第17話 美人・人妻殺人事件
今から10年前の私の回想録である。忘れようとしても忘れられない事件で、いまだに悪夢を見る。
隣の家に引っ越してきた女性。年齢は30代くらいだろうか。旦那さんが海外へ単身赴任ということでひとりで引っ越してきた。お子さんはまだいなかったようである。
お金に困っていないのか、彼女は県立博物館の施設で、展示物について説明をするというボランティアをしていた。彼女は非常に明るく、前向きで、人当たりのいい女性だった。当時55歳だった私にも、やさしく声をかけてくれたり、晩御飯を作りすぎたからと持ってきたりしてくれたものである。
私は、妻に先立たれ、一人でこじんまりとした家に住んでいた。寂しい日常生活を送る中、彼女が引っ越してきてくれたことで、どんなに華やかで楽しい生活に変わっていったことだろう。
しかし、私はそんな彼女の秘密をある日、見てしまったのだ。彼女は若い男の運転する助手席に乗って、家に帰ってきた。その男の運転するシルバーの車は彼女の家の前にとめられた。
やがて、
「館長、いけませんわ」
という彼女の声がすると思うと、男女の艶かしい声が聞こえてきた。私はぶるぶると拳がふるえた。
彼女の笑顔は、やさしさは、明るさは、自分だけのものではなかった。そうとはわかっていたものの、振り上げた拳が止まらない。これが「嫉妬」という感情であることが50代にして生生しくわかった。
次の日に彼女の家から血痕が見つかり、川原で変わり果てた姿で遺体となって捨てられている彼女が発見された。
警察に何度も事情聴取をされたが、犯人は私ではないとされた。私はその時刻には、飲み屋で酒を飲んで鬱憤を晴らしており、マスターを初め、お店にいたひとの証言もあった。
情事がらみで、博物館の館長も犯人ではないかと問い詰められたが、その時間は博物館で確かに仕事をしていたと職場の人間が何人も証言した。
では、犯人はいったい誰だろう。わからないまま十年が過ぎた。
「人間は死ぬと冷たくなる。死んだ瞬間から徐々に体温が下がっていくのだが、それを防ぐためにお湯につける。体温の低下を遅らせたために、死亡推定時刻を実際の死亡時刻より遅らせる事ができる」
テレビでそんなことをやっていて、私はドキリとした。
つまり嫉妬に狂った私は彼女を殺してお湯につけて、酒場に行ってアリバイを作り、それを川に捨てたということもできるのだ。
私はそんな悪夢を忘れたくて、忘れようとして、忘れていた。殺人罪の時効はなくなったと聞いていたが、私は捕まらないまま、この精神状態で生きていかなければならないのだろうかと身震いした。
そもそも、私にはアリバイが成立していて、犯人とも思われていない。10年もたって、今頃自首してもいったいどう思われるのか?
私は心に決めた。善良な奥さんを殺めてしまった罪は、自分の死をもって償うしかない。
私はビルの屋上にいた。自分が犯人だという遺書も書いた。くつを並べておいた。
「さて、飛び降りよう」
としたときに、私の自殺をとめる声がした。よく見ると、奥さんの愛人だった館長だった。
「実は、僕が犯人なんです!」
館長の言葉に私は自分の耳を疑った。
「殴打された彼女が浴槽に居たときは、まだ息がありました。それを、私が殴り殺したのです」
「なんで、そんなことを?」
私は館長に尋ねずにはいられなかった。
「僕は許せなかったんです。彼女は博物館の職員にも、お客さんにも好かれていて・・・。彼女の笑顔は、やさしさは、明るさは、自分のものだけではなかったことが」
同じ理由だと思った。でも館長は靴をぬいで、
「私のせいです。すみませんでした」
と言って、ビルから飛び降りていった。館長は即死の状態だった。
私の責任でもあるのに・・・と思いながらも、ビルをあとにした。でも、彼女もいけないんだ。そうやすやすと、自分の魅力をほかのひとに見せるから、こんなことに合うんだ・・・。勝手なこととは思いつつ、そんな呟きが出てきた。
野放しにしていいオンナと野放しにしてはいけないオンナがどうやらこの世にはいるようだ。それがだんだん私にもわかってきた。彼女は後者のほうだった。
旦那さんは彼女が死んだときに泣いていたが、同情できなかったのはこのためだった。放っておきすぎだ・・・。自業自得だと思った。
(お題:捨てられた善人 必須要素:血痕 制限時間:1時間 文字数:1835字 )
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