第17話 彼らは踊る。嵐の夜に。
「うん……なんて今夜はいい日なんだ」
私服が濡れることも構わずに、少年は嵐の中、穏やかな笑顔を浮かべていた。激しく叩きつける雨粒も、時折瞬く稲光も、まるで自分を祝福するパレードのようだ。
すぐ足元には、彼女の両親が縛られて転がっていた。大切な
大変申し訳ないが逃げられては困るので、お父さんもお母さんも、その両足は丁寧に折らせて頂いたし、お父さんに至ってはきっと別の動物に変身して逃げ出すと思ったので、両腕を使い物にならないほどに折らせて頂いた。お母さんは、足を折っただけで激痛のために気絶したらしい。
(お父さんは……キュマイラの力を持つとか言ったかな)
不幸にもそのせいか、気絶に至ることはできなかったようだ。両腕と両足を折られ、芋虫のように這いずりながらも、割れた眼鏡の奥から、貫くような鋭い視線でこちらを睨みつけている。その顎の下では、泥水がぴちゃぴちゃと雨水に叩かれて踊っていた。
「幸人君……君は……なんてことを」
絞り出すような声。その声を聞くと、なんだか心の底から愉悦が滾る。
ああ、ああ、はやく、はやく。
このひとの、のうみそも。
あのこの、のうみそを。
「ふふ……お父さん。今宵は恋ちゃんと僕のために、こうして来てくれて、本当に嬉しいです。ちょっと、緊張しちゃいますね」
自らの手によってこのような仕打ちにしたのだが、気にせず幸人はにっこりと笑顔を浮かべた。ぞっとするほど、綺麗な笑顔を。
「まさか、恋ちゃんだけじゃなくて、お母さんやお父さんまでこの力を持っていたなんて……運命としか言いようがありません。きっと、神様は僕たちが結ばれるべきだと思ったのでしょう。だから、僕たちは今夜、ひとつになるのです」
「君は……自分が何をしているか、わかっているのか……?」
舌なめずりをするこちらの顔を青ざめた顔で見上げながら、お父さんは震えていた。恐怖なのか。それとも、怒りからか。自らの無力さからか。目の端に涙さえ浮かべているようだった。
お父さんは、さっきから全身に力を何度も入れていた。きっと、キュマイラ本来の力を引き出したくて仕方が無いのだろう。
自分にあってお父さんに無い、『
「……情けない。私は……妻も娘も、守ることができない。父親失格だ……!!」
少年は、静かに泣くお父さんを不思議そうに見つめて。
ゴッ。
その顎を思いっきり蹴りあげた。
お父さんがボロ雑巾のように吹っ飛んで、フェンスに当たってずるりと落ち、そのまま動かなくなる。
「やだなあ、お父さん。泣かないでくださいよ。笑ってください。僕たちの門出なんですから───あれ、お父さん? 大丈夫かな、死んじゃいました?」
一応、手加減はしたつもりなのだが……ぽりぽりと頭を掻く幸人。
その手が不意に───止まる。
「いやあ。せっかくのパーティーに、招待してない人たちが来てるみたいだねえ?」
嵐の中。
神楽坂高校の屋上で、少年は後ろをゆっくりと振り返る。
そこにいたのは……
「ご挨拶ですねえ。パーティーには余興が必要でしょう? FHには私のような余興役がたくさんおりまして───はじめまして、 『
時代外れな和服を着た、書生姿の男が馬鹿丁寧に会釈する。
丸眼鏡が稲光に反射して───いや。
自らが身体から放つ電撃の光に白く反射して、その表情は読み取れない。
その後ろから、ずいと出てきたのは自分と同じくらいの少年だ。
そういえば、恋を最初に襲った時に居たような気がする。自分の高校と同じ制服を着ながら、その顔は仏頂面で、端的に言って、高校生にはとても見えない。
彼は右腕に、恐ろしいほどの熱量を帯びた炎の長剣を携えていた。
「俺は今、虫の居所が悪いんだ……『
最後に、その揺らめく炎の後ろから、小さく黒い物体が現れる。
……いや。あれは、黒鴉だ。
鴉は嘴から、流暢な人間の言葉を紡ぎ出した。
静かな怒りの声音を含ませて、こちらを睨み付けてくる。
「左様。お前が積み上げた罪は、万死に値する。覚悟するがよい、小僧───『
三人の影。
その影が、宵闇の嵐の中で、雨に打たれ佇んでいる中───
ぱちぱち、ぱちぱち。
何やら、乾いた音が聞こえてくる。
少年が、笑顔で手を叩いていた。
「あはは。ご招待していない余興の皆様、どうも今宵はお越し頂き、ありがとうございます。でも、おかしいですね───」
気だるげな拍手を終えて───その穏やかな顔の横に、血管が走る。目が歪み血走り、口の端が引き攣り、もはや別人の有様だ。
「ぼくのデザートは───どこにやった?」
その形相に、京介は鼻で笑う。
「ふん、笑止。あいつを易々と、ここに連れてくるわけが無いだろう」
「まあ……デザートは余興の後にでもいかがですか? 最も、手加減をする気はさらさらありませんがね」
「そういうことじゃ。観念せい」
二人と一匹はじり、と足を滑らせ、幸人との間合いを図る。しかし幸人は微動だに動かなかった。いや───
───震えている。
「ふっ……ふふふふ……くくく、くくく……」
最初は小さく、やがて大きな波となって、彼の体はゆらゆらと揺れた。笑っているのだ。くつくつと、しかしやがて哄笑と変わる───
「ふははははははははぁ……面白い!! それならば、お前らを倒すまでだ。ひき肉にして食いつくし、腸さえも残さないぞ!! なんせ、彼女のご両親はこの手の中だ───絶対に彼女は、来る!!」
大きく開けて笑う口の端が、ぎゅりっと耳まで裂ける。同時に、ぬめぬめとした白い肌が露出し、服を裂き、膨張する。
『完全獣化』した白い大蜥蜴は、べろりと大きな舌を出した。
「さあ、パーティーの余興と洒落込もうか……!!」
そして戦いの火蓋は。
嵐の中、切って落とされたのだった。
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