第19話 人生の晩秋
私たちは愛媛県の松山城に来ていた。『健脚ならば、二の丸から』という言葉に『まだ若いから大丈夫』と思い初めて登りはじめたものの、頂上までは遠くて、自分が老いに向かっていることを、実感してしまった。
50代になり、私も『初老』という年齢を迎えた。妻と連れ添って20年。昔は私の浮気のことで夫婦喧嘩になったり、その姿はまさしく『男』と『女』だったが、いまではそれほど激しく相手を責める気持ちにはならない。お互いに『人間同士』というものになってきたのではないかと思う。お互いに一人の人間として愛し、彼方にある『死』というものをふたりで見つめるようになってきた。
この年になると『愛』といえば、イコール『恋人』という『狭義』の意味ではなく、イコール『人間』という『広義』な捉え方になってくるから不思議である。年をとれば、それなりに枯れていき、ある人を取った、取られたというような『若々しい』思いも湧いてこない。我ながら年をとってきてしまったもんだとため息が出る。
松山城からの景色はとても綺麗で家内が思わず、声をあげている。
「わあ、きれい」
「おまえもきれいだよ」
と言おうとして、やめておいた。『若者らしくて』恥ずかしい。それに『何言ってるの、こんなお婆さんに』って言われるのがオチだ。私にとっては、そのお前の顔のしわも、一緒に生きていた証として愛おしいのだが、それを言ったところでお前にはわかってもらえそうもないよな。
四国に来ても、私は原稿用紙とペンを持って、黙々と書き始める。50の手習いでなにもわからず、書き始めた小説らしきものだが、広義な意味での『愛』をこめて書いているつもりだ。自分が死ぬまでにこれだけは伝えたいこと、言っておきたいこと、心残りだったことをただただ、書き綴っている。
私は別に売れている作家でもないし、小説を書いているというのがおこがましいほど、何も知られていない物書きだ。でも誰か一人でも読んでくれて、広義な意味での『愛』を感じてくれたら、これほど満足なことはない。そんな思いで書き続け、やがて安らかな『死』を迎えられたら、この上なく幸せだろう。
私が書いている横で家内は旅館のあっちをみたり、こっちをみたり、楽しそうである。原稿用紙に向かう私の姿を見るのが面白いのか、じっと見ているときもある。
「私はあなたの書くものが好きよ」
なんて、時々リップサービスしてくれる。人生の晩秋に実にいい趣味を見つけたものだ。趣味を見つけただけでも、もうけものだ。自分の思いを紡いでいく作業は心が豊かになる。心の整理になり、普段無口な自分の思いが発散される。それでいいのではないかと私は思う。
「明日は坊ちゃんのからくり時計に行ってみましょうよ」
無邪気に家内が言う。愛媛といえば、夏目漱石の「坊ちゃん」で有名なところであった。今も昔も文学少女の家内のために、足を運ぼうかと思っている。
私たちのこれからの人生に待ち受けているものはよくわからないが、その彼方にあるものは、「安らぎ」だと信じている。これからも人生の晩秋をともに家内と歩んでいけたら幸せだ。
家内の髪の毛にも白いものが混じるようになった。それさえも愛おしく感じるのは、長い年月が、『身内の情』というものを湧かせたからであろうか。
「坊ちゃんのからくり時計」を見て、お前が喜ぶ姿が目に浮かぶ。そのあとは道後温泉にもつかって、ゆっくりしよう。
年を重ねるってこともいいもんだと最近つくづく思う。この四国の旅行記も小説らしきものにまとめないとな。私が死んだときは、私が書いたものを読んで、ときどきは私のことを思い出してほしい。そんな思いで私は今日も原稿用紙にペンを走らせている。
( お題:愛と死の彼方 必須要素:四国 制限時間:1時間 文字数:1553字 )
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