第16話 その慟哭を彼女は聞いて

 彼らが恋を置いて出て行ったのは、それからまもなくのことだった。


 ザアァァァァァァァァァァ………


 嵐が吹き荒れ、雨が体を濡らし叩きつける。暗雲が立ち込め、時折雷が落ち、辺りを一瞬だけ白く染め上げた。


 その中に、少女が───ひとり。


 恋の真後ろ、荒れ果てた自宅の中には、神威が作った避難用の亜空間がぽっかりと口を開けて広がっていた。この絶対たる安全地帯を作り出した黒鴉の言葉が、重く少女の胸にのしかかる。


(恋……むしろ、儂らがお前を戦いに巻き込んだのじゃ。気に病まなくても良い。お主はここに隠れて、待っているがよい。じきに戻ろうぞ)


(ここに隠れれば、しばし安全な場所となる。ただし、一度入ったが最後、儂が戻るまでは二度とここは開かぬ)


(よく考えて決めるのじゃ、恋。悔いの残さぬよう、慎重にな)


 痺れて麻痺したような頭でそれを聞きながら。

 ただぼんやりと、どこか他人事のように、恋はそれを聞いていた。無感動に。


 もしかしたら、心の奥底で父と母が自分の窮地を助けてくれることを、密かに期待していたのかもしれない。だからこそ、二人がいなくなったと聞いて、絶望するしかなかったのだ。

 もう、自分には───無理だと。

 そう、思っていた。

 だからなぜ、神威が今更そんなことを言うのか、恋には理解できなかった。


「そうだよ……神威は強いし。星霜さんだって強いし、きっと大丈夫だよ、恋。少ししたら、中で待ってれば、みんな一緒に帰ってきてくれて───四ノ宮くんも……」


 睨みつける二つの目。


 先ほどの京介の顔を思い出し、思わず固まる。

 京介は、なぜあんなにも激昂したのだろう。きっと、自分と違いすぎていたからだろうか。自分はこんなにも無力で、幼くて、どうしようもなくて。

 だったら、怒られたって仕方ない。


「でも……四ノ宮くん……」


 でも、なぜあんな顔で───

 顔で、怒っていたのだろう?


 分からないことが多すぎる。恋は深く嘆息した。そうだ。こんな世界の真実を知るくらいなら、知らない方が良かった。

 世界はこんなにも、残酷だったなんて……


「……え?」


 ふと。

 奈落の底のような暗黒色の亜空間に歩みかけて。

 悲鳴が聞こえた気がしたのだ。それも、泣き叫ぶような声。


 自らの意に反して、ゆっくりと声が聞こえた方に歩いていく。亜空間の入り口を通り過ぎ、ずっと歩いて、居間へ。そこは、いつもの見慣れた居間のはず───

 ───だった。


 外れかけた扉を乗り越えた瞬間、軽いめまいが押し寄せて……

 気がつくと、恋は、目の前に少年を見ていた。

 彼は顔を覆いながら、跪いて震えていた。


(嫌だ……嫌だ……)


(誰か助けて……止められない。とめられないんだ……)


「ユキト……君……?」


 自分の命を狙う相手に違いなかった。

 それなのに、恋にはその相手が───幸人が、いつもの幸人のように思えた。

 温かい笑顔で、美味しいご飯が作れて、美味しく食べる恋に照れくさそうに笑う、いつもの幸人だ。


 しかし、彼は自分に気付いていないようだった。手を伸ばせば届くほどに近付いているというのに、彼はこちらに目もくれず、嗚咽を漏らし、泣いている。


(人なんか殺したくない。脳味噌なんか食べたくない!!)


(誰かお願いだ……助けて……助け……)


(………れ……恋…ちゃん……ッ!!)


「ユキト君……、ゆ、ユキト君っ!!」


 名を呼ばれ、その悲痛な姿にたまらず、恋は彼を抱きしめる。


「……ッ、…………!!」


 しかしその想いは虚しく、両腕は空を撫でる。彼は実体ではなかった。

 そのまま搔き消えるように、少年の姿はぼやけ、薄れていく。

 後には、荒れた居間が目の前に広がるだけ───


(これは……記憶の中の彼? 私が自分に見せている幻? それとも……)


 それとも。

 彼の、まだジャームになりきれないまま眠っている、本来の幸人なのだろうか?

 まだ人の心を持つ、幸人が。


 助けを求めている。

 ───自分に。


「……ユキト君。あんなになってまで……こんな、何にも役に立たない、私なのに」


 呆然としていたその瞳に、一筋の光。

 涙が溢れ、頬を流れていたが───それは先ほどと比べれば、いくらか温かい。


「……ごめんね。待たせちゃったね。いつも遅刻ばっかりしてるよね、私」


 えへ、と笑って。

 恋は近くにある小さな瓦礫を掴むと、力一杯、それを亜空間に投げつける!


 ゴゴゴッ………


 ゴゥン……。


 亜空間の口は彼女の一投を受け入れ、轟音を立てて、その口を閉じた。

 後には、雨風の音ばかり───


「決めた。私、ユキト君を……止めるんだ!!」


 それは、自分にしか出来ない。

 少女は全力で駆け出す。駆けて駆けて駆けて、彼の元へ。

 彼が待つその場所は、恋と二人だけの、思い出の場所なのだから。

 きっと彼はそこで、ずっとずっと、自分を待っているのだ。


 ひとりぼっちで。

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