自覚-7

 展示物は、数年前とほとんど変わっていなかった。

 無造作に積まれたガラクタ、絵の具をぶちまけただけのような混沌とした絵、天井から吊り下がった妙な造形。電気の力で不気味に動いているものもあれば、あらゆる日用品を壁にくっつけ一つの作品とさせたものまである。それら全てを見るたび、ああこういうのも昔あったな、と思い出す。

(しかし、こんなよく分からないものばかりで開耶は楽しむだろうか)

 そんな不安にも駆られたが、開耶は意外にも興味深そうで、変な造形や絵に足を止めて見入っていることが何度もあった。

 僕は美術に詳しくはない。どちらかというと、展示物よりも美術館が持つ独特の空気を好ましく思っていた。静寂が好きなのもそうだが、静かな空間の中で変な絵や物体を見つめていると、普段あまり表に出てこない自分がその作品の前にいるような気がする。しばらくそうしていくつかの作品を眺めていると、徐々に自分の中の感覚が研ぎ澄まされていき、視界の外にいる他の客が身じろぎする気配さえも容易に感じとれたり、彼らの足音もコツ、コツと不気味なほど明瞭に聞こえたりする。自分をそんな風にさせる美術館の空気が好きだった。

 ほーっ、と小さく漏らす開耶のため息が聞こえた。僕から少し離れたところで、自分の足もとを見ながら顎に手を当てたポーズで静止している。

 視線の先には、床に無造作に散らばった四枚の座布団。その周囲には、入るなという意味合いのテープが張ってある。

 僕がそちらに歩いて行くと、開耶は一度だけ僕の方を見てから視線を戻した。

「これ、家族っていう題名なんだって」

 視線を床の上の座布団に向けたまま、囁く。

「わかんないようで、なんか分かる気がする。うまく言葉にできないんだけど」

「そうか……」

 僕もその『家族』を見やる。いくら見ても家族には見えてこない。

(……家族か)

 それは僕にとって、どちらかと言えばあまり好きではない言葉だった。

 人は家族と聞いて、何を、誰を、思い出すのだろう。

 僕の場合は母親だった。そして剛史のことも思い出してしまう。

 あの二人と一緒にいても僕の気持ちは少しも晴れず、一刻も早く逃げ出したいとばかり思っていた。

 開耶なら、家族と聞いて、そこの座布団を見て何を想像するのだろう。自分の両親だろうか。いるとすれば兄弟もだろうか。剛史や僕の母親にとって都合のいい道具とされている僕と違って、開耶は親に愛されているのだろうか。



 部屋をいくつも移動し、吹き抜けになっており、天井から巨大なオブジェがぶら下がっている大広間に出た。吹き抜けというだけでなく、大きな窓から光を取り込んでもいるので、とても明るくて開放的だ。背もたれのない木製の椅子が壁に沿っていくつか据え置かれている。

「ふう」

 可愛らしく息を吐いて、その椅子に座りこむ開耶。

「疲れたか?」

「ううん、だいじょうぶ」

 ここまでにかかった時間はおよそ四十分ほどだった。とはいえ僕より細い脚の開耶は疲れるのも早いのだろう。たいてい大きな作品の前には椅子があり、開耶は何回か座っていたが。

「開耶、その……本当に美術館で良かったか?」

「えっ、なんで? わたし、すごく楽しいよ。遊園地とかより、こういうところのほうがわたしには合ってる」

「なら、いいんだが」

 僕も開耶の隣に座った。壁に背を預け、空中のオブジェを見上げる。

「こんな変な形のばっかりで開耶が喜ぶか、途中から心配だった」

 開耶は口元に手を当てて、んふふ、と笑った。

「そんなことないよ、おもしろいよ。なんかいろいろ……インスピレーションっていうの? そんなのが湧いてくるよ」

「なら、開耶は芸術家に向いているのかも知れないな」

 あまり深い意味は込めていない。けれど話が膨らむならそれでもよかった。

「でもわたし、絵、下手だよ。あの時の絵も見たでしょ?」

「ああ、体育祭のポスターか」

「そうそう。小学校のころから苦手だったんだ。工作もね。図工の時間とかつらかったなあ。居残りなんてしょっちゅうだったよ。いつまでも終わらなくて焦って、彫刻刀で指切っちゃったりするし」

「あんなの、適当に手を抜いておけばいいんだ。どうせ小学生の作るものだって大人は思うんだから」

 僕がそう言ったら、開耶はまた口元に手を当ててくすくすと笑った。

「双葉くんって、小さいころからそういう風に乗り切ってたの? いいなあ、要領よくって。わたし、できないのに無理しようとするからかえってダメなのかも」

「いや、そっちのほうが本当はいいんだ、そうあるべきだ。だけど、やっぱり過程より結果だから、結果が駄目なら誰も見てくれない」

「うん……がんばってるとこ、見てほしいよね」

「そうだな……」

 開耶の言葉で思い出した。

 僕が願っていたのはまさにその言葉通りだ。頑張っている自分を見て欲しかったのに。

 それが母親に見届けられることはなかった。

 僕はオブジェを見ていられなくなり、がくりとうなだれた。

「いったいどこで、間違えたんだ……」

「えっ? なんのこと……?」

 漏らした言葉に、開耶は戸惑って訊いていた。

「あ、いや、なんでもない」

(口に出ていたのか)

 僕は考えていたことを無理やり振り払った。

 開耶に心配を掛けたくなかったから、僕は立ち上がって言った。

「そろそろ、次行こうか」

「う、うん……」



 全ての展示を見終え、僕たちは館内のレストランで昼食にしようと決めた。

 レストランは小奇麗だった。窓ガラスが大きく店内は明るい。中は空いていて、二人連れの中年女性が三組ほど。若い男女など僕たち以外皆無だった。

 メニューを広げて注文し、料理ができるまで待つ。

「楽しかったね」

「ああ」

 開耶は鞄からポストカードの束のようなものを出し、何枚かをテーブルに並べていった。

 そういえば展示物はいくつかのフロアに分かれて展示されていたのだが、フロアごとにその隅に小さな机が置かれており、その上にポストカードのようなものが何束か積まれて置いてあった。それはそのフロアにある展示物を解説したカードであり、好きに取っていっていいのだが開耶はあろうことか全種類取っていったのだ。熱心と言うか、なんというか。

 そのカードを並べながら開耶は「これ、ほんとに面白いよね」とか、「この作品を作った人って、もう亡くなってるんだね」とか、楽しそうに僕に話しかけてくる。活き活きした表情でいてくれることが、僕にとって嬉しかったし安心した。もし興味がなければ、ここまでの反応は見られないだろうから。デートの地に美術館を選んだこと、成功と見ていいのではないか。

 そんなふうに待っていると、料理がひとつ運ばれてきた。カルボナーラだ。僕が頼んだものではなく、開耶のだ。

「じゃ、お先にいただきます」

 日々の弁当の時もそうだが、ちゃんと開耶は手を合わせてから食べ始める。いい子だ。

「んー、おいしい。たまにはこういうのもいいかも」

 開耶はにこにこしながらカルボナーラを咀嚼する。本当においしそうだった。

「たまには……? あまり食べないのか」

「ううん、たくさん食べるよ。わたし、パスタが好きで得意だから、食べるとしたら自分で作っちゃうの。だから こういう風にレストランでパスタ食べるのは久しぶり」

「なるほどな。……そういえば、パスタとスパゲッティって何が違うんだ」

 パスタが得意なら知っているかと思って、頭の中にしまっていた未解決の疑問を引っ張り出してみる。

 すると開耶はこちらを見て目を丸くした。なんで知らないのとでも言いたげだ。

「えっとね……」

 が、その表情はすぐにひっこめて語り始める。

「パスタって言うのはイタリア語で『こねたもの』っていう意味なの。小麦粉を練ったもの、全部ひっくるめてパスタって呼ぶんだよ。だから、マカロニとか、ラザニアとかもパスタでくくれるの。もちろんスパゲッティも。……で、スパゲッティっていうのはイタリア語で『ひも』っていう意味でね、パスタの中でも麺状だからロングパスタの一種だね。だいたい太さが1,8ミリくらいのを限定して、スパゲッティって言うんだよ。ロングパスタの中だけでも、太さや形や作り方によって、スパゲティーニとかリングイネとか、タリアテッレとかピッツォッケリとか、名前もとってもたくさんあるんだ。ロングパスタじゃないけど、ニョッキとかクスクスとか、おもしろい名前もあるよ」

 いい笑顔で得意げに説明してくれたが、翌朝目が覚めた時にどれだけ頭の中に残っているかは分からない。しかも早口言葉のような名前まで出てきた。

「要するに、パスタというものがこうあって」

 僕は目の前の空間に指で楕円形を描く。それから、描いた楕円の中に小さな円をもうひとつ描いた。

「この中にスパゲッティっていうのがあるんだな」

「そうそう。ごめんね、もっと要領を得て話せばよかった」

「いや、大丈夫だ。詳しいんだな」

「うん、好きだからいろいろ調べたり作ったりするうちにね。でも覚えてても誰にも自慢できなかったから、ついつい調子にのっちゃって……余計なとこは忘れていいよ」

 ちなみに僕の料理はまだ来ない。開耶のカルボナーラが漂わせる匂いがここまでやってくるのに耐えられなくなってきた。それ以前に、目の前でおいしそうに自分の分を食べる開耶を見るのが辛い。胃袋はここにきて急速に食べ物を欲している。そんな僕の状況を察したのか、開耶は言った。

「……双葉くんの、遅いね」

「ああ、おなか減ってきたな」

「ごめんね、先にどんどん食べちゃって。……少し食べる?」

「いや、いい。僕に気を使わず食べろ」

「そっか……」

 開耶の顔は少し残念そうだった気がする。

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