体育祭-7

「あーっはっはっは! ついてないねー、上杉くん! あーっはっはっは、どんまいどんまーい!」

 色々な意味でボロボロになって観客席に戻ってくると、盛大に笑う木下に肩を乱暴にバンバンと叩かれた。

「すまなかった……優勝できそうだったのに」

「逆さ吊りで縦にノコギリ挽きか、内臓をひとつずつえぐり出すか、どちらがいいですか」

 藤井は藤井でいい笑顔だ。見た目だけ。

 僕はそんな重罪を犯してしまったというのか。落ち込みきっていると、山口もやってきて言った。

「いやー、秀明ったらしょうがないねえ。なんかすごいポーズとりながらゴールしようとしてたよね? それで転んでるんだもん。なにやってんだか」

「あいつは、一位でのゴールインが山口さんとのゴールインとか意味不明なことを言っていた」

「なんだいそりゃ……? 仮に一位だとしてもそれだけで結婚なんてするはずないじゃん、なに考えてんのかなあ、あの子。てか結婚って、あたしはともかく秀明は十八歳にならないと無理じゃない?」

 思った通り、それだけで結婚というわけにはいかないようだった。本当に哀れな男だ。

「それよりさ上杉くん、あたしたち体育祭終わったらそのまま打ち上げ行こうかと思ってんだけど、上杉くんも来る?」

「焼き肉だぜ、焼き肉だぜ! 行こうよ上杉くん、行こうよー!」

「来ないと上杉くんを焼きますよ」

 いつもの三バカ、もとい女の子三人に口を揃えて誘われる。しかし焼き肉って。

「タダで食べられるのか?」

「エリカが全部おごってくれるってさ!」

「誰がそんなこと言いましたか、死んでください」

「どふう! 心臓が……!」

 いちいちにぎやかな奴らだ。

 そんな奴らを眺めながら、たまには彼女たちと一緒もいいかと思ったのだが――。

「すまない、やっぱり僕は行かない」

「あれ、お金ないの? なんなら四人分をあたしら三人で出すよ? せっかくだし行こうよ?」

「そうじゃなくて……」

 大事なことを思い出したから。

「もう、一緒に帰る約束をした人がいるんだ」



 体育祭は僕と高城以外無事に終了し、解散となった。

 皆は三々五々散っていくが、僕は後片付けのある実行委員会の神崎を会場の入り口で待っていた。

 解散から二十分ほどして、制服に着替えた神崎が荷物を持って現れる。

 僕の姿を見つけるなり、とてとてと早足で向かってきた。

「今日も……待っていてくれたんですね」

「うん、帰ろうか。……そ、それと神崎さん、体育祭、お疲れさま」

 僕は自分でも分かるくらい、顔に熱を帯びながらそう言った。

 すると神崎は少しだけ呆けて、それからはっとしたようになって。

「……は、はいっ! お疲れ様でした!」

 最後には、両手を胸の前で組んで笑ってくれた。

(こんなこと言い慣れていないから、恥ずかしい……)

 だからそれは僕の中では精一杯の気遣いだったけれど、それが無事に届いて嬉しかった。



 少し歩いて、普段使わない電車に二人で乗り込む。もちろん周囲に誰もいないことの確認は怠らない。席は一つしか空いてなかったので、神崎を座らせた。

「荷物、お持ちします」

「いいのか? じゃあ頼む」

 神崎は自分の荷物を床に置いて脚で挟んでから、膝の上に僕の鞄を乗せた。

 僕の鞄は網棚に乗せてもよかったのだが、神崎がそう言ってくれているため厚意に預かることにした。

「……それにしても、リレー、惜しかったですね」

 電車が動き出してしばらくしてから、残念そうな顔と声で神崎はそう言った。

 言われて、悔恨の過去がよみがえる。ゴール前で転倒なんて、漫画じゃあるまいし。

「あ、ああ……すまない、期待を裏切ってしまった」

 だから恥ずかしさと面目なさで、僕は頭を掻いた。

「いえ……でも、すごかったですね。あの高城さんに迫る勢いで……わたし、柄にもなく興奮しちゃいました。高城さん、四組ですごく足速いですから」

「あいつのことは古くからの仲で、よく知っている。奴の得意領域はもっと長距離なんだ。だからなんとかなるかもと思った、それだけだ」

「そうだとしても、すごいです」

 笑顔になる神崎を見て恥ずかしくなり、僕は目を逸らした。

「よしてくれ、結果は伴わなかった。結果を出せなかったら、何の意味もない。すべて無駄なんだ」

「…………」

(そう、無駄だ……)

 もっと前の悔恨の過去がよみがえり、僕は自虐気味に言った。

 神崎はそれを聞いて、黙ってしまう。

「あ……すまない、変なことを言って……」

 感情を込めすぎてしまったのかもと思い、フォローしてみるけれども彼女は依然として黙ったままだった。

 まずったな、と僕が思っていると。

「…………上杉さんは……」

 ゆっくりと彼女は、一つ一つ確かめるようにして、言葉を紡いでいった。

「それでも上杉さんは、すごくがんばったんだと、思います」

「…………」

「一生懸命走って、すごくがんばって、だから高城さんに追いついた……」

 彼女は真剣だった。

 大きな瞳で僕を見つめ、真摯に訴えかけてくれていた。

「わたしは、ちゃんと見てました」

「神崎さん……」

 そして、一呼吸おいてから神崎は告げた。



「だからわたし、上杉さんに一番をあげたいって、思うんです」



「…………」

 結果が伴わなければ、どんなことも意味を為さないのに。

 いくら努力しても、結果が出なければそれは無駄だということを、嫌というほど思い知らされたのに。

 この女の子は、良い結果など出さなくても、僕のことをねぎらってくれた。

 一番をくれると、言ってくれた。

 それだけで、リレーの結果なんてどうでもよかった。

 体育祭に参加した意味だって、それだけで充分すぎた。

「あ、あはは、もちろん、わたしはそんな、すごい権限とか持ってるわけでもないんですけど……」

 両手をわたわたと振って、たいそうなことを言った自分をごまかすようにする彼女のそのしぐさが微笑ましかった。

 それに何よりも、嬉しかったのだ。

(この子は僕を……認めてくれている……誰も認めなくても、この子だけは僕を……)

 そう、神崎は僕を認めてくれた。

 人に認められたことなんて、もしかしたら生まれて初めてかもしれなかった。

 素直に嬉しかった。

「ありがとう、神崎さん」

 そう思った時、自然と言葉が漏れた。

 電車が止まり、扉が開いた。まだ僕たちの降りる駅ではない。

 神崎の隣の座席が空いた。どうしようか、隣に座って迷惑じゃないだろうかなどと悩んでいる間に、「隣、座ってください」と彼女が笑顔で言う。

「あ、ああ」

 言われたなら仕方ないな、なんて心の中で言い訳しながら、ぎごちなく僕は神崎の隣に腰掛ける。

(うあ……近い……)

 くっつくか、くっつかないかというくらいの距離で。

 そのまま互いに言葉を発さないまま、ひと駅、ふた駅と過ぎていく。

 もしや彼女も僕のように緊張しているのかと、ふと神崎の顔を見てみた。

(あ……)

 神崎は、眠っていた。

 うつむいて、きれいな黒髪をぱらりと落とし、走行音にかき消されそうなほど小さな音量で、すうすうと寝息を立てていた。

 僕の鞄を、抱いたまま。

 それを見ていると、なんだか、なんとも言えない優しい気持ちになった。

 地下鉄の窓から見える景色は、とても真っ暗で殺風景で、僕の普段の心と似ているのだけれども。

 今の僕の気持ちは、そんな景色とはずいぶん離れたところにあった。

「お疲れさま……」

 もう一度、眠っている彼女にささやく。

「体育祭、とても楽しかった……神崎さんのおかげだ、ありがとう……」

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