三組にいて僕と行動を共にしていた開耶も、同様に床に座っている。

「よっしゃー、みんなお疲れーっ! 机は月曜の朝にでも戻しとこう! 今日はもうみんなだるいっしょ! じゃあ解散! 後夜祭は六時から体育館、自由参加だよ! お疲れっしたー!」

 木下は担任教師など完全にないがしろにして一人で締める。号令がかかり、三組の面々は立ち上がって帰る支度をしたり、後夜祭のために教室を出ていく。

 僕たちはどうしようかと思い、とりあえず立ち上がって大きく伸びをしていると、高城と山口が教室に入ってきた。山口は四組のほうにいたらしい。

「さくやん、一緒に後夜祭行かない?」

 開耶に近寄って、山口はそう誘いかける。さくやん、とは山口がつけたあだ名なのだろうか。昨日と今日で、ずいぶん二人は仲良くなったものだ。

「えっ……」

「盛大に騒ごうぜ! 上杉も行くよな?」

「行こ行こ! フィーバーしよ、フィーバー!」

 二人にぐいぐい押され、開耶は少し困っているようだった。それを見て思い出した。

「すまない、僕たちは行かない」

「えー、なんでー?」

「僕はともかく、開耶は疲れてるんだ」

「そっかー、じゃあ無理できないねえ」

 適当に嘘をつくと、山口と高城は折れた。

 それから二人はしばらく僕たちと談笑してから再び教室を出ていく。彼らが消えてから、開耶は申し訳なさそうに口を開いた。

「ごめんね、わたしのせいで」

「気にしなくていい。うるさくて人の多いところは嫌いなんだろう。さ、僕たちも帰ろう」

「ん……」

 ロッカーの上に置いた、二人分の荷物を持って教室から出る。開耶は後からとてとてとついてきた。

 階段で一階まで下りて、昇降口までの廊下を渡る。

「あ……開耶、ほら」

 そこでふと気づいて、僕は左の景色を指す。

 吹き抜けになっている地下の体育館の様子が、ガラス越しに上から覗けた。

 中では大勢の生徒たちがひしめき合っている。体育館中に並んでいるパイプ椅子はすでに満席で、立っている生徒たちも多い。全校の半数以上の生徒がいるだろう。舞台の幕が下りているところを見ると、まだ後夜祭は始まっていないのだろう。

「山口さんと高城さんも、あの中にいるかな」

「いるだろう。行く気満々だったからな」

 僕と開耶は二人並んで、体育館の様子を見降ろしていた。

 しばらくすると照明が落ちた。舞台の下手から一人の女子生徒が現れ、スポットライトで照らされる。何やら口上を述べた後、思いきり右手を突き上げた。それを合図に、わっ、と歓声が聞こえ、続いて幕が上がる。

 軽音部と思しき連中が、舞台の上でめいめいの楽器を手にしていた。演奏が始まると、一気に館内が盛り上がる。強化ガラス越しにでも歓声は聞こえ、熱気がここまで伝わってくる。

「いきなりすごい盛り上がり……」

 開耶はため息をついた。それから「いいなあ……」と、本当にうらやましそうに、そう呟く。

「何がいいんだ? もしかして軽音をやりたかったとかか?」

「ううん、違う。わたしも、あの中で騒いでいたかった」

「……? なら、今からでも行くか」

 うるさくて人の多いところは嫌いのはずなのに、開耶は騒いでいたいという。

 矛盾しているのではないかと思った。

 けれど開耶は、僕の言葉にふるふると首を横に振る。

「ううん、いいの。このままで」

「そう、か」

 隣の女の子は一歩前に進み、小さな手をガラスにつけて、下の光景を覗いていた。彼女はずっとそうして、根が生えたかのように動かなかった。どれほどそうしていたのだろうか、やがて開耶はその体勢のまま、か細い声で言う。

「…………ねえ、双葉くん……聞いてくれるかな……」

「なんだ、なんでも言ってみてくれ」

 幕が下りてまた上がった。



「わたしに友達がいないのは、わたしが悪いの」

 こんな言葉で、開耶は語り始めた。

「小学生の頃のわたしはね、病気がちでよく学校を休んでたんだ。そのころは友達がたくさんいてね、わたしが病気になってもしょっちゅうお見舞いに来てくれたし、夕方になるまでわたしの部屋で、お母さんも混ざってみんなでトランプしたりしてね、別にさみしくもなかった。でも、中学に上がってから、みんなが少しずつ変わっていったの。わたしは身体が丈夫になって、病気になりにくくなった。だから、友達とめいっぱい遊ぼうって思ってね。毎日友達と遊んでたんだ。でも、それが良くなかったのかな。わたしが、病気がちだったころの反動でやたらと遊びたがるのが、みんなには鬱陶しいって思われてたみたい。わたしは次第に、遊ぼうって言っても断られるようになった。そのうち誰も、わたしと遊んでくれなくなった」

 開耶は淡々と語っていく。ここまで長く話し続ける彼女を見るのは、パスタについて語っている時以来だった。

 しかし、開耶はまだ話し続ける。

「わたしはクラスでも浮いていって……最後にはだれからも相手にされなくなってた。気づいたら、給食のときも席をくっつけさせてもらえなくなった。二人組になる時はいつも最後まで余った。そんな日が続いて、気がついたらわたしは人と仲良くすることをあきらめて、自分の殻にとじこもってて。それで、高校に入ってからも、一度あきらめてねじれちゃった気持ちは、素直に戻らなくて、戻れなくて、わたしは誰とも仲良くできないままだった……」

「…………」

 ガラスにぴたと当てた開耶の両腕が震え始めた。直接は見えなかったが、ガラスに映った少女の顔は、今にも泣き出しそうだった。

「わたしは変わらなかった……変われなかった……みんなが変わっていって、なのにわたしは……わたしはいつまでも子供のままで……挙句の果てに、わたしは、自分が望まない形に変わっていっちゃった……」

「開耶」

「わたしは、情けなくて、弱い女の子なんだよ……」

 歓声が大きくなった気がした。

 下では楽しんでいる人間が何百といる。

 どうして開耶がその中に入れない。どうして開耶はひとり、こんなに悲しい思いを背負っている。

 どうしてこんな開耶を放っておいて、こいつらは能天気に騒いでいられる。

「わたしが弱いから、悪いん、だよね……」

 声は消え入りそうだった。すぐ近くの大歓声が邪魔で仕方がなかった。

 開耶がガラスから身を引き、僕のほうを向いた。直接見た彼女の顔は、涙を必死にこらえて、少し歪んでいる。

 そのさまが、どうしようもなく痛々しくて、切ない。

「ねえ、双葉くん。もしわたしがもっと強かったら、こんなふうに、自分からダメになっちゃうことなんてなかったのかな……ひとりでも、殻に閉じこもらないでがんばれたのかな……高校でがんばって、友達作ろうって思えたのかな……」

「……そうかもしれないが、だからって強くなる必要なんてない!」

 つい興奮して、早口でまくし立てていた。開耶はびっくりして、僕のことを見つめている。僕は口調をゆっくりなものにして、続けた。

「開耶は、他人ひとと仲良くしていたいという思いをとても大切にしていた、そうだろう。……けれど、うまくいかなかった。だが、それは誰のせいでもない。もちろん開耶のせいでもないんだ」

 僕のことをまっすぐ見つめる開耶の大きな黒い瞳は、水を限界まで溜めこんで潤んでいる。その華奢な身体を少しでも揺らしたら、そこからすぐに透明な珠が零れ出るのだろう。

「……僕は知っているんだ。自分がどんなに頑張っても、どんなに思いを乗せていても、それが相手に伝わらないことがあるということを。悔しいけれど、残念だけど、悲しいけれど、やるせないけれど、そういうことはあるんだ。無駄になってしまう、空回りしてしまう、水泡に帰してしまう、そういうことはあるんだ……! でもそれは、誰のせいでもないんだ……! そうとでも、そうとでも思わなければ……っ!」

 一度抑えたはずの感情が溢れ返り、口は勝手にどんどん言葉を紡いでいく。

 それは僕が嫌というほど知っていることだった。母親を助けたかったのに、好きだったのに、その思いは無残に壊され、もう戻らない。

 僕と開耶は同じなのだ。ともに思い破れ、変わってしまって今を生きている。

「わかってる……わかってた……でも、気づいたら、わたしはみんなから疎まれて、嫌われてた……もう、取り返しがつかなかった……」

 開耶はうつむいた。力なく下がった腕だけでなく、肩までも震えていた。

 そのまま、泣き出しそうな彼女の声が、口から床へとまっすぐに落ちていく。

「ごめんね、ごめんね……せっかく文化祭、双葉くんと一緒にすごく楽しめたのに、最後にこんなこと言って、台無しにしちゃって……わたし、ほんとうにバカで弱いよ……強くなって、我慢すれば、雰囲気を壊さないですんだのに……双葉くんも、気持ちよく帰れたのに……ほんとうに、ごめんね……」

「僕のことなんかどうでもいい。つらいのに、よく話してくれたな……ありがとう、開耶……」

 愛しかった。

 僕に対して心を開いて、痛みに耐えながらも話してくれる目の前の開耶のことが。

 僕にだけ、こうして本心で語ってくれる。語りたくないことでも、語ってくれる。

 これを愛しいと思わない人間などいるだろうか。

「開耶はただ、誰かと一緒に仲良くしていたかったんだな。ひとりが嫌だったんだな」

「うん……」

 言葉が途切れた。

「わたし、双葉くんに会えて本当に良かった……こんなわたしと、仲よくしてくれて……こんなわたしと、だよ……っう」

 開耶は言葉を詰まらせて、胸に手を当てた。瞳をぎゅっと閉じ、うつむいて、こらえきれない思いを必死に堰き止めているようだった。

「ひとつだけ、お願いが……聞いてほしいわがままがあるの……」

「一つなんてケチ臭いこと言うな。いくつでもいい」

「わ、わたしのこと……わたしのこと……」

 声は小さくなって消えてしまい、その先はなかった。

 あるいは下の騒ぎに掻き消されたのか。

 二十秒ほど無言になった後、開耶の小さな口が小さく動いた。

「…………嫌いに……ならないで……」

「…………」

 この女の子にとって、それは何よりも切実な願いなのだろう。奇妙な縁で僕と近づいて、付き合うことになって、デートもして。そんな中で、破れた自分の思いをもう一度叶えたいと思っているのだろう。

 僕は開耶に近づいて、よく聞こえるように言った。

「心配いらない。僕は開耶を嫌いになんか、なったりしない」

「う……」

 開耶は顔を上げた。その瞳には涙がたまっていて、廊下の蛍光灯の光をいくつも映していた。

 上目づかいに涙目で見られ、僕はもう矢も盾もたまらなかった。開耶の小さな背中に腕をまわして、抱き寄せる。

「わっ……」

 開耶が戸惑いと驚きと若干の恥じらいを混ぜたような声を小さく上げたが、このときばかりは意に介さない。

 彼女の体は、温かくて柔らかかった。女の子にまともに触ったことなど、これまでにない。女の子はみんなこのように温かくて柔らかいのか、あるいは開耶が特別こうなのか分かる由もないが、心地よかった。

「開耶の思いは破れただけ、まだ死んではいない。僕が受け取っている」

 それはいつからだったか。開耶と付き合うようになってからか。あるいは付き合うふりをし始めたころからだったか。それとも初めて開耶と出会ったときからか。いずれにしても、それはすでに僕が受け取っていたものだ。

 だからこそ、今まで開耶と一緒にいる。

「そして絶対にこぼしたりしない。ずっと一緒にいよう。嫌いになんかならない、なる理由がない」

 なぜなら僕が開耶に抱いている感情は、嫌いというものからもっとも遠い位置、対極にあるものだから。

 それをわかりやすく言いかえ、耳元でささやく。やっと口に出して伝えることができた、自分の思いのたけだった。

「ずっと言いたくて、でも怖くて言えなくて。でも、今こそ言わせて欲しい。僕は、開耶が好きなんだ」

「え……っ」

「優しい開耶が好きだ。こんな僕を認めてくれた開耶が好きだ。僕のそばで、静かに笑ってくれる開耶が好きだ。そして、僕にだけ心を開いてくれる開耶のことが、好きでたまらないんだ」

 不意の告白に驚いたのか、開耶は涙目を大きく開いて僕を見つめて。

 それから、堰を切って流れ出した僕の思いを受け取って。

「双葉、く……うっ……あああ……」

 僕の胸で、開耶は泣いた。僕はもう少し強い力でその体を抱きしめる。思い切り抱きしめたらつぶれてしまうと思うほど、この女の子の身体は柔らかくて弱々しかった。

 やがて開耶は、泣きながらずるずると崩れていく。僕もそれに合わせるように屈んで、へたり込んで泣く開耶を支えていた。

「双葉くん……ありがとう……わたし、うれしい……うれしいよ……」

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