四章 告白

告白-1

「野郎どもと女性のみんな、持ち場はわかってるよね? まず全員で掃除してから、それぞれのやることをやっちゃって! じゃ、レッツゴー!」

 開耶との初めてのデートから六日後、いよいよ文化祭が翌日というところまで迫ってきた。そのため今日は授業も行わず、一日かけて準備を行うという。

 学級委員の木下が担任を差し置いて号令をかけ、二年三組の人間は一斉に掃除を始める。それが済んでからは、各自が木下に言い渡された作業に取り掛かった。

(さて、僕は……)

 教室の四隅のひとつ、机が六つくっつけられている場所へ移動する。

 僕も自分がやることを前もって木下に伝えられていた。なんでも、最初は紙の花を大量に作るという。机の上にはすでにピンクと白の和紙が大量に積まれ、ホチキスもいくつか置いてある。僕はその辺から椅子を一脚持ってきて座り、机に向かい作業を開始した。

「あれ上杉くん、もう始めてるよ。こりゃ負けてられないなあ」

 山口がやってきていた。藤井もいる。

 僕は彼女らと一緒に作業することになっていた。男一人に女の子二人。数は少ないしなじみのある人間たちだし、気が楽だ。僕の性質を理解しているのか知らないが、こういう構成にしたのも木下だ。ちなみに木下自身は一か所に留まらずあちこちを飛び回って全体の流れをスムーズにするよう動くらしい。しかし文化祭実行委員もいるというのに、どうして彼女は後ろに下がらずに動き回るのだろう。

「とはいえ、私は九時半になったら打ち合わせに行くのでご一緒できるのは二十分ほどですが」

「あー、会計だっけエリカは」

 僕も失念していたが、藤井は生徒会会計らしい。

「奈緒と違って、私はこちらのほうに忙しいですから。たまには友情も大事にして欲しいですね。最近の奈緒は彼氏と忙しそうでなによりですよ、死んでください」

「そ、そんなことないよ! ねえ上杉くん、やっぱ恋より友情だよね?」

 藤井の顔は笑っているが、目が笑っていない。少し――いやかなり怖い。よほど後ろ暗いのか、山口は慌てた表情で僕に振ってきた。

「いいから早く始めろ、僕だけに作業させる気か」

「だ、だよねえ! ほら、あたしらも早くやろっ、ね」

 山口は油の切れたロボットのような動きで椅子を持ってこようとする。そんなときに、

「ちゅいーっす、奈緒、手伝いに来てやったぜー」

 おそらく山口にとっては過去最悪のタイミングで、自分の彼氏がノコノコとやってきた。彼女はとても筋肉を使いそうな表情のまま高城を見て固まっている。

 おっかなびっくり藤井のほうを見ると、それはそれは恐ろしい笑顔でいた。目も恐ろしかったが。

「あれ奈緒、固まっちまってどうしたんだ? 嬉しくて声も出ねえか、そっかそっか」

 高城だけ事態の深刻さがまるでわかっていない。無駄にさわやかな動作で、頭をかきながら笑う。

 僕たちの周囲の空気はしばらく凍りついていたが、

「何しに来たのさこのウインナー野郎ー! ……ち、違うんだよエリカ、これはこのバカが」

「な、なに言ってんだ奈緒? よく分かんねえが、ま、ケンカするほど仲がいいって言うしな。俺も恋愛上級者だから分かるんだけどよ、付き合うってのは多少」

「もう帰れ秀明ー! 今すぐUターンクイックバックで四組に戻れーっ!」

 そんな空気もすぐにはじけていた。朝から元気だな、こいつらは。どこにそんな元気が有り余っているというのだろう。少し分けてほしい。

(……ん?)

 そんな中、この場にもう一人客がいることに気付く。

 僕たちから少しだけ離れたところで、ひとり不安そうにたたずんでいる女の子。

「開耶」

 騒いでいるバカたちは放って僕は席を立ち、彼女のそばまで歩いていく。

「どうしたんだ、何か用か」

「ううん、わたしも手伝いにきた」

 開耶はふるふると首を振ってそう言った。四組のほうはいいのかと僕が聞くと、開耶の代わりに高城が山口に胸ぐらを掴まれたまま答えた。

「あー、俺と神崎は四組からの出張だから」

「そっか、ありがと秀明、もう帰っていいよ」

 山口は本当に高城が疎ましそうだ。隙あらば帰そうとしている。

「おい待てよ奈緒! なんか俺悪いことでもしたか?」

「別にい? もうちょっと空気読んで欲しいなとか思っただけだけどー」

「はいはい皆さん、そろそろ始めましょうか」

 藤井がものすごく怖い笑顔で静かに言ったので、高城と山口は大慌てで着席して作業を始めた。開耶まで怖がらせないでほしいのだが。



 僕の左隣に開耶が座り、右隣には藤井が、僕の向かいには高城が、開耶の向かいには山口が座った。

 山口は対面の開耶に向かって身を乗り出しながら話し始める。

「えっと、神崎さんだよね? クラス隣だから体育とかでは見るけど、こうして話すのって初めてじゃない?」

「そ、そうですね……双葉くんにはいつもお世話になっています……」

「いやー、そりゃこっちのセリフだよ、うちの上杉くんが世話になってるみたいでさー」

「い、いえ……」

 開耶はほぼ初対面と言っていい相手にぎくしゃくしながら答えている。

「俺もこいつとは小学校のころからの付き合いだから分かるんだがよ、よくもまあこの甲斐性なしと付き合えるもんだ。普通にすげえよ」

「彼、冷めてるし無愛想だしルックスはどんなに甘く見ても下の中ですし社交性ないしなんか気持ち悪いしどことなくフジツボっぽいし童貞ですし基本的に最低ですし、わがままでムッツリで変態で大変でしょう」

 高城はともかく、どうして藤井はそこまで言うんだ。分かってはいたが、僕はそんなに御しにくいのか。すると山口は腕を組んで、うんうんと頷きながら言う。

「はー、それにしても、上杉くんに彼女か……」 

 いつになく、なにか深く考えているようだった。

「そっかそっか……」 

 山口は満足そうに、何度も頷いていた。何が言いたいのだろう。

 開耶にも分からないようで、彼女も首を傾げていた。

「ほんとによくもまあ、上杉くんに彼女なんてできたもんだよ」

「悪かったな」

「女の子の手を握ったこともないきみがねえ」

「女の子の目もまともに見れませんからねこの人」

 開耶は「そうなの?」と言わんばかりの顔をしている。悪かったな、どうせそうだよ。

 そうしたら今度は、藤井がものすごく失礼な問いかけを投げかけてきた。

「なんで神崎さんは、こんな無愛想が服着てその上にまた無愛想着てるような男の子がいいんですか」

「え、あう、それは……」

 開耶は赤面してこっちを見て藤井を見てまたこっちを見ている。別に思うままに答えていいと思うが。僕としても聞いてみたいし。

 やがて開耶は長い沈黙の後、

「…………や、やさしいところ、とか……」

 と、切れ切れに絞り出してきた。すると山口は本日何回目かと言うようなすごい顔をしながら喚き散らす。

「うええ!? 優しい上杉くんなんてあたし知らないんだけど!? それニセモノだよ絶対! え、じゃあもしかしてここにいる上杉くんはニセモノなわけ!? ちょっとニセ杉くん、本物はどこへ消えたのさ!」

 本物がいるならそいつの居どころは僕が一番知りたい。

「だってこの子ったら、以前あたしが『シャープペンの芯なくなったから一本ちょうだい』って言ったら、一本の芯の端を折ってこれくらいのを」

 と言って山口は親指と人差し指を二センチほどの間隔で開いてから続けた。

「ポイって投げてよこして、『ふん、ほら一本だ』とか言ってきたんだよ!? どう思う? ちょっと最低じゃない?」

 身を乗り出して開耶に詰め寄る山口。確かにそんなこともあったが、なんてことをひっぱり出すんだ。もう忘れたかと思っていたし僕も忘れていた、ひどくどうでもいいことではないか。

「そ、そうですね……あんまりよくないと……思いますけど……」

「だよね! ダメだよねそんなの! 友達をなんだと思ってるんだろうね!」

「別に僕と山口さんは友達じゃない」

 そう言ったら山口は信じられないほど顔をゆがめ、狂ったように騒ぎ立てた。

「うわあ、なんてこと言うの上杉くん! ねえ神崎さん聞いた!? 今の言葉、あたしのガラス細工のようなピュアハートにグッサリ刺さったよ! 略してグッ刺さったよ! あれだよ、友達だと思ってた相手に友達じゃないって言われるのってさ、恋心抱いている相手に友達扱いされるのと同じくらいグッ刺さるもんだよ!」

 喩えが良く分からない。それにしてもグッサリ刺さった割に元気だな。ガラス細工のピュアハートだか知らないが、ずいぶん丈夫な心臓を持っているものだ。

「ふ、双葉くん、そういうこと言っちゃダメだよ……友達は大事にしないとだよ……?」

「そうだよ、友達は大事にしようよ!」

 山口はちょっと黙っていろ。僕に意見するのは開耶だけでいい。あとの人間の意見は全部却下だ。

「双葉くん、自分に好意を持ってくれる人ってすごくありがたいから、大切にするといいと思うんだ……」

 開耶は目の前で指をつつき合わせながら遠慮がちにそう言う。とは言ったものの、山口の僕に向ける好意というものはそういったものとは若干方向が違うと思われるのだが――。

「まあ、そうだな」

 開耶の言うことだし、僕は素直に頷いた。そうしたら山口はくりくりした大きな目をさらにまんまるにさせてまた驚嘆する。

「うわあ、超素直! あの上杉くんがすごい素直! やっぱニセモノでしょこの上杉くん! 本物はどこ!?」

 本物がいるならそいつの居どころは僕が一番知りたい。

「素直なら驚くし、素直じゃなければ文句を言うし、山口さんはいったい僕にどうして欲しいんだ?」

「死んでほしいです」

 山口の代わりに藤井が答えてくれた。もうほとんどお約束だ。

 僕はもう何も言えなくなって、頭を抱えながら花作りに傾倒するほかなかった。

 それからもうしばらくしたころ、藤井が静かに席を立った。先ほど言っていた、生徒会の打ち合わせの時間らしい。

「さて、私は行ってきます」

 そんな藤井に、山口が少しだけ焦ったように声をかけていた。

「あ、エリカ……今度トモと三人で遊びに行こっ、ね?」

「ちょっとからかっただけですよ、そんなに必死にならなくても結構です」

 長い髪を優雅になびかせて反転、藤井は教室を出ていった。なんというか、やはり掴みどころのない女の子だ。

 藤井がいなくなり、四人になってすぐ高城は言った。

「あいつ、やたら俺を笑顔のまま睨んでた気がすんだけど、俺なんかしたか?」

「……とりあえずお前はもう少し空気を読めるようになれ」

 何を言うべきか迷って、とりあえずそう言ってやった。山口は相変わらず鬱陶しそうだ。

「ってか秀明、なんでいんの?」

「いいじゃねえか、アーマード・ハミングマンも言ってんだろ。『二人のうちどちらかがいるところには、いつも二人ともいるんだよ』ってな」

「アーネスト・ヘミングウェイだ」

「ああそうだ、そうとも言うな」

 そうとしか言わない。

「そっか、じゃあその名言教えてくれたってことで。今日はありがと秀明」

「おいおい、冗談きついぜセニョール」

 せめてセニョリータと言ってやれ。スペイン語の苦手な高城を、山口は露骨に帰そうとしている。そこに開耶が控えめに割って入った。

「あ、あの……高城さんは、わたしを連れてきてくれたんです」

「へ? どういうこと?」

 話すところによると、四組で孤立したままの開耶はこういうときもクラスに溶け込めず、ひとりぽつんと佇んでいた。

 そんな開耶を見た高城は、俺は彼女を手伝いに行くから、お前も一緒に彼氏の手伝いでもしてやれ、と言って開耶を連れ出してきたという。

「そんな感じで、他のクラスの奴も何人か四組のほうに来てるし、うちのクラスの他の奴も何人かよそに行ったりしてるぜ。まあトレードってやつだな」

「なるほどねー。神崎さんに免じて、許してあげるよ。エリカも怒ってないみたいだし、これからはもう少し空気読んでよね」

「お、おう」

 ここまで来てもまだ高城は事を理解できないらしい。これほど把握能力が低くて恋愛を器用にこなせるはずはないのは、恋愛初心者の称号をもらった僕から見ても明らかなのだが。

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