第47話 境界線

 ノゾミの通っている病院の先生は、長い付き合いになるが、偉いひとからぬ風貌をしている。有名国立大学の医学部を出て、医長からセンター長に登りつめ、時期は副医長ではないかとささやかれている。医学的な著作もたくさん出しているし、テレビにもなんらかのかたちでよく出てくる有名人である。病院は県が経営している総合病院だ。


 一瞬にして患者の状態を見て薬を出しているので、最初はノゾミはよく診られていないのかと思った。しかし、先生にスローモーションをかけるように観察してみると、先生は患者の言うことをまず聞いて、その患者の言葉はおいて、顔色や体を観察し、それにあった薬を出しているのだ。時間にして五分。あっという間だから、患者は先生に不信感を抱くのだけど、だんだんわかってきたノゾミは信頼を寄せるようになってきた。


 偉い人からぬ風貌というのは、ノゾミがいつも先生とする雑談だった。薬の処方は二分で終わるので三分は雑談になるのだが、先生が自分の話を持ち出すところが面白い。恐妻家で妻に怒られた話だとか、娘さんとのやりとりだとか、まるで普通の人のように普通に話す。


 この時、ノゾミは偉い人と偉くない人の境界線はどこにあるのかと思う。先生はいろいろな本を出して、いろいろなところで講演会をして、たまに新聞の健康欄にも顔を出す。それでもそれを自分から言うことはなく、ただそこにいる。真の意味で自信を持ち、自分から何も言わなくてもそれは周知のことだから、自分はああした、こうしたと言わないのだろうかと思った。一般人のノゾミとの雑談に興じてくれるのもその証拠だ。


 桜が咲き始めると、春と冬の境界線を感じる。


 ノゾミが自分と偉い人との境界線を感じるのはこういう人と出会ったときだけだ。逆にこういうひとと出会っているからこそ、小さな世界でナンバー1とか、俺はハイスペックだとか叫んでいる人を見ると、「井の中の蛙」と感じて、ああはなりたくないなあと思ってしまうのである。


 過去の栄光が現在の栄光に結びつき、更に光を放っているひとが本物だ。小さな世界でハイスペックだのなんだの叫んでいる人が哀れに思える。ハイスペックと感じたら、更にハイスペックなひとと接してみたらいいと思う。自分がどんなに「井の中の蛙」だったか思い知ることだろう。


 この先生は謙虚だ。ノゾミなんかにも気軽に声をかけて、子供を連れていると子供も可愛がる。この先生に感じるのは畏怖の念だ。なにか盗めるところはないのか、虎視眈々と狙っている。


(お題:春の境界 制限時間:30分 読者:19 人 文字数:1052字 )




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