第二話 異端

開高は昔から本が好きだった。コミュニケーションが苦手な自分が、穏やか気持ちになれるのは、本を読んでいる時だった。小学生の夏休みには、一日中図書館で本を読んでいたので、絵日記に書く出来事が一つも無かった。母に手伝ってもらい、"空想の思い出"を泣きながら書き連ねた。


小中高を優秀な成績で卒業し、一流と呼ばれる大学の文学部に入った。大学で学ぶ大文学者の小説に出てくる大仰な物言いをする人物達に心をひかれた。特殊な世界観や奇想天外な展開ではなく、人物達が織りなすドラマを追い続けた。開高にとって物語の世界とは、人間関係をうまく築けない自分が人間関係を仮想的に体験する装置だった。


小説家になろうと思わなかった。自分が偉大な小説家達と肩を並べるなど、恐れ多い。だが、本に関わる仕事をしたいとの思いから、出版社への就職を志望していた。


数えきれないエントリーシートを書き、面接を受けた。一流大学の箔があるから、書類は通る。が、面接になるとダメだった。面接官の顔を見ると、目も鼻も口も無いのっぺらで不気味な生き物に見えた。自分が何を話しても、相手には通じないのではないかという恐怖で、面接で一言も話せないこともあった。


折しも、就職氷河期と呼ばれる時代。学校の人気者たちが、就職が決まらず、虚ろな顔をして、キャンパスを歩いていた。単位を残して浪人をするか、卒業してフリーターになるか、という選択をする学生が後を絶たなかった。皆一様に、『夢があるから』、『やりたいことがあるから』、その夢を先延ばしにしているのだと言った。


開高がフリーターとして働き始めた時も、出版社で働くための準備なんだと、自分に言い聞かせた。立ち上がったばかりのIT企業で、プログラマーとして働き始めた。コミュニケーションが苦手な自分にとって、パソコンに向かって黙々と作業ができる職場は性に合っていた。


次から次へと舞い込むプロジェクトの中で、少しでも本に関わる仕事だと、俄然やる気になった。


一度、出版社のWEBポータルの仕事を受注した際、編集者と打ち合わせをした。徹夜で作った資料を説明し終わった後、思い切って編集者に話を切り出した。


「ほ、本件とは関係無い事ですが…。昔から本が好きで、ずっと出版社で働きたいって思ってたんです。重厚な物語の小説が好きです」


打ち合わせに来ていた編集者は、目を潰して笑い、開高が作った資料を鞄につめながら、


「へぇ~そうなんですか~」


と答えた。


開高の目には、編集者が目も鼻も口もないのっぺらで不気味な生き物に映った。


フリーターとして働き始めて十年が経っていた。


※※※


四十二階建ての高層ビルの最上階。ドリームイノベーションのセミナーが終わり、会場に置かれた椅子を、カナメともう一人のインターンシップの学生が片づけている。壇上の机で、MacBookをひろげるドリームイノベーション社長の蛇川一成じゃがわかずなりの存在が気になり、二人とも作業に身が入らない。


「え、あ、くそ、うっぜぇな。自分でなんとかしろよ。俺に頼んなよ…」


蛇川が毒づくたびに、カナメは蛇川のほうへ振り返った。蛇川は大学在学時に最初の会社を起業してから、いくつもの会社を立ち上げてきたシリアルアントレプレナーだ。企業の買収、上場を経て、多大な資産を築き、現在経営するドリームイノベーションも従業員数が500人に達する大きな会社に成長した。意識が高い大学生にとって憧れの人間である。


「ああもう、いいや、後で。今日はおしまい」


といって、蛇川はパタンとMacBookを閉じて、逆立つ短い髪をかきむしった。


「小谷君!」


カナメはまさか自分の名前を呼ばれるとは思いもせず、丸い目をして、少し間をおいてから、はい、と勢いに任せて返事をした。


「もう一人のインターンの子は帰っていいよ。ありがとう。あとは俺と小谷君で片しておくから」


もう一人のインターンシップの大学生は、失礼します、と言って会釈をし、会場を後にした。


「初めまして…」


「知ってるよ、小谷君。関西帝国大学に在籍していて、インターンシップでうちに入ってきてくれたんだろう。企画の桜川からすっげぇ優秀だって聞いてるぜ」


「恐縮です」


「否定しないんだな! 今時の子っぽくて、いいね!」


蛇川は勢いよく壇上から飛び降り、カナメの目の前に着地した。


「小谷くん、仕事は楽しい? 思ってたような仕事できてる? 残業で無理してない? 仲間は優秀? 社長に聞きたいことはある?」


「えっと…」


「あーごめん、セミナー終わってすぐは頭がフル回転してるからさ、先走っちゃうんだよね。まずは…仕事は楽しい?」


「楽しいです。ドリームイノベーションで働くのが夢だったんで、その夢が叶ってます。桜川さんから色々な仕事を任されています」


「それは君が優秀だからだ! 最近の大学生はハングリーだ。バブル期の学生が持っていたチャラチャラしたマインドじゃなくて、もっと純粋で、意義のあることに対してハングリーだ。君、平田宗一郎教授のゼミ生だろう」


「平田先生をご存じですか」


「俺も帝大時代に平田先生の世話になったんだ。今でも時々会って話をする。俺のやってきたことは全部、平田先生の考えの実践だからな!」


蛇川はもろ手を挙げて、天を仰いだ。カナメにはそれが、講義の時の平田の姿に重なって見えた。


「ジョブサティスファクションは人生で最も大切なことだ。世の中にはいろんな仕事があるけれど、やり甲斐を感じられない仕事に貴重な時間を割く必要はない。そんなのは人工知能とロボットに任せればいい。もし明日死んでしまうと分かった時に、君は今の仕事を続けていられるだろうか。もし答えがノーだったら、その仕事はやめたほうがいい」


「なるほど、参考になります!」


と言って、カナメは背負っていた鞄からモレスキンのノートを取り出し、蛇川の言葉をメモし始めた。


「向上心があるね、素晴らしい。ちなみに今日のセミナーの参加費は十万円だ。皆、それだけの額を支払って俺の講義を受けに来る。今君は、それを無料で、しかもたった一人で受けているんだ」


「なるほど、光栄です!」


「いいよいいよ! 後進を育てることは尊いことだ! それに君はドリームイノベーションの仲間、同じ船に乗るクルーじゃないか!」


「恐縮です!」


カナメがペンを走らせていると、椅子に置いていたカナメのスマホがうっすらと光り、『予言屋』の通知が表示された。


「『予言屋』、使ってるんだね」


「大ファンです」


「ジョークアプリだったんだけど、随分評判でさ…って小谷君もレポートを読んでるだろうから、知ってるよね。もう少しネイティブ広告を出しやすいフォーマットだったら、収益も上がってたんだけど 」


「大学でも、使っている子を見かけます」


「若い子には広まっているね。でも、もっと多くのユーザーに使ってほしい! これは既存メディアの革新だよ。核心的でスキャンダラスな事件の予言をアップロードできれば、ドミナントなアプリに成長するかもしれない」


蛇川は手で前髪をかきあげ、恍惚とした表情を浮かべた。


「あの、蛇川さん。さっきの社長に聞きたいこと、なんですけど。一つあります」


「何?」


「『予言屋運営部』ってどこにあるんですか」


カナメは、ペンを止め、ノートを閉じた。蛇川は、恍惚とした表情のまま、深く息を吸った。


「組織図にはありますよね。でも、オフィスにはそれらしい人達もいないし…。別のオフィスがあるんですか?」


「そこに気づくとは、鋭いね! 良く観察している! あの部署はね、駅前の古いビルにあるんだよ」


「駅前の?」


「そう。『占いの母』って看板が出てるだろう。あれだよ」


「それは…」


「はっはっは!」


「ジョークですよね?」


「はっはっは!」


「これだけの頻度で記事を更新するためには、大勢の運営担当者が必要ですよね。何処にアウトソーシングしているんですか?」


「君が弊社の役員になったら教えよう!」


蛇川の甲高い笑い声が会場に鳴り響く。そしてまた一つ、『予言屋』に予言がアップロードされた。


※※※


毎週水曜日、夜の十時から一時間放送されている成瀬香羽理なるせかうりのラジオ番組は異例の聴取率を記録している。この時間、若い女の子は皆、ラジオから流れるウィスパー気味のカウリの声に釘づけになる。


「最新曲の『鼈甲煙管べっこうきせる』を聞いてもらいました。どう、脳天にガツンと来るでしょ。スピードみたいな下手なドラッグをやるより、こっちのほうが断然キまるよ…って、マネージャーが怖い顔してるから止めておこう(笑) じゃあ次は、お便りコーナー!」


この時間、家で、電車で、カフェで、ドラッグストアで、女の子は皆、カウリの世界に夢中になる。カウリの声を聞いて、現実を忘れる。


「ラジオネーム"ミルキーは本当のママの味"から頂いた、ありがとう。何このラジオネーム、せつなくない? (笑) "カウリさんこんばんは。この前『予言屋』というアプリで芸能人のスキャンダルを思わせるような予言がアップロードされていました。その予言の内容は、ひょっとしてカウリさんのことでは?というもので、少し心配してしまいました。カウリさんは『予言屋』というアプリを使ったことはありますか?" ということですけど…」


ガサガサと紙をめくる音。


「スタッフが用意してくれたよ。噂の予言。"動乱は夜明けに。これは始まりの終り。歌姫は踊り、民と口づけを。" ふんふん。私のスマホにも『予言屋』が入ってるよ。あんまり見てないけどね。それで、この歌姫が私ってこと? ふふふ。予言の色は黄色か~。"民と口づけを"って、スキャンダルじゃん! 男がいるのかって? プロデューサーが演者を下げるようなことを聞く(笑)? 前から言ってるけど、私、女の子が好きなの! …え?みたいな顔をしない! 好きな子? いるよ! 誰? えっとねぇ…って言うわけないじゃん(笑) でもね、彼女は私の女神ミューズだよ。できることなら、ずっとそばにいて、抱きしめて、何でもしてあげたい、かな。うわ、恥ずかしい(笑)」


※※※


蛇川との会話が終わり、帰宅する途中、カナメにウエルからメッセージが届いた。


LINE交換に応じてくれたことへのお礼と、カフェで働きながらカナメとノブヒコのことをずっと見ていたことが書かれていた。


帰宅して、ベッドに転がり込み、何度も何度もメッセージを読み返す。そこかしこに絵文字が使われていて、ウエルの派手目な装いとのギャップに、カナメは悶える。


「マジか~! マジか~! すっげぇカワイイ! すっげぇカワイイ! 」


枕と顔を固定して、右へ左へ回転する。小さなシングルベッドである。


「あがッッ…!イッてぇッッ…!」


ベッドから落ちて、背中を強打した。呼吸が止まりそうになったが、カナメにとって重要だったのは、握りしめていたスマホの無事だった。


喜びを噛みしめて悶え始めてから、30分以上が経過している。ウエルに返事を送らなければならない。返事の出来が今後の運命を左右するのだ。


「仲良くなりてぇッッ!!」


床に頭を叩き付けて、心の乱れを無理やり抑え込み、文字を打ち始める。


<今日はありがとう! 綾爪さんと話せて楽しかった! 良かったら一緒に遊びに行こう!(≧▽≦)>


改めて文章を見返し、カナメの頭に浮かぶのは"凡庸"の二文字。が、今の精神状態で創造的で魅力的なメッセージを産みだすことなど不可能であると悟ったカナメは、震える指で送信ボタンをクリックした。


「送ってしまったァッ!!」


またベッドにダイブして、転がり続ける。と、すぐにスマホに通知が表示される。


<いいよ~♥ いつがいい?>


天にも昇る気分で、カナメはスマホを操作する。


<明日とかは?>


すぐに返事がくる。


<大丈夫!>


<行きたい場所とかある?>


<ある! ゲームとか…好き?♥>


※※※


小刻みに揺れて間合いを調整し、飛び込んでくる時には対空攻撃を、間合いがつまったらコンボでライフゲージを削り、素人が見ても分かる洗練された無駄のない動きで、相手に何もさせずに勝利を重ねるさまを、カナメはただ茫然と眺めている。ウエルは、長い足を組み、細い指で跳ねるようにスティックとボタンを操作する。


「あっ…今忙しいのに…」


といって、対戦途中に、レバーを一定方向に入れたまま、スマホを操作するウエル。


「はい、おまたせ」


と言うやいなや、ウエルが操作するキャラクターは対戦相手のライフゲージを削り切った。


「どや?」


ウエルは振り返り、にこりと笑った。その余りの屈託のない笑顔は、暗くて煙たい場所に現れた女神ミューズのようだとカナメは思った。


※※※


「格闘ゲームだけじゃなくて、ゲームは何でも好きなんだ。カナメ君はやる?」


「たまにやる。最近はスマホゲームばっかりだけど」


「そういう人多いね。でもアーケードとかコンシューマーの操作性はスマホじゃ出せないんだよね」


ウエルは、ピザの切れを半分に折りたたみ、口に入れる。店内にはカナメとウエルの組の他に、女性二人組の客だけ。狭い店内に、微かな音でピアノ、ドラム、マリンバのアンサンブルが流れている。


カナメはライムの切れ端が入ったビールをあおった。


「綾爪さんがゲーム好きってイメージ、わかないな」


「ウエルでいいよ。たぶん、歳、同じくらいだから」


「じゃあ、ウエルさん…。なんか見た目派手だし」


「あ、傷ついた」


ウエルは切れ端になったピザを口に入れ、カナメを睨んだ。


「カナメ君はどんなことが好きなの? 趣味、とか。週末何やってる、とか。ちょっとお見合いみたいだね」


「俺…は…」


と言いよどみ、もう一度ビールをあおる。


「趣味とかって無いな。でも、夢はある。いつか仲間を集めて会社をやりたい」


「凄いじゃん!」


「今はただ夢をおっかけてるだけ。インターンシップをしたりしながらさ」


「大学に行きながら働くのって大変じゃない?」


「大変だけど…。自分を追い込まないと、俺、何にもしないからさ。忙しいくらいがいいんだと思う」


「頑張り屋さんなんだね」


ウエルはひじをついて、カナメの顔を覗き込んだ。恥ずかしさで、死にそうになるカナメ。


「ウエルさんは、ゲームの他に、どんなことが好きなの?」


「私か~。うーん。プログラミングをやってる。って言っても、これはもう仕事になっちゃったから、違うかも」


「仕事? カフェのバイトの他に?」


「そう。私ね、高校中退してるの。ご飯食べていかなきゃなんないから、小さいときからやってるプログラミングでお金を稼ごうと思って。色々作ったな~。今日やってたアーケードのゲームエンジンにも、私、関わってるんだよ」


「マジ?」


「"MAHO"っていうハンドルネームで、フリーランスで仕事をしてる。自分のペースで仕事ができるし、お金を稼げるし。カフェで働いてるのは、引きこもりがちな生活の改善…みたいな」


女性二人組の客の笑い声が響いた。店内に吹き込む暖かい風が、ペンダントライトを揺らす。


カナメの目の前に座っているのは、カフェで働く少し派手な女の子、なはずだった。が、今はもうずいぶん遠くの存在のように感じる。その経歴も、美しさも。


「何で声かけてくれたの?」


卑怯な質問だと思いながらも、カナメの脳裏に浮かんだのは、そんな言葉だった。


「レインドロップって、帝大生のたまり場みたいになってるから、俺たちの他にもたくさん同い年の奴らがいるじゃんか」


「そうだな~」


ウエルは水を一口飲み、グラスをくるくると回した。


「カナメ君が、ギターの子と話しをしている時って、キラキラしてるよ。何の話をしているかは、詳しくは聞いてないけど。こういうのいいな~楽しそうだな~って思った。仲間に入れてほしいな~って思った」


微かに流れるBGMに女性MCの声が重なる。ラジオの生放送が始まった。さっきまで笑っていた女性客は、黙ってカクテルを飲みながら、ラジオに耳を傾けている。


※※※


店を出て駅に向かう二人。カナメは、初めてのデートなのに遅くになってしまったことを後悔した。駅にはネクタイを緩めたサラリーマンたちが大きな声で談笑している。


列車の到着を知らせる放送が構内に響き渡った。


「じゃあ俺は違う線で帰るから、このへんで」


「うん、送ってくれてありがとう」


「こっちこそ。楽しかった」


「今回は私のわがままに付き合ってもらったから、次はカナメ君の行きたい場所に行こうか」


カナメには、夜更けに煌々と光る駅の構内で、ウエルの笑顔が更に輝いてみえる。


「そろそろ私、帰るね。それじゃあ」


そう言って、鞄から定期入れを取り出し、歩き出そうとするウエルを呼び止めようとした直後、ポケットの中のスマホが震えた。手に取り、通知画面を見ると、ノブヒコからのメッセージだった。


<ピンクマンの売人の死体を見つけた>


列車から降車した客が一斉に改札口に押し寄せてくる。サラリーマンたちの談笑の声は、足音にかき消される。


カナメには、文章の意味を捕らえられず、文字一つ一つが浮いて見える。


「カナメ君、ねえ、どうしたの?」


瞬きもせずに見つめ続けるスマホに、新たな通知が到着した。


『予言屋』の予言。


分類はゴシップ。


色は、赤色。

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