第15話 少年は激昂する。

「お母さん……お父さん……」


 か細い声が聞こえる。

 部屋の隅のベッドの上に、少女が体育座りでうずくまっている。その体はカタカタと震えていた。

 京介は、それを見つつも───苛立ちを隠せない。


「なんで……どうして? こんなことに……ユキト君……」


 父と母が攫われた家。

 きっと彼女には、ぽっかりと虚が空いた我が家なのだろう。

 ベッドを視界に入れつつも、自分は部屋の片隅の壁に寄りかかりつつ、心の中でひとりごちる。


(くそ───吐き気がする)


 実は、最初にこの部屋に来たときから、彼は嫌悪感を隠せなかった。部屋の隅々まで、理想的で平和で、素敵なお家。まるで、自分とは違う世界。

 まるで───

 自分たちの、こちら側の世界など、無かったかのような。


 だから、どう酷いと言われようとも、彼女の境遇も、この惨状も、彼にとってはどうでもよかった。同情の余地はない。なぜなら、彼らはこの世界を無視し続けていたのだから。しかもよりによって、我々の力によって庇護されながら、である。


 ざまあみろ。

 そう思わなかったと言ったら、嘘になる。


 言ってしまえば、この光景は、こちら側の世界にのことに過ぎない。さしたる驚きもない。このような血肉ぶちまける世界こそが、世界の真実だからだ。


 しかし───なのになぜ───


 こんなにも、?


「……そ、そうだ。四ノ宮くん。ユキト君、ジャームから戻れるんだよね……? UGNに保護して貰えば、いつもの、あのあったかい、ユキト君に戻れるんだよね?」


 不意に、名案でも思いついたような顔で、彼女は縋り付くような視線をこちらに向けた。しかし、その問いには答えない。


「………」


 無言で答えるこちらを視界に入れないまま、虚ろに空を見つめ、少女は続ける。希望の満ちた声で。

 その声に逆撫でられるように、ちりちりとした炎を感じる。

 自らの、内に秘めた炎が。

 ちりちりと、胸を焼く。


「だ、だったら、ユキト君を捕まえさえすれば……」

「……だ」


 もうやめろ。

 もう。


「そ、そうだよ!! ユキト君を捕まえて、UGNに治してもらえば───」

「───無駄だ!!」


 苛立ちを隠すことは、もう限界だった。

 怒号とも取れるような言葉に、少女の体がビクッと震える。

 それを静かに見下して、京介は冷たく言い放つ。


「無駄だ。ジャームになっている今、もうレネゲイドウィルスの暴走は止まらない。仮にUGNで引き取ったとしても、治せる確率は未だゼロだ。せいぜい、解決方法が見つかるまで、十数年とガラス管の中に保管されるだけだろう」

「そ、そんな……それじゃ、ユキト君、あんまりだよ! ユキト君だって、そんなことしたくてやったわけじゃないよ!!」


 怒りと悲しみで我を忘れたのだろう、恋は立ち上がり、食ってかかるようにこちらに歩み寄る。今まで初めて見るような、燃えるような怒りの色が瞳に宿っていた。


「交通事故で、と言っていたな。おそらくは、そこで一度死んだのだろう」


 少年は、ふう……と大きく息を吐く。落ち着け。そうでもしないと───


「そしてレネゲイドウィルスに感染し、オーヴァードとなった。そして最終的には、力に溺れたに過ぎない。……よくある、結末だ」

「そんな、ひどい。ユキト君がかわいそうじゃない!!!」


 その言葉に。

 もう、京介は止められなかった。


 ガンッ!!


 恋の胸ぐらを掴み上げ、壁に叩きつける。鈍い音がした。


「かわいそう───だと」


 怯える少女の瞳。

 それを下から刻み付けるように睨みつけて、京介はその言葉を繰り返す。


「あいつがかわいそうなら、俺たちはどうなんだ? 俺たちは。UGNチルドレンは? お前だってそうだ。俺たちはいつだって、ジャームになる危険性を秘めている。それを避けることはただ一つ───レネゲイドウィルスをコントロールしなければならない。俺は必死でそれをやってきた。お前はどうかは知らんが、お前だって経験があるだろう? 覚醒したときのことを」

「ひっ……」


 怯えから、恐怖へ。おそらく覚醒時のことを思い出したのだろう。

 オーヴァードは覚醒するとき、伴って欲望や衝動が押し寄せることがままある。自分の場合は殺戮衝動になるが……


「やめて……やめてぇぇ……」


 必死でこちらから逃れようとする彼女の胸ぐらをさらに強く握る。

 止められない。

 止めるわけには、いかなかった。


「お前はオーヴァードだ!! !! 平和に暮らせる人間なんかじゃない。それを自覚するんだ。死と隣り合わせの世界がお前の本当の世界だ。この世界の真実と正面から向き合い、戦え!! あの時の───」


 あの時の言葉が、脳裏にリフレインする。


(───私も戦う。もう、逃げたく無いの)


 瞳から涙を流しながら、決意を目に秘めた、その強さが。



(目を逸らしたくない)



「あの時のお前の覚悟は───その程度のものだったのか……?」


 知らず、京介は胸ぐらをつかむ拳が震えていることに気付いた。

 あの時、共感してくれた少女に、淡い期待を抱いていたのだろうか。

 自分たちの苦難に理解を示し、ともに戦ってくれると。


 そんなものは───夢にすぎなかったというのに。


「……四ノ宮くん……? 泣いてる……の?」

「…………」


 答えることはできなかった。拳が震えて、少女を殴ることすら適わない。

 弱々しく少女を降ろすと、京介は震える声を押し隠すように、静かに告げた。


「………今夜、神威支部長及び諸星星霜エージェントと共に、UGN局員である早乙女夫妻を救出する任務に就く。お前は神威殿の創られた亜空間で待機しろ」

「四ノ宮……くん」

「俺を気安く名前で呼ぶな。俺には別の名がある───」


 扉に向かい、後手に締める。


「───『紅蓮の疾風ソニック・インフェルノ』という名前がな」


 拒絶するように、断絶するように。

 彼女の追いすがるような視線を断ち切るように、京介は扉を閉める。


 バタン。


 その乾いた音が、すべての始まりの合図。

 そして───終わりの合図でもあった。

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