第12話 彼女は、彼と再会する

「うう……寝不足だよお」

「たるんでいるな。もっと緊張感を持て。俺のように」

「だ、誰のせいだと思ってるのよぅぅ……!」


 あれから、3日後の昼。

 暖かい風が、屋上を吹き抜ける。気持ち良いくらい、穏やかなお昼。

 だというのに。


(な、なんで、隣にいるのがユキト君じゃなくて、コイツなのよおぉぉぉ…)


 京介の恋の寝室通いは続いていた。いくら自分のベッドの下で寝るとはいえ、気が気でない恋は、すっかり睡眠不足である。

 しかも、朝夕には一緒に登校・下校することになってしまった。たちまち噂に餓えた同級生たちには「なになに!? 佐伯君にライバル出現!?」だなんて冷やかされている。


(ユキト君、なんでか私を避けるし。お昼のお弁当は四ノ宮君とばっかり。つまんないなあ……)


 しかも、今日に至っては学校に来てすらいないらしい。どうやら、風邪とのことだが……


「うーっ。今日帰ったら、ユキト君ちにお見舞いに行こうかな」

「佐伯か。別にかまわんが、夕方のミーティングには顔を出すようにな」


 ここ最近は、放課後に近場の広場で皆で落ち合い、ジャームの情報交換をしていた。恋と京介は学友の噂を聞き回り、星霜はネットハックを繰り返しての情報検索、神威は独自の情報ネットワークでの調査を続けていた。

 すると、色々なことが分かってきたのだ。

 まず、このジャームは最初の事件から少しずつ恋の生活範囲に近づいてきてはいるが、襲った、あるいはまだ遺体が見つかっていないのであろう行方不明者に、ひとつの共通項が見られた。

 町で有名なイケメン、有名レストランのシェフ、神楽坂高校の人気者、部活で活躍している男子たち──

 皆、何かしら1つ才能に秀でている人たちだった。そして、圧倒的に男性だらけなのである。


「しかし、なぜあのジャームは、あんな者たちの脳味噌を食べるのだろうか……」


 丁度同じことを考えていたらしく、京介が母の手製の弁当のタコさんウインナーを箸に取り、呟く。「うええ…ご飯中にやめてよね」と嫌な顔をする恋。


「ジャームになっちゃった人の心境なんて分かるわけないじゃない。きっと、食べたくなっちゃうんだよ……ぐ、グルメってやつで」

「グルメ、ねえ」

「ふむ。あながち間違っていないかもしれませんよ?」

「へえ、星霜さんもそう思う? ──にゃあああっ!?」


 にゅっと唐突に丸眼鏡顔が割り込んできて、恋は面食らった。京介もたいそう驚いた顔で口をパクパクしている。

 そんな彼らを見て、くすりと星霜は笑った。


「ふふ、今日も私の薬は絶好調のようですね」

「も、もうっ! びっくりさせないでよ、星霜さん!」

「………」


 星霜がFHエージェントということで最初はギクシャクしていた恋だったが、人懐こい性格ということもあり、最初に比べればずいぶん打ち解けていた。京介は相変わらず苦手なのか、渋い顔をしてはいるが。


「私も、なぜあのジャームが脳を咀嚼することに拘るのか、そこに疑問をもちましてね。インターネットで色々調べていました所、こんな概念を見つけたのです」


 少々失敬、と星霜は、自身の力で恋の側に置いてあったピンクのスマホにアクセスする。スマホはひとりでに動き出し、ブラウザを立ち上げ、Googleからウィキペディアを導き出した。


「脳を食べる部族というものが、過去に存在していました。その部族は、相手の脳を食することにより、相手の特性、力を自身に植え付けることができると信じられていたのです」

「え、ほんとに!?」

「まさか。そんなことができたら、今日日、とんでもない新人類が誕生してしまいますよ。我々オーヴァードよりも厄介な、ね」


 苦笑して、星霜は続ける。


「しかし、このジャームも似ていると思いませんか? 自分に無い能力を得るために、優れた人間を襲いだす……」

「確かに、一考の余地はあるな。だとすると、どうやらそいつは、随分自分にコンプレックスを持つ人間のようだ。こんなに食べても満足しないのだからな」


 唾棄するように、京介。

 対して、反芻するように、恋はその言葉を繰り返していた。


「優れた人間の……脳を食べる……コンプレックス……」


 そう聞いていると、なんとも、恋も複雑な気持ちになってくる。恋だって、ずっと劣っていると言われ続けた人間だ。コンプレックスだってあるし、他人を羨む気持ちは人一倍強いつもりだった。それだけに──


「……なんだか、可哀想だね」

「なんだと? お前は何を言っているんだ。自分の命が狙われているんだぞ!」

「だって、だって。こんなに人を襲ってまで、自分を変えたいってことでしょ? なんか──辛いよね。そういうの」

「そうですね。このジャームには、計り知れないほどの昏い想いが渦巻いているのでしょう。しかし、ジャームはジャーム……もう、人には戻れない」


 星霜はにっこりと笑って、恋の前に立つ。


「恋さん。あなたはやはり、どのオーヴァードより心優しい。きっとそれは、あなたの能力がそうさせるのでしょう。我々よりもよほど人に近いようだ。しかし、肝に銘じなさい」


 ざあっ──


 急に、強い風が吹いて。

 校庭の桜の花びらが舞い上がり、屋上まで届いて吹き上がる。


「この世界は、あなたが思うほどに──」


 書生姿の男。

 その微笑む口元が、にたりと歪む。


「優しくは、ない」


 そのまま、彼の姿は桜の花びらの中で搔き消えた。

 ぽかん、としている恋に、京介は腕組みして頷く。


「今回ばかりは、星霜に同意する。お前は甘すぎる。それは、致命傷になりかねん」

「うう……そうかなぁ」


 困ったような顔で恋は笑い、お弁当の卵焼きを口に突っ込む。


 キーンコーンカーンコーン……


 お昼の終りを告げるチャイムが聞こえる。

 さあ、午後の授業だ──



*  *  *



 そして、放課後。

 はやる気持ちを抑えながら、恋は幸人の家に向かっていた。

 本当は京介が一緒に行くと言って聞かなかったのだが、モルフェウスの擬態能力である『テクスチャーチェンジ』を駆使し、なんとか巻くことに成功したのだった。

 かさ張らない大きめの布さえ持っていれば、『テクスチャーチェンジ』で周囲の壁に擬態できる。まさに、忍者の「隠れ蓑の術」そのものだ。


(こーゆー時のために持っていた、おっきな布が役に立ったなー)


 夕陽が綺麗で、全てを赤く染め上げている。小走りに走っていると、左手に公園が見えた。思わず、恋は足を止める。

 ここで、初めて幼い幸人と出会ったのだ。

 彼はしゃがんで泣いている自分に、にこにこと近づいて──


(どうしたの?)

(みんなが、きもちわるいって。わたしのちかくにいると、へんなものがでてくるっていうの)

(ぼくは、きもちわるくないよ。れんちゃんのこと、すき)

(……ほんと?)

(ほんとだよ。ほら、てをだして)


 彼は、その小さな掌から、もっと小さなキャンディを取り出す。

 ピンク色の、かわいい飴玉。


(ぼくのきもち。れんちゃんをすきってきもち。これくらい、あまくてだいすき)

(ゆきとくん……)


 にぱ、と笑う自分。


(ありがとう、ゆきとくん。だいすき!)


「ユキト君……」


 そうなのだ。

 恋は、幸人の誰に対しても平等に接することができる優しさに惹かれていた。何度も助けられた。

 しかし、なぜ今、これを思い出したのだろう──?


「恋ちゃん」


 不意に──声がして。

 恋は、ゆっくりと振り向いた。

 

 そこには、線の細い少年が一人、微笑んでいた。


「ユキト君……?」

「嬉しいな。ここで君と会えるなんて」


 彼の微笑は、いつも暖かい。心地よい。はずなのに。


(なんでこんなに、心臓がドキドキしてるの……?)


 なんとも言えない焦燥感が、恋を襲う。


 


「待っていたんだ。君に、特別な場所を用意したよ。とっておきの、最高の」

「ユキト……君? 何を言っているのか、わからないよ」

「ふふ。ずっと考えていたんだ。君は僕にとって最高の存在。最高のデザート。最高の味付けにするには、君が輝いていなくちゃいけない」

「あ、あなた……ほんとにユキト君なの?」


 まるで別人だった。そこにいる幸人は、今までの暖かな、穏やかな彼とは違う。

 冷たく、歪んだ、恐ろしい何か──

 そいつは恋の言葉に、傷ついたように困った顔をした。


「心外だなあ。僕は僕だよ。佐伯幸人さ。ずっと、君を憧れとしていた、弱い弱い佐伯幸人だよ。誰よりも劣った、小さな、矮小な存在の。でも──もう違うんだ。見つけたんだよ。自分を変えることができる力を手に入れたんだ」


 無邪気に──本当に無邪気に、彼は笑う。


「人の脳味噌を食べれば、そいつの得意な力を手に入れられる」


 後ろに立つ桜の樹が、夕陽で赤く染められて。

 花びらがまるで血飛沫のように、彼の周りを彩った。


 恋は、息を飲んだ。

 心臓の奥底が、凍る何かに掴まれる──


「そうなんだ。僕は変わったんだよ。たくさん食べて、ほんとに変われたんだ。どんどん食べれば、もっともっと変わることができる。超人にだってなれる!」

「や、やめて」


 頭を抱え、耳を塞いで、恋は喘ぐ。涙で視界が曇る。

 いやだ。こんなの、いやだ。

 しかし、彼の妄言は止まらない。


「君が同じ力を持っていたなんて知らなかったよ。とんだ計算外だった。でも、喜ばしいことだ。君は僕と同じ力を持っているらしい。それは、運命だったんだ。恋ちゃん、君は──」


 一歩。

 彼の体が、こちらへと近付いて。

 その顔が、狂気の色を浮かべた。


「──僕に生まれたのさァァ──あははははははァァ!!!」


 ぎゅり、と彼の体が歪んだ。ぬめぬめとした白い肌が露出し、服が破れ、ひとまわりもふたまわりも肥大化する。

 オーヴァードの力の爆発と同時に、展開されるワーディング認識結界。これで周囲の一般の人間たちは気を失って倒れたことだろう。

 そう、それは、間違いなく。

 大きな、白いトカゲの化け物──『脳味噌吸いの蜥蜴ハンニバル・バジリスク』だった。


「やめて──やめてえええええええっ!!!」


 悲鳴をあげて、恋は号泣する。

 その勢いのまま、暴走した力で、足元から次々と壁と柱が出現する!


『無駄だよ。そんなもの……壁にもならない』


 彼は一笑すると、先日と同じように、太い右腕で粉々に破壊する。

 豆腐のように瓦礫が砕け散るが、そこに恋の姿は無かった。正確に言うと、恋の制服や下着、学生鞄だけが残されている。


『ほう? かくれんぼか。懐かしいね、昔を思い出すよ。恋ちゃん』


 にたり──と、白いトカゲは鋭い牙を剥き出しにして笑った。



(なんでこんなことになっちゃったの?)


 恋はカタカタと震えていた。

 ここは、公園の丸い遊具の中。外は滑り台になっていて、中は子供が入れるほどの空間になっている。そこに、一匹のが潜んでいた。

 壁で時間を稼ぐ間に、キュマイラの力を借りて咄嗟に変身した、猫の姿。しかし、本物の猫ほど上手には走れない。見つかってしまったら、万事休すだ。


(どうして、どうしてユキト君が……こんなことなら、四ノ宮くんを置いていくんじゃなかった。星霜さんに、神威に連絡を取らなきゃ)


 焦って、怖くて、考えがちっともまとまらない。スマホは変身したときに、鞄ごと置き去りにしてしまった。あれを取りに行かなければ、連絡は取れない──


(落ち着いて、考えて。考えるのよ、恋。考えなきゃ、殺されちゃう)


 翠色の瞳を閉じて、必死で考えを巡らす。

 もう時間は、あまりない──

 あのジャームの足音が、すぐそこまで迫っていた。

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