自覚-6

「デート……?」

 翌日の昼休み、開耶の作ってくれた弁当を食べ終えてから訊いてみる。

「ああ。テストも終わったし、休みの日にでも二人でどこかへ遊びに行かないか」

「うーん……」

 開耶は唇に手を当てて考え込んでいる。

(ちょっと直球すぎたか)

 少し前であれば、自分がこんな風に開耶を誘おうなど考えもしなかっただろう。

が、開耶のことが好きだと自分で分かった以上、開耶と一緒にいたいという思いはどんどん膨らんでいった。大きくなった想いは、その分だけ思い切った行動に走らせる。

 そう思っていると、開耶はおずおずと口を開いた。

「あ、あのね、なんていうかごめんね、わたし、デートなんてしたことないから、その……」

「僕だってない」

「…………」

「…………」

 不器用以前の二人だった。

「その、開耶はどこか行きたいところとか、ないか」

「この辺で?」

「まあ、都内ならな。それともなにか観たい映画とか、あるのなら」

「映画館はちょっと……うるさいし人多いから」

「うるさくて人の多いところは嫌いか」

 開耶の性格を考えるとある意味納得だが、そうなると行けるところは限られていく。静かで人の少ない場所や施設を、脳を高速回転させて考えてみる。

「……じゃあ、美術館とか好きか」

「あっ、美術館だったら好きかも」

 表情や声からして、なかなかに良い反応のような気がする。昔行ったことのある美術館を一つ挙げてみたところ、そこは行ったことないと開耶は言った。

「なら、今度の休みにでも一緒に行くか」

「うん。……でも……」

 なぜか開耶は、急に顔を曇らせて細い眉を下げる。

「わたしなんかと一緒で、いいの?」

「僕は今まで誰と話をしていたんだ」

「あっ、ご、ごめん……」

 開耶は、まだこんな風に言うことがたまにある。

 僕は少しだけ悲しくなって、ゆっくり確認するように問いかける。

「開耶は僕の彼女じゃ、なかったのか」

「な、なくない」

 目をつむって、必死に首を横に振る開耶。ぶんぶんと音が聞こえそうなほど激しい否定だ。

「なくないけど、やっぱりちょっと不安に思っちゃうこともある、から……」

「自分が僕の彼女として相応しいかってことか」

「うん……だってわたしは、こんな地味で、暗くて、かわいくないし、才能もない……なのに双葉くんは、背が高くてスタイルもいいし、運動はできるし、その……とにかく、バランス悪いなって、たまに思うの」

「ば、バランスなんてそんなものにこだわるんじゃない……それに、開耶は充分……」

(充分、かわいいじゃないか……)

 最後の言葉は、口に出せずに飲み込んだ。

 嘘や世辞ではなく、僕は最近、開耶のことをかわいいと思い始めてきている。

 彼女のことを好きになって、一緒にいるようになってからだろうか。

 初めて会った時は、確かに見た目は悪くはなかったものの、かといって別段かわいいとは思っていなかった。

 それがどうだろう、最近は開耶のことが、見た目はもちろん性格も、かわいくてたまらないと思うのだ。好きだと自覚してからそれに気づいたのか、一緒にいるうちにかわいく見えてきたのか、わからないが。

 だから、バランスなんて充分取れていて、むしろ僕の方が劣っていると思っているくらいだ。

 そんな風に思っていると、開耶は僕の途中で切った言葉が気になるのだろう、「えっ? な、なに?」と首を傾げる。

「あ……いや、なんでもない……と、とにかく開耶、自分をそんなに卑下しないで欲しい。僕はこれでも開耶の彼氏のつもりだから、好きな女の子のことを、たとえそれが本人であっても悪く言われてしまうと、悲しくなるんだ」

「…………そっか……」

 開耶は少しだけ目を見開いてそう言う。それから、

「優しいんだね、双葉くんって」

 ふわっと笑って、そう続けた。

 その笑顔にまたしても若干やられながら、かろうじて声を絞る。

「……僕は優しくなんかないぞ」

「ううん、優しいよ。わたしのこと、そんな風に言ってくれる人、初めてだもん」

「…………」

 自分で自分を優しい人間だと思ったことは一度もない。

 自分で自分を評価するなら、それはただひたすらに役に立たず、価値もなく、全てを投げた情けない男だ。優しいところなんてなにひとつない。

 そこまで考えて、はっと気づく。

(……自分を卑下しているのは僕の方ではないのか……?)

 いや、違う。

 これは自己評価ではない、事実だ。

 僕は本当に情けなくて、無価値で、何も持っていなくて、どうしようもなくて――。

 だから、そんな僕が優しいはずなんかない――。

「双葉くん?」

「あ……すまない」

 開耶の声で、ふと我に帰った。

 危なかった。また開耶に心配されてしまうところだった。

 たとえ虚勢でもいいから、目の前で首を傾げて少し不安そうな顔をしている女の子に対しては、自分を強く見せていなければ。

「えっと、じゃあその、デートの日……今週の土曜日でも大丈夫?」

「ああ、問題ない。楽しみにしている」

 そろそろ予鈴の鳴る頃合いだった。胸の内に溜まる疑問を払うように、僕は立ち上がって大きく伸びをする。



「美術館なんて、久しぶりだよ」

 開耶は館内に入るなり、外観からは予想しにくい開放的な空間を見渡してそう言った。

「僕も久しぶりだ。ここは中学の頃に一度来ただけだったけど、改装でもしたのかな」

「うん、きれいだよね」

 あれから数日、何の障害もなくこうして土曜日を迎えられ、僕はこうして開耶とともに美術館にいられることに、デートができるということに、まずは安堵していた。

 私服の開耶を見るのは初めてだ。

 僕はファッションに、特に女の子のそれには全く明るくないが、短いワンピースのような形をした、白くふんわりしたチュニックの裾から薄ピンクのスカートが短くのぞき、足には暗い茶色の高そうな革ブーツを履いている。全体的に落ち着いた、かわいらしい格好だ。

 会ってすぐに、似合うじゃないかと褒めてみたら、開耶は真っ赤になって、そんなことないよと否定した。

「わたし、着こなしヘタだもん。何かどっかで聞いたんだけど、チュニックにはボーイッシュなバギーパンツとかでカジュアルダウンしてどうの、とか。でもわたし持ち合わせなかったから、こんなんで……そもそも、カジュアルダウンってなに?」

 開耶が知らないなら僕にだって分からない。僕にファッションセンスなど皆無だ。いま着ているこの服だって、高城のものなのだから。



 さかのぼること数時間前、デート当日の早朝。

 いつも通りほとんど寝ない僕は、今日が土曜日ということもあり朝から母に道具として働かされることは分かりきっていたので、陽が昇るとほぼ同時に家を出たのち高城の家で時間を潰すことにした。

「なんで朝から来るんだよ、俺は休みの日は昼まで寝てることにしてるってのによ……昨夜もオンライン対戦しまくって四時半に寝たんだぞ……」

「開耶とデートするにあたって、母親に捕まらないように早めに家を出たんだ。お前は寝ていてもいいから、三時間ほどここで暇をつぶさせてくれ」

 鍵を開けて僕を迎え入れたのち即ベッドに戻りそこから出てこない高城にそう言って、本棚から適当な漫画を手に取ろうとした途端、奴はバネのように跳ね起きて声を裏返した。

「ああっ!? デートだぁ!?」

「そ、そうだが」

 多少面食らった僕に、高城は寝起きとは思えないハイテンションで僕に詰め寄ってまくし立てる。

「その服でデート行く気なのかよ! しかも初デートだろお前! ダメだダメだ、ダメダメダメ!」

「……何が悪い」

 別に奇抜な格好はしていないし、ちゃんと洗濯済みだ。どこが悪いのかが分からない。露骨にダメ出しする高城に腹が立って、ムッとしたままそう言うと奴は大きくため息をついた。

「何が悪いって全体的にダメだよてめえは。オシャレ着ってのがあるんだよ、オシャレ着ってのが。今のお前、思いっきり普段着じゃねーか。俺とゲーセンに繰り出す格好じゃねーか」

 ゲームセンターなど行ったこともないが。

「俺も恋愛上級者だから分かるんだけどよ、初デートの時に着ていく服次第で、二回目以降のデートにつながるかそうでないかが分かれてくるもんだぞ」

「別に問題ないだろう、この格好」

「ありまくりだよ! いいか、デートってのは戦場なんだよ。お前は関ヶ原に平服で行くのか? ガチガチに鎧を着こんで行くだろ? それと同じで、デート場という戦場にはオシャレ着と言う名の鎧をガチガチに着こんで行くものなんだよ」

 まったく意味が分からない。

 しかし高城は巧いこと言ったとばかりに得意げな顔をして、なおも調子よく続ける。

「だいたいなんで上がカジュアルなのに下がフォーマルなんだよ。どっちかに統一しろよ」

 僕の知らない単語を並べるな。

 すると高城は僕を上から下まで何度も視線を往復させたかと思うと、うんうんと頷いてから洋服ダンスをひっかきまわす。

「そうだな上杉、お前はカジュアル路線で攻めろ。お前、普段から目つき悪いし制服もキッチリ着こんでるからキツいイメージがあるんだよ。ゆるい着こなしで学校モードの時と逆の雰囲気を演出してギャップで勝負だ。ゆるカジコーデだな、よしよし」

 路線ってどこの電車のだ。何を攻めるんだ。どこに何とのギャップがあるんだ。勝負って誰とするんだ。ユルカジコーデって何語だ。人の名前か。ユルカちゃんとジコーデくんなのか。何が「よし」なんだ。よろしいところなんてなにひとつない。

 分からないことだらけで頭がぐるぐるする。恋愛上級者なら初心者に分かりやすい説明をしてほしい。誰か助けてくれ。

「ほら、これ貸してやるから履き替えろ」

 そう言って高城が僕を見ずにポイと投げつけてつけたのは、折りたたまれた奴のズボン。僕がいま履いているものよりも少し太く、ルーズな感じだ。

「なんでお前の履いたズボンなんか履いて開耶とデートしなきゃいけないんだ。このままでいい」

「うるせえ、デートしたこともない恋愛初心者が。上級者の言うことを聞いて履き替えやがれ。これでもそれ七千円くらいしたんだからな」

 高すぎる。しかもよく見るとそこそこ有名なブランドものだ。高校生のくせに無理したな。

 しぶしぶ言うことを聞き、ズボンを履き替える。他人の服は着心地が悪い。

「んー、多少マシになったがまだダメだな。写メって奈緒にも聞いてみっか」

 そう言って高城は携帯を出したかと思うと僕の姿をカメラに収め、ムニムニとボタン操作しておそらくは山口にメールを送ったのだろう、その二分後に奴の携帯に電話がかかってきた。

「おー奈緒、寝てた? いやなんか上杉がダサい服で初デートに行くってっからよ、今その画像みたいな感じなんだがどう思う? あ、ズボンは俺の履かせたんだけどよ。うん、うん……」

 高城は電話向こうの山口と楽しげに話している。さっきまで眠かった男とは思えない。

「うん、うん。なるほどな。ほら上杉、代われってよ」

 ふいに携帯が投げて寄越される。仕方なく耳に押し当て、もしもしと言ってみる。電話の向こうから山口の甲高い声が耳を突き刺した。

『ちょっと上杉くーん? いろいろ言いたいけどそのインナーはなんなの?』

「インナーとは……」

『中に着てるシャツのことだよ! それでホントにデート行くつもりだったの? 友達と遊びに行くんだったらいいけどね、世の中にはオシャレ着ってのがあるんだよ、オシャレ着』

 こいつも寝起き即ハイテンションか。しかもご丁寧に高城と同じことを言ってくれる。

『そうだねー、まず上全部脱いでから秀明に、こないだあたしとデートしたとき着てたタイ付きのシャツ出してって言って』

 言われるままに高城にその旨を伝えてみる。すると高城はネクタイとシャツがセットになったような奇妙な服を部屋の壁にかかっていたハンガーから外すとそれを投げてよこす。上も下も着替えさせられ、もはや全取っ替えだ。

 電話を耳と片で挟みながら仕方なくそれに着替え、だらしなく下がったネクタイを上げようとして――。

「ネクタイを上げるんじゃねえ! それはわざとゆるめておくんだよ! 学校の制服じゃねえんだから!」

『ちょっとしっかりしてよ上杉くーん、まさか裾もズボンに入れたりしてないだろうねー。出してよー?』

 目の前の男と電話の向こうの女の子にステレオでどやされる。どうして僕が怒られなければならないのだ。こいつら、僕をダシに遊んでいるのではないだろうな。

 着替え終わったら高城にもう一度写真を撮られ、その画像は一度電話を切った山口のもとへ送られ、やがて今度は僕の携帯が鳴る。

『まあまあなんじゃない? 六十五点ってとこかな。あんまりキメ過ぎると相手も引いちゃうしこのくらいで妥当なとこっしょ』

 ここまでされてどうしてそんなに中途半端なのだ。元の格好の点数は何点だったのだろうか。



 とまあ、そんなことがあって結局僕は高城と山口にコーディネイトされ、下着と靴下以外完全に高城の服に身を包んで初デートに赴いているわけなのだ。洗ってある服とはいえ正直気持ち悪い。

「あっ、あそこで券を買うのかな」

 開耶が指をさす先には小部屋が三つ、通路の壁から出っ張るように並んでいる。動物園や博物館の受付に見られるような、客と係員とがガラスで仕切られた小部屋だった。

「そうみたいだな。待っていろ、買ってくるから。開耶、生徒手帳持ってるか」

 高校生の値段で入館できるよう、持ってくるようにと伝えておいた。開耶は服に合わせたような白くて小さい鞄から生徒手帳を取り出すと僕に手渡す。それを受け取って僕は受付まで歩いて行き、二人分の生徒手帳を見せて単刀直入に申しつけた。

「高校生、二枚」

 金を払って券を受け取り開耶のもとへ戻ろうと踵を返すと、僕のすぐ背後に開耶は笑顔でくっついていた。

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