第5話 おじいさまの失踪

 動物の中には自分の死期を悟ると突然そこからいなくなるという種もあるという。


 おじいさまは、アフタヌーンティーにハロッズの紅茶を飲むのが好きだった。ハロッズとはイギリスに本店があるブランドである。春の陽だまりの中、いつもおじいさまは、ミステリーものの小説を読み、紅茶を口にしていた。


 そんなおじいさまが突然姿を消した。家族のものは慌てた。


「まさか動物のある種のように、死期を悟って自らいなくなったとか・・・?」

「ううん、おじいさまに限ってそんなことはあり得ないでしょ」

捜索願いも出したけど、結局見つからず、事件性もないと判断された。おじいさまは失踪したということで片付けられていた。



 わたしはイギリスのハロッズの本店にいた。おじいさまが大好きだった紅茶を手にしていた。おじいさまのためにいっぱい買った。いつかおじいさまに飲んでいただけるように。そしてイギリスの街を楽しんで、日本に帰国した。


 不思議なことに、おじいさまの捜索願は取り下げられていた。家族ももう諦めたらしい。わたしは、おじいさまのミステリーの本を読む。アガサクリスティーの本だ。


 おじいさまのために購入した紅茶を入れてみる。やはり、日本の紅茶とはまた違う、異国情緒の香りがした。おじいさまの座っていた椅子に恐る恐る腰掛けてみる。ゆったりとしたソファーはとてもいいすわり心地だ。ミステリーものの本を読みながら、こくんと紅茶を飲んでみる。おいしい。


 そう思っていると、お手伝いのものがきた。なにやら彼女は私に怒っているようだ。どうしたのだろう。


「まったくだめですよ。異国に行かれるときは家族に言わなくては・・・」

 彼女のいうとおりだ。私は首をすくめて謝る。

「ごめんなさい。紅茶がきれていたようでしたから・・・」


 呆れて家族のものもやってくる。

「だめですよ。おじいさま、ちゃんと海外にいくときは伝えていかなければ・・・。捜索願いを出してしまったじゃないですか」

「ごめん、ごめん。今度からそうするよ」


 おじいさまったら、すごく家族に怒られているみたい。そして安心したように紅茶を飲んで、ミステリーの本に目を通した。


 おじいさまの過去は不遇だった。かなり両親に暴力を振るわれたらしい。


 子供は親に愛されると信じて生まれてくるから、虐待されている自分は、自分でないと思うことで生き延びる。そして違った自己が形成される。それが私だ。名前は修也。その名前はおじいさまがつけてくださったんだけど、高齢のせいか、おじいさまの人格はおじいさまになったり、修也になったりあまり定まらない。そのうちに人格の使い分けができなくなったらしく、私に修也と名づけたことも忘れ、私の存在自体も忘却したみたいだ。


 おじいさまが今日も精神病院へ行く。

「えっと、家族に、勝手に外国に行くなと注意された。でも記憶がない。しかしイギリスに行った証拠にハロッズの紅茶がたくさんある・・・ってことですな」

 カルテにペンを走らせる精神科医も困った様子である。だってそれは私、修也が行ってきたことだから。

「まあ、わかりやすくいえば分裂症ですな。被虐待児がなりやすいとか・・・」

「分裂症ですか。わしはわししか、いないように思うのですが」


 やっぱり私のことを忘れているか。これから突飛なことは控えよう。


 しかし私はいたずら好きという困った性分があった。やっぱり現代のミステリーも読んでほしい。日本作家のミステリー小説を何冊も買いあさって帰った。


 次の日におじいさまはまた精神科の医師と向かい合っていた。


「ええっと。今度は帰ったら、買った覚えもない日本作家のミステリーの本がたくさんあって、とにかく、びっくりした。どこで購入したかもわからないのに、レシートがあった。でも読んでみたら、意外に面白くて、ためになった・・・というお話ですか?」

 ほぼ呆れ顔で医師は今日も聞く・・・。


(お題:イギリス式の祖父 制限時間:1時間 文字数:1654字 )


 

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