体育祭-5
学生のほとんどが駅を目指して通る大通りを避け、少し南にある細い道を選んだ。
わざわざ遠回りをするような道を通る者はなく、静かな裏道を僕と神崎は駅を目指して進んでいる。
歩きながら、神崎は控えめに口火を切った。
「しばらく、一緒に帰ってくれるわけには、いかないでしょうか」
「ああ、わかった」
「ほ、ほんとうにいいんですか……?」
即答した僕に、神崎は信じられないと言うように聞く。
「勿論だ。償いのうちにも入らない」
すると神崎は、一瞬だけほっとしたような表情を作ったかと思うと、また顔を曇らせた。
「ん? どうしたんだ」
「あっ、いえ……嬉しいんです、けど……もしかしたら、また誤解されるのかな、って……」
そうだった。
神崎と作業していたのを見られてあんな騒ぎになったのだ。あの日並んで下校しているところも、おそらく誰かに目撃されているだろう。
毎日裏道を通っても、知られるのは時間の問題かもしれない。
「……どうしたらいいだろうか」
神崎に迷惑をかけずに、なおかついじめに遭うようならそれを防ぎたい。
僕が張りついて守り、誤解を解くよう働きかければいいのだが、そうするとますます周囲から誤解される。第一、あの女子たちは神崎が僕にくっついているのが気に食わないのだ。そのせいで神崎は迷惑している。もっとも本人は、そんなことないです、と言うのだろうが。
(神崎の傍に居ずに神崎を守り、なおかつ神崎に対する誤解を僕が解く方法は……)
「……あんまり、深く考えないでください。わたし、さっきも言ったように、いつかこうなると……」
「ダメだ、そんなこと言わないで欲しい」
力なく吐く神崎の言葉を、最後まで聞かずに止める。
諦めさせたくはなかった。なにか、この女の子のために僕が打てる手があるはずだ。そう思うのに、答えが見つからないまま、歩みが進んでいく。一歩歩くごとに、焦りも増大される。
駅前の広場に辿り着くまで、見つからない答えを探しながら歩き、そして。
「……そうだ」
ふと、本当にふと閃いた。
頭の中に電球がともる、というようなはっきりしたものではない。
これは正解ではないのかも知れない。しかし試してみる価値はあった。
「神崎さん、こうしよう」
あまり自信はないが、これしか思いつかない。僕は立ち止まってから、意を決して話しだした。
「僕の名前を貸す」
「えっ……? どういうことですか?」
きょとんとする神崎に、僕は説明する。
「まず、神崎さんは普通に過ごしてくれればいい。そして僕は、絶対に神崎さんの傍にいない。そしてそんな時に、また誰かにいじめられたり、嫌がらせを受けたりしたら、上杉を呼ぶって言えばいい。『上杉は、周囲の誤解のせいでわたしが酷い目に遭ったことに責任を感じて、誤解が解けるまでわたしに付いていてくれている。明日にでも、上杉が直接あなた方に誤解を解きに行きますよ』とまで言えれば上出来だ」
「……それで、どうなるんですか」
「そうすれば、女子はたぶんそれだけで退く。きっと僕が出れば大体の奴は黙ると、朝に確かめられたから。そこで悪い噂も立つだろうが、あいつらは僕を恐れている以上、きっと神崎さんに直接被害は来ないだろう」
「えっと、つまり……わたしの後ろには上杉さんがいるよ、ってことをアピールするってことですか?」
「そう。僕の名前がきっと神崎さんを守ると思う。噂だけ我慢して、しばらく演技をしてくれれば、いずれ周りも静かになるだろう。その頃になれば周りの人間も『噂も落ち着いたし、上杉は神崎さんの傍にいないし、もうガードを解いたんだ』って思うのが自然だ。僕が神崎さんの傍にいないことがそこで働く。誰の目にも二人一緒にいる様子が映らなければ、二人は一緒にいるなんて誰も思わない。あの女子たちにとっては、神崎さんが僕と一緒にいることが不満なのだから、一緒にいなければそれ以上神崎さんを攻撃する理由もない」
「は、はあ……」
神崎の表情は、そんな発想はなかったな、と感心しているようにも、それでうまくいくのかな、と不安そうにも見える。
「難しいかもしれないけど、要するに神崎さんはあくまで普通にして、必要な時に僕の名前を使ってハッタリをかければいいってことなんだ。そうすれば、周りから見れば僕と神崎さんは全然一緒にいないのに、神崎さんの背後には僕がいることになる。この、全く逆の二つが相互作用して、神崎さんを傷つけず、ゆるやかに誤解を解いていくと考えた。急ごしらえだし、そう思惑どおりにことが運ぶかはわからない。完璧というには程遠いけど、どうだろう」
神崎は唇に手を当てて考え込んでいたが、ややあって、
「どうして……どうして、そこまでしてくれるんですか?」
鞄を胸の前で構え、頭一つ高い僕を上目遣いで見ながらそう訊く。心なしか、鞄を持っている手には少し強めの力が込められているようだった。
「それは……」
言葉に詰まった。
自分のせいで、酷い事態に巻き込んでしまったことに対して償いたい、そうではない。
もちろんそれも理由の一つであることには違いないが、今の僕を動かしている力はそれではない。
僕と同じ道をたどって欲しくないからだ、と答えをそのまま言うのが一番早い。
しかし、その通りに言って彼女が納得するだろうか。
それはどんな道なのか、と聞かれたらどうする。説明のためには自分の身の上を多少なりとも語らなくてはならない。それに何の意味があるのだろう。
そんなことを聞かせても、おそらくは「あっ、えーとごめんなさい……」のようなことを言われ、それ以降はどちらも沈黙、もともと気まずい空気をさらに気まずくさせるだけではないのか。
「……訊くな」
だから答えの代わりに、そう言って切り捨てていた。
「でも……」
「訊かないでくれ」
もう一度言うと、神崎も引き下がってくれた。
これ以上問い詰めても無駄、と判断したのだろうか。
「すまない……」
「…………」
結局、沈黙が下りてしまった。
『困っている人を放っておけないんだ』のような、単純な嘘でも吐いていたほうがまだましだったとさえ思えてくる。
(まいったな……)
神崎も気まずいのか、まっすぐ僕を見つめていた視線が右往左往していた。僕は話を強引に戻そうと試みる。
「で、さっきの話、どうだろう。あの考え、嫌か」
「あっ、いえ……わたしは、ぜんぜん構わないです。理由、聞けませんでしたけど、わたしを助けてくれるんです。ご厚意、受けたいと思います」
かしこまってそう言う神崎。
それから、彼女は少し落ち込んだようになって続けた。
「それにしてもわたし、上杉さんに助けられて、迷惑掛けて、そんなのばっかりです」
「気にしなくてもいい。今回はむしろ僕が神崎さんに迷惑掛けてしまったんだから」
「そんな……わたしが迷惑掛けちゃったんです」
「そうか、じゃあおあいこってことか」
「あは、そうですね……」
神崎は再び笑顔になった。少しだけ。
それを見て、今度はうまく纏められそうだと思い、僕はもう一言だけ付け加えて締めた。
「ちょっと面倒なことになってしまったが、二人で頑張ろう」
「は、はいっ」
笑顔をさらに輝かせ、神崎は今日一番の元気でそう言った。
策の実行から四日が経った。
僕は神崎の様子をさりげなく伺うが、神崎が攻撃されるような光景は見ていない。
誰かに絡まれたり、あからさまな陰口を言われたりはなかったかと、下校時にだけは神崎と会い、毎回確認する。
どんな小さなことでも、たとえ勘違いや思い込みかも知れなくても、不審、不穏な事があったら僕に言うように、と神崎には言っておいた。
それでも彼女は毎日、今日も大丈夫でした、と言って笑う。
僕に負担をかけまいと隠しているのではなさそうな、そんな笑顔で。
毎日夕方に見るその笑顔が、僕に少しだけ安心感をもたらしてくれた。
そして今日も、人目を忍んで合流し、その笑顔を見てから二人で歩きだす。
誰もいない裏道を通って。
神崎と一緒にいるときは下校時くらいしかないが、一緒にいるときは楽しかった。他愛もない話しかしていなくても、それでも楽しいと思えた。
こんな関係はいつまでも続くわけではないと知っていながらも、僕はこの短い時間が来ることを楽しみにしていなかったと言えば嘘になる。
僕の毎日が少しだけ変わった、そう感じさせた。
変わったといえば神崎もそうで、ここ数日に会うたび見る神崎は、月曜日までの彼女とは違い、少しだけ元気になっているようだった。
それを見ていると、たまに、この元気は僕が与えているのではないか、と考える。
考えてすぐに、そうではないと打ち消す。
僕は何もしていない。喋ったりはするが、ただ下校時に傍にいるだけだ。なのになぜ、それだけで神崎が元気になるというのだろう。
元気になった理由は、おそらく攻撃の手が止んだことに対する安堵から来るのだろう、そう考えるのが妥当だった。
(僕が元気にさせていると考えるのは、自惚れだな……)
歩きながら軽く頭を振る。すると、神崎が不思議そうな顔をして聞いてきた。
「どうしたんですか?」
「いや、なんでもない」
「もしかして、明日のことでも考えてました?」
「……ん、まあそんな感じだ」
明日は体育祭だ。僕は別にどうということはないが、神崎は体育祭が嫌らしく、昨日も一昨日も、下校時にはそう漏らしていた。運動が苦手だからだという。
クラス対抗で行われるため、運動面でクラスに貢献できない自分が足を引っ張ることが嫌であるとも言っていた。
「上杉さんは、何に出るんですか?」
「百メートル走と四百メートル走とパン食い競争と騎馬戦とリレー。あとは大玉と、長い棒を持って三人で走るあれだ。個人競技は一人最低一つと学級委員が言っていたから、じゃあ一つだけ選ぼうとしたら、こういうときくらいクラスに貢献しろ、と言われて無理やり……」
「ああ、台風の目……それにしても、結構出るんですね……いいなあ、運動得意なんですか?」
「まあ、不得意ではないな」
これでも中学時代は水泳部部長で、同じ中学で陸上部部長だった高城とともにあちこちの大会で賞をかっさらって、学内に飾るトロフィーを競い合うように増やしていったものだ。二人揃って「一中の陸海コンビ」とか「陸の高城に水の上杉」とまで地元の区では言われたほどなのだが、それももはや過去の話だ。今の僕は何の価値もないただのクズなのだから、そんなことはどうでもいい。
心底羨ましそうに、神崎は小さく息を吐いた。
「わたし、運動、なにやっても上手くいかないんです。ボールは見当違いに飛んで行っちゃいますし、足は遅いですし、すぐばてちゃいますし、泳げませんし……本当に羨ましいです」
神崎の口数は、以前と比べ増えてきたようにも思える。
彼女がそんな調子だったから、僕もつい余計なことを口に出していた。
「なら、教えようか」
言ってから気づいたが、もう遅い。
足が止まり口に手を当てても、どうにもならない。
(何を言っているんだ、僕は)
神崎も、きょとんとしたまま立ち止まって僕を見ている。
「あっ……その、すまない」
「い、いえ……」
僕は神崎のために、名前を貸しているだけ。
いずれはまた、ただの他人同士になる。
その時に情が移らないよう、一緒にいるときは下校時間のみとしていた。そのほうが、神崎にとってもよいはずで。だから、それ以上深入りすることなど、あってはならない。
ならないのだ。
「あっ、そうだ、リレーにも出るんですよね?」
神崎もそれに気づいたのか、少し慌てたように話題を戻した。
「……ああ、アンカーなんだ」
「すごい……わたし、リレーの選手になったことないんです。ずっと憧れてました。上杉さん、アンカーなんて尊敬しちゃいます」
「褒めすぎじゃないか」
「そんなことないです、ほんとうにそう思ってます」
くすぐったい。
誰のどんな言葉よりも神崎の言葉は素直で、それだけに嬉しかった。
そう思っていると、神崎は突然高い声で「あっ、バス」と言う。
気がつくと僕たちは駅のすぐ近くまで来ており、何台かのバスがあちこちでドアを開けたまま停まっている光景が見える。神崎が乗っていくバスも、いつもの六番のバス停で停留していた。
駅の前では流石に誰かに見つかってもおかしくないので、僕はそこで足を止めて神崎と距離を保った。
「急ぐか」
「は、はい……じゃ、その、今日もありがとうございました」
そう言って、ぺこっと頭を下げてから神崎は駆けだすが、やはり足が遅い。それでも彼女なりに必死に走った結果、神崎はバスに間に合い、乗り込むことに成功していた。
それからしばらくしてバスの扉が閉まり、発車した。バスが見えなくなってから僕は再び歩き出し、駅構内へと向かった。
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