予言屋

TKFIRE

第一章 十人目の売人

第一話 伝説

関西帝国大学工学部2号館の201号室。部屋前面、コンクリート打ちっぱなしの壁一面に模造紙と付箋が貼られ、この部屋の主の思考が剥き出しになっている。部屋後面の真っ白な本棚には、大量の学術書が、前後左右の区別なく、乱雑に置かれている。


部屋の主、経済学部教授の平田宗一郎ひらたそういちろうは、シェイクスピアの戯曲を演じるかのごとく、節をつけ、身振りを交えて、講義を続ける。部屋に入ってくる風は穏やかで、講義を受ける生徒は、平田の肺にタールを塗ったような声を聞きながら、船を漕ぐ。


「『フリー』というビジネスモデルがある。製品やサービスを顧客に無料で提供するモデルだ。こんなことをして企業は困らないのか。これが困らない。なぜかって? ビジネスモデルというのは数々のステークホルダーとの関係性で成り立っている。ある一つの関係性からカネを引っ張れなければ、違う関係性を辿ればいい。例えばテレビだ。テレビは無償で提供される。受信機に電気を通せば、コンテンツにカネを払う必要はない。テレビは顧客からはカネをもらわない。その代り、有力なコンテンツにコバンザメみたいに広告をくくり付けて、自社の製品やサービスを認知させたい企業からカネをもらう」


教卓前の中央の席、右手にノートをひろげ、左手にスマホを置き、ペンを走らせながら、スマホをスワイプする青年。机の端には、缶コーヒーの空き缶が三本並べられている。


「どんなサービス・製品に接する時でも、ビジネスモデルを頭に描くといい。企業はどこからどうやってカネを儲けているのか。ステークホルダーは誰なのか。無償の製品やサービスは、慈善的に提供されているわけではない。どこかの誰かがカネを払っている。たーとーえーばー!」


と言って、平田はつかつかと教卓前の中央の席までやってきて、青年のスマホを取り上げた。アッと言って、青年のペンが止まった。


「このアプリみたいに!」


スマホには、日付、タイトル、短い文章が一覧で羅列されている。それぞれの文章の横に、青色のタグと黄色のタグがついていて、ソーシャルネットワークで共有された数も表示されている。


「『予言屋』だね!」


平田は、手入れされていない鉄の切り屑のような髪をかきあげ、青年に顔を近づけた。丸縁メガネの奥の眼球がぎらりと光り、目じりの皺が痙攣している。


「あ、あの、すみません! 授業中に…」


「いいよいいよ小谷君! 授業を聞いていなくても、レポートをしっかり書いて、テストで満点をとってくれたら、何も言うことは無いんだからぁ! 」


小谷要こたにかなめが後ろにのけぞると、同じ距離だけ、平田が顔を近づけた。


「『予言屋』はとても興味深い!」


平田は取り上げたスマホを机に置き、もろ手を挙げた。


「小谷君、ところで、突然、なんだが。一つ問題を出そうじゃないか。この問題に答えられたら、有無を言わさず、この授業の単位をあげよう」


生徒たちが皆、ひそひそ話を始めた。小谷に向けた、あわれみの声。


「問題です! 人類が発明した最も素晴らしいビジネスモデルとは何でしょう。制限時間は…十秒!」


カナメはぽかんとして口を開き、自分の置かれている状況をなんとなく理解した時には、既に五秒ほどの時間が経過していた。平田は、高々と指で天井を指し、最後の一秒を数え終わった。


「残念! 答えられなかった! いやいや、仕方ない。仕方ないよ小谷君。なぜかって? 理由は二つだ。一つ目は素晴らしいの定義があいまいなこと。二つ目は僕自身が答えを知らないことだね」


生徒たちがクスっと笑った。平田の話がウケた、のではなく、失笑。


「そろそろ授業が終わる時間だ! まだ5分くらい余ってる? こまかいことはね、うっちゃっておいていい。先生の授業は量より質だからね。授業中に話した課題は、明後日の二十三時五十九分までにメールしておいてね。そんじゃあおしまい。さようなら、諸君!」


平田は教卓の上からノートを取り上げ、踊るように教室から出ていった。


平田の標的になったカナメは、机からスマホを取り上げ、隣に座る友人の深見信彦ふかみのぶひこの顔を見て、苦笑いをした。ノブヒコも笑い、首を傾げた。


※※※


安い飲み屋が軒を連ねる、高速道路の高架下。フラットデザインで、『Raindrop-レインドロップ-』と書かれた看板。店内には学生がひしめいている。


「カナメさぁ…。授業聞かないんだったら、真ん中の席に座るの良くないって」


ドアが開放されている店の奥、レジカウンターそばの丸テーブルにカナメとノブヒコは陣取っている。床にはギターケース。机にはオレンジジュースとコーヒー。


カナメはジャージ生地のジャケットの襟を正して、椅子にもたれかかった。


「聞くつもりだったんだって最初は! すっげぇ眠かったけどさ。昨日終電までオフィスで仕事してたから、まともに寝てないし。でも俺ってさ、寝なくても三日くらい大丈夫な人じゃん?」


「へえ」


「大丈夫なんだよ! コーヒーとレッドブルがあれば」


「四日寝ないで死ねば?」


「何それ冷たい」


「ノートに何書いてたの?」


ノブヒコは、長くて節の太い指でオレンジジュースの入ったグラスを挟み、持ち上げた。ゆらゆらと中の液体を混ぜる仕草が、実験をしているようにも見える。長い前髪から見える瞳は虚ろな色をしている。


「あれな」


カナメはノマドワーカー御用達の機能的な鞄の中から黒のモレスキンのノートを取り出した。


「あの時さ、黄色の予言が来てたんだ。思わずメモりたくなっちゃって。ほら、俺って何かあるとメモる人じゃん?」


「"人"ってつけないと死ぬの?」


「『予言屋』にも保存機能はあるけど、やっぱりノートに書き留めたいから…」


くすんだ白色の紙に、予言が記録されている。


『人にあらざるものの導きに、理は発かれ、赤色の岩石が空を覆う。舵を取るものは夜を知らぬ。夜明けは民と共に』


「政治のカテゴリで、タグが黄色。"人にあらざるものの導き"ってさ、なんだろう。赤色の岩石が空を覆うって、火山が爆発するんじゃねえ? 怖くない?」


「怖くない…っていうか、それって、カナメが働いてる会社がつくったジョークアプリだろ。そんなの信じるなよ」


ノブヒコはオレンジジュースを少し飲み、ぼやっと光った机の上のスマホを手に取った。


「青色の予言はそうだけどさ。黄色は信ぴょう性あるって。ネットで検証するサイトがあるし! それに、絶対当たる赤い予言もあるじゃん!」


カナメもスマホを取り上げ、『予言屋』の赤い予言のリストを表示した。


「ただのタレコミだろ。普通のメディアと一緒だって」


「そうかな~。面白いんだけどな~」


「今日も来てる!」


カウンターの奥のキッチンから、女の子がひょいと顔を出し、カナメとノブヒコに声をかけた。


栗色のさらさらのロングヘア。襟ぐりが開いたカットソーの上に、ニットの長いカーディガン。胸元のビーズのネックレスがゆらゆらと揺れている。


「こんにちは~! 何の話してる?」


カナメが振り返ると、女の子はすぐ近くまで来ていて、二人を眺めていた。カナメはとっさにノートを閉じた。


「あ、どうも、こんにちは」


「こんにちは」


「それってひょっとして、『予言屋』?」


女の子はカナメが持っていたスマホを、カナメの手ごと握った。カナメは目を見開いて口をパクパクし、ノブヒコはうつむきながら鼻で笑った。


「あんまり信じないほうがいいよ。こういうの。二人ともいい大学行ってるんでしょ?」


「い、い、い、いや、そんなに信じてるってわけじゃないんだけど…。ほら、なんていうか、若者内で流行ってるものを実際に体験するエスノグラフィーというか」


「ふーん。そうなんだ。それはそうと、コーヒーのお代わりは?」


「い、いた、だきます」


まいどあり、とつぶやいて、女の子が踊るようにキッチンに戻った。ノブヒコが、笑いながら、ぼそっと一言。


「カモ」


「うるさいな…」


店内が西日でオレンジ色に染まる。学生たちの明るい話声が店の外にまで響きわたる。


ノブヒコは床に置いていたギターケースを取り上げた。


「俺、そろそろライブハウスに行くわ。リハがあるし。カナメは残る?」


「そうだな、課題やっていくから」


「そんじゃあ」


「ノブヒコ」


「ん?」


カナメは、手を組み、立ち上がって出ていこうとするノブヒコの顔を見つめた。


「最近、ライブハウスにピンクマンの売人が出るらしいじゃん。へんなことに巻き込まれるなよ」


「あー、うん。分かってる」


「次のライブは行くからな!」


ノブヒコが人差し指を立ててカナメの顔を指し、店を出た。


「ピンクマンって、ドラッグディーラーの?」


コーヒーを運んできた女の子は、ノブヒコが座っていた席に腰をかけた。


「あ、りがとう。伝説のドラッグディーラー、ピンクマンの話。誰も姿を見たことが無いっていう」


女の子は髪をうなじからかきあげた。やわらかくて甘い匂いが、コーヒーの香りに混じり合う。


「知ってるよ。たくさん売人を雇って、街に出回るドラッグを牛耳ってるって。私の友達も、ピンクマンっていうか、ピンクマンの売人に気をつけろって言ってた。一人、ヤバいのがいるんだって」


開高かいこう…っていう売人じゃないかな。スキンヘッドで片目が無いでかい男。クラブとかライブハウスとか、若い奴が集まる場所に出没するって、LINEグループで共有されてる」


「ふーん…怖いね…。あ、そうだ」


女の子はカーディガンのポケットからスマホを取り出した。


「LINE交換しない?」


「え」


「嫌?」


「え、あ、いや、じゃなくて、全然、全く、ほんとに、別に、いいよ、全然」


「ほんとに!」


女の子は、指を唇にあて、店に差しこむ西日よりも眩しいくらいに笑った。


「私の名前、言ってなかったよね。綾爪宇江瑠あやつめうえる。ウエルでいいよ。変な名前だけど」


カナメは、ウエルの顔を見られず、うつむいて、コーヒーのカップを握りながら自分の名前を答えた。


※※※


首にかけたタオルで滝のように流れる汗を拭きとり、『タイムフォーヒーローズ』の岡本はタバコをくわえた。隣にいたノブヒコがすかさず火をつける。


ライブにやってきた500人余りの観客が、興奮しながら建物の外で話をするのを、『タイムフォーヒーローズ』のボーカルの岡本、ベースの松田、前座として参加した『ケイティ』のノブヒコは、休憩室でタバコを吸いながら聞いていた。


岡本は百八十センチを超える身体を折り曲げ、猫背になって、話をする。


「ノブヒコちゃん、お疲れ。ほんと良かった!『ケイティ』最高!」


「ありがとうございます。『ヒーローズ』、本当にかっこよかったです。前座に出させてもらって光栄です」


と言って、ノブヒコは山高帽を被りなおし、タバコをふかした。


「いやいや、『ケイティ』が良かったよ、今日は。力つけてる。 間違いない! メジャーデビューしてる俺らより演奏うまいもんな?」


「お前はもっと練習しろ、な」


松田はそう言ってたしなめ、瓶に残ったビールを一気に飲み干した。


「ノブヒコちゃんにさ、今度、レーベルで働いている人、紹介してあげるから」


「本当ですか!」


「いいっていいって。『ヒーローズ』が推薦するんだから、色んな意味で、間違いない」


岡本は、床に置いていたギターを取り、ヘッドにタバコをはさみ、ライブで最後に弾いた曲のメロディを弾き始めた。


観客のざわめきが静まっていき、岡本の強くはじく弦の音が休憩室に鳴り響く。


「それでなんだけどさ、ノブヒコちゃん。この前頼んだこと」


同じフレーズが何度も一定のリズムで繰り返される。


ノブヒコはタバコをふかし、床に捨てた。


「あの…」


「考えてくれた?」


「それは…」


弾き語りするように、ギターを奏でながら話す岡本。


ノブヒコは床を見つめていた。前髪から汗が流れ落ち、床に染みをつくった。


「メタンフェタミン。10セットでいい。最高のパフォーマンスには、あれが無いとダメなんだ。You know why?」


ノブヒコの顔中に吹き出る汗は、パフォーマンスの熱によるものではなかった。心臓が潰されそうなほどの緊張に、身体が悲鳴を上げている症状だった。


「開高だったら、取引場所を知っている」


ノブヒコの肩をがっちりと掴む松田の太い指。松田は、いつのまにか、身体を摺り寄せるようにして、ノブヒコの横に座っていた。


「ノブヒコちゃん、『ケイティ』を成功させたいんだよね?」


岡本のギターに挟まっていたタバコが、床に落ちた。落ちてなお、火が巻紙をちりちりと焼き、煙をあげていた。

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