体育祭-4

 いつもにも増して集中できないまま午前中の授業が終わり昼休みになる。僕は気になって四組を覗いてみるが、神崎の姿は見当たらない。

(どこか人気のないところへ連れて行かれて、リンチされたりしていなければいいのだが……)

 朝の影響か、僕が一歩廊下に出ると、僕の姿を確認した人間たちがそれだけでざわつく。

 それは無視して、人気のなさそうな場所を中心に校舎を探し回る。どうせ昼などろくに食べないし、高城以外友達のいない僕は昼食後にトランプをやっている男子の連中にも混ざれないので、昼休みなんて時間を持て余すだけだ。

 しかし、広い校舎を適当にうろついても時間切れになるだけで、神崎は一向に見つからない。あるいはあの女子たちに絡まれることを恐れ、どこかに身を隠しているのかも知れない。

(もし放課後会えたら、謝ろう……)

 それだけ考えて、僕は教室に戻って五時間目の準備をした。どうせ授業なんて聞いていないのだが。



 放課後に四組の前で待っていればまず会えると思い、教室の前でホームルームが終わるまで待っていることにする。

 腕を組んでボーっと立っていると、女子二人の話し声が少し離れたところで聞こえてきた。

「あっ、三組の上杉がいるよっ」

「誰、それ?」

「朝騒ぎがあったじゃん、あの当事者。なんでも四組にいる彼女巡ってトラブルあって、不良っぽい女子を殴ったとかなんとか」

「だから四組の前に立ってるんだ……でも、それどこまでホントなの?」

 不愉快でたまらなかった。

 そちらを睨みつけると、話をしていたほうは小さくなって逃げ出した。

 朝、誤解を解こうとしたつもりなのに、効果はあまりないようだ。やはり高城の言う通り、ここまで広まってしまったせいで収拾がつかないのか。大体僕は殴っていない。腕を掴んだだけだ。

 そう思っていると、教室の後ろのほうのドアが開いて、中から数人の男子生徒が出てきた。どうやら解散らしい。

 その男子生徒たちの間から、小さな塊が飛び出した。

「あ……」

 神崎だ。あんまり速くないが一目散に階段へ向かって駆けている。

 あんなことのあった一日の終わりだ。一刻も早く帰りたいに違いない。

 そうさせてしまったのは、僕だ。

 そこでまた責任を感じ、すぐに後を追いかける。追いつこうと思えばすぐに追いつけるほど神崎の足は遅かったが、すぐに追いついて話を始めてはまた無駄に人目を引いてしまうと思い、声をかけずにしばらく追い続ける。

 神崎は昇降口まで来ると素早く靴を履きかえ、再び駆けていこうとする。そこでやっと、僕はその小さな背中に声をかけた。

「待ってくれ、神崎さん」

「!」

 神崎はがばっと振り向いた。

 その表情は、すっかり怯えきっていて。

 捕食者に狙われた小さな草食動物を連想させた。

 そんな表情を作らせてしまったのも僕だ。申し訳なさに胸が痛くなる。

 だが、声をかけたのが僕だと分かって、神崎は少しだけ警戒を解いたように見えた。

 そして、小さな声を絞り出した。

「…………上杉さん……」



 普段使われない裏門を開け、あてもなく進む。

 僕の後ろからは、神崎が影のように静かについてくる。

 学校の裏は住宅地が広がっていて、建物に囲まれるように小さな公園があった。ベンチがあったのでそこに座って話をしようと考え、僕は手で埃を払い、神崎にそこに座るよう促した。

 神崎が座ると、僕も少し距離を開けて座る。鞄は地面に無造作に下ろし、自分の座る面の埃は払わない。二人の間に出来た空間には、神崎が鞄を置いていた。

 それはまるで二人を隔てる壁のように、大きく高く見えた。

「まず、謝らなくてはいけないんだ」

 周囲を見回し、学校の人間は誰もいないことを確認してから言う。

「すまない、神崎さん。僕のせいで、酷いことに巻き込んでしまった。謝っても許されないのは分かっている。けれど、残り半分の神崎さんの高校生活は、きっと変わってしまうだろう。最悪、いじめに遭うかもしれない。もしそうなったら僕を訴えてくれたってかまわない。本当に、本当に、すまなかった……」

「い、いえ……」

 神崎は、小さな声のまま、それでもそう言う。

「だいじょうぶ、です……上杉さんが謝ることじゃ、ないです……」

「けれど、僕が金曜のあの時に余計なことをしなければ、そもそも今日のことなんて起こり得なかった。一応誤解を解くよう働きかけたけど、それでも噂は広まっているし、あれであの女子たちが大人しく引き下がるとも思えない。これからもできる限りのことはしなくてはいけないが、神崎さんにはこれから先、背負う必要のないものを背負わせて学校へ来てもらうようになってしまった」

 それは事実だ。

 それが分かっているから、神崎も何も言えなかった。

 あとは二人、公園のベンチに無言で座っているばかりだった。

 九月中旬、夕方になってもまだどこか蒸し暑い。もう夏は終わったのに、かといって秋が訪れているわけでもない、そんな季節。視界の隅にひとつだけ転がっている、アブラゼミの死骸が空しかった。

 こんな状況下で、僕は何をどうしたらいいのだろう。

 何か話さなければと頭を必死に働かせていると、向こうから話しかけてくれた。

「もともと、いつかこうなるとは思ってたんです」

「……どういうことだ」

 神崎は俯いて、何かを堪えるようにぐっと唇を噛んでから、下を向いたまま言った。

「わたし、友達……いませんから」

「えっ……」

「お弁当だって一人で食べて、誰も話しかけてくれないで、体育とかで二人組作るときはいつも最後まで余って……」

 高城の言葉が脳裏で蘇る。いま神崎が口にしている言葉は、奴が言ったこととほとんど同じだった。

「だからいつも浮いていて……きっかけなんてなんでもよくて、きっといつか……わたしは真っ先にのけ者にされて、いじめられてしまう……そう思っていたんです」

 神崎は一息に喋って、ふう、と小さく息を吐いた。

 くったりと下がった眉と、力なく揺れる黒の瞳、そして風に揺れて顔を隠す短くも美しい黒髪。

 とてもとても悲しそうに見えた。

「だから、覚悟の上だと?」

「……はい」

「そんな……」

 そんなひどいことなど、起こってはいけないはずだ。

 こういうのを悲痛な覚悟と言うのだろうか。

 いじめとはつまり、気に入らないものを排除したがること。それは、いらないものを捨てて必要なものを取りこみながら進化してきた人間の本質ともいえる行動なのかもしれない。

 だけど、だからと言って罪のない者を追い詰めるのは許されるべきではないし、増してされる側もそれを覚悟して受け入れる必要なんてどこにもない。

 受け入れた瞬間、その人間は僕のようになるのだ。

 普通に生きてきたはずの僕の生活に剛史が入り込んできて、母は変わって。

 受け入れるしかなかった状況にまで、気づけば追い込まれていて。

 そして受け入れてからは、全てを投げ、何もかもどうでもよくなって、腐った抜け殻のようになって。

 抜け殻なんて、死んでいるのと同じだ。何も生み出さず、何の価値ももたらさない。そこに転がっているアブラゼミの死骸と僕は、何ひとつ違わない。

 そんな人間は僕だけでいい。

 目の前の女の子にまで、似たようになって欲しくはない。

「でも……今日、上杉さんはわたしのことを助けてくれました。あのとき助けに来てくれなかったら、わたし、何をされていたかわからないです」

「しかし、僕のやったことは正しいのかわからない。騒ぎを余計大きくしているようだし、神崎さんには迷惑ばかりかけるし、第一僕が入ってこなくても、教員がやってきたら騒ぎだって止まる」

 半日も経つと、自分のしたことの愚かさを冷静に振り返ることができる。自己嫌悪に陥りながらそう言った。

 すると神崎は、しばらく下を向いて黙ってから、僕のほうを向いた。

「確かに、そうかもしれないです……でもわたし、これだけは分かるんです」

「…………?」

「わたし、あの時、すごく……すごくうれしかったんです。誰も助けてくれないと思っていた、でも助けてくれた、だから……」

「…………」

「ありがとう、ございます」

 にこっと笑って、そう言った。

 その悲しい笑顔を見たとき、僕はとてつもない苦しみを覚えた。

(どうして笑えるんだ……)

 なんでわたしをこんな目に合わせるんですかと怒鳴ってくれたほうが、気が楽だった。

 わたしはあなたを一生許さないと恨んでくれても、当然のことだと納得できた。

 涙を流すだけで、話さえ聞いてもらえないかもしれなかった。

 怒るだろう、嘆くだろう、恨むだろう、そう思って、思っていながらも連れてきた。

 なのに目の前の女の子は、あろうことか笑って。

 あろうことか僕に感謝までして。

 こんな女の子を、これ以上傷つけさせたくはないし、僕のようになって欲しくもない。

 そうさせないために僕にできることは、誤解を解く他に何かないだろうか。

 考えていると、神崎はまた口を開いた。

「あの、上杉さん」

「ん……」

「もしよければ、また……一緒に帰ってもらえませんか」

 おそらく、帰り道を一人で歩くことが心配なのだろう。

 だから、すぐに答えた。

「ああ、かまわない」

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