第10話 月夜、彼は彼女の元へ

 ピンク色の、女の子女の子した部屋の中。

 お気に入りのベッドに体を預けて、恋は、「はぁぁぁ……」と長く溜息をつく。

 本来はUGN保護下の元、恋は支部に預けられる予定であった。しかし、恋が事件解決に向けて協力することになったため、ジャームに勘付かれては元も子もなくなると、自宅に帰されることとなったのだ。

 もちろん、父の上司である神威から直々の命令と、恋からの必死の説得により、恋を必ず守ることを条件に、両親は渋々だが了承してくれた。


(うはぁ……長い1日だったなあ……)


 色々ありすぎた。すっかりもう、0時を回っている。

 既に恋は、いつもの少しひらひらしたレースが施されたかわいいパジャマに着替えていた。長いツインテールも解き、流れるがままにしている。

 重い瞼を閉じると、月明かりは遮断され、視界に深い闇が訪れていく。

 深い闇。

 つい先ほどの、UGN支部でのやり取りが思い出される──



*  *  *



 星霜はまるで影のように、闇の中に溶け込んだ姿で立っていた。

 行灯の光にその姿を揺らめかせながら、笑顔を崩さない。

 すぐ目の前には、自らの能力で切りつけた京介。

 その奥には、突然のことに驚く恋。最奥には、黙し続ける一羽の鴉の姿があった。

 京介の声が震える。


「ど──どういうことだ。お前は一体──」

「ご挨拶が遅れました。私、『星屑の探求者スターダスト・ワンダラー』と申します。またの名を、諸星星霜とも。ファルスハーツにて、エージェントを務めさせて頂いております」

「ファルスハーツ!?」

「ふふ。君は、UGNチルドレンの四ノ宮京介さんですね? 『紅蓮の疾風ソニック・インフェルノ』の力は、先ほどの戦いで拝見させて頂きました」


 開いた口が塞がらないらしい京介に、実におどけた様子でにっこりと星霜は微笑みかける。


「サラマンダーの炎の力と、圧倒的な速さを誇るハヌマーンの近接白兵型オーヴァード。実に素晴らしい。期待のルーキーというお噂はFHにも届いておりますよ。ですが──熱い。熱くなりすぎている。あなたにはサラマンダーの熱き力がありながら、同時に操れるはずの凍れる冷たさを制御し切れてはいないようだ。私がずっとあなた方の後ろを歩いていたことすら、気付くことができなかった」

「なん……だと」

「まだ気づかぬか、京介よ」


 今までずっと黙っていた神威が、呆れたように茶をすする。


「こやつは、体内で薬物を作り出す能力者ソラリスじゃ──今までずっと、幻覚を見せる薬物を体内生成して我らに散布し、後ろから付いてきていたのじゃよ」

「そ、そうなの、神威!?」

「恋は気付かぬとも仕方ないがの。儂は来た段階から気づいておったぞ。京介、まだまだ修行が足りぬのう」

「……ッ!? で、ですが神威様、FHの人間をなぜやすやすとここに……!!」

「必要があると感じたからじゃ」


 神威は新しい湯呑みを取り出し、玉露を注ぐ。


「こやつは、ただ単に儂らを殺すエージェントたちとは違う。『星屑の探求者スターダスト・ワンダラー』は根っからの研究者じゃ。ノイマンの力を持たずして博士号を取れる頭脳と、偵察・機械による調査にブラックドックの力を、対象への捕獲研究にソラリスの力を使う。こやつがここに現れたということは、儂らを潰すために来たわけではないようじゃ──星霜とやら、そこに座るが良い。玉露じゃ」

「おお、ありがたい。それでは、お言葉に甘えて」


 いそいそと玉露を受け取り炬燵に潜る星霜。一口飲んで、芳醇な香りに感嘆する。その満足な顔を鋭い視線で射抜き、神威は口を開いた。


「──大方、あのジャームじゃろう? あやつは今話題のトライブリードじゃったな」

「ふふ。さすがはご老体、ご名答でございます」


 丸眼鏡が、行灯の灯りに照らされて白く反射している。そこには、彼の表情は読み取れない。しかし、にたりと口の端を上げる笑い方は、なんとも薄気味悪いものを感じさせた。


「あのジャームを、ぜひ研究対象として回収したい。生死は問いません。そして、あなた方はあのジャームを倒す理由がある──利害は一致しています」

「し、しかしっ!! FHと組むというのか!? か、神威様……!?」

「京介、言いたいことはわかる。しかし、今回はいささか勝手が違う。儂一人であのジャームを仕留めるだけならば容易いことじゃ。しかし、そのためにここ一帯が焦土と化すことになる。どうしても、奴の出現条件が恋の生活環境と重なりやすいからのう。だとするならば──絡め手と先手必勝が必要じゃ。京介の白兵戦の力、こやつの機械制御と電撃、そして薬物生成の力。そして……恋、お前の力もじゃ」


 少し不安そうな顔をしていた恋だったが、急に名前を呼ばれて、ふるふると首を振り、力強く頷く。


「う、うんっ」

「うむ。儂だとて、このFHの犬めと協力するのは甚だ遺憾ではあるが、仕方あるまい。一時休戦、そして共闘じゃな」

「……神威様がそう仰るのであれば」


 やや不服そうに、じとりと星霜を一瞥する京介。


「さあ、話は纏まったようですね。それでは、明日から早速、合流させて頂きます。どうぞ、宜しくお願い致します」


 そんな彼に敢えて挑発するように──

 星霜は、帽子を目深に被りなおし、そっと会釈したのだった。



*  *  *



「FHエージェントって……確か、父さんたちの敵って聞いた気がするんだけどなぁ……」


 敵なのに、味方してくれるの?

 さっぱり意味が分からない。

 神威だってそうだ、いきなり父の上司と言われても。

 いやいや何より、京介だ。あの変な仏頂面の男の子。同年代のはずなのに、やたら偉そうで、いばってて──


(でも、自信満々だったな……堂々としてた)


 正直な所、そんな彼が、ちょっと羨ましい。ずっと周囲のUGN構成員に心ない陰口を聞かされて育ってきてしまったので、どうにも恋には自らに対して自信を持つことができないのだ。それゆえに、自分に無い物を持つ京介に、ちょっぴり恋は評価を改めていた。

 ころん、と横になったまま転がり、窓の方を向く。春風は少しだけ肌寒く、白いカーテンを揺らしていた。


(四ノ宮くん、キラキラしてた……かも)


 しばらく、二階の窓から見える夜空をぼうっと眺めていたが──

 その窓枠に、ありえない影が、いや顔が飛び込んでくる。

 

「遅くなったな、早乙女」

「──へっ?」


 それは、丁度今思案していた少年の、仏頂面の顔。その顔が、そのままずいと近づいて──窓から体も入ってくる!!


「へっ!? あ、わ、きゃあああむぐー!?」

「騒ぐな。近所迷惑になるだろう」


 実にスムーズに口を塞がれ、ぶんぶんと首を振って抵抗する恋。京介だ。なんで京介が、自分の寝床に!? 突然の出来事にパニックになる恋。羽交い締めとはいえ後ろから抱きつかれている上に、口に覆われているのは温かい京介の大きな手の平。ドキドキしないほうがおかしい。


「む、むがむが!! むごむご、むごー!」


 こんなにドキドキしているのに、なんと情けない声しか出ないのだろう。恋は無性に悲しくなってきた。


「神威様が仰っていただろう。お前を護るのは俺の役目だ」

「む、むがっ!? む、むごーむごむご……」

「なになに、ここに来るのは聞いてないって?」


 なんとなくこちらの言葉が分かるらしい。さすがUGNチルドレンである。


「そりゃあ、敵が襲いにくるなら寝込みの夜明け頃と相場が決まっているだろう。お前が寝ている近くに俺がいないと意味がない」


 それを聞いて、ぼしゅっと顔が赤くなる恋。当然だ。これでも年頃の乙女だというのに、同年代の男子と寝床を共にするなど……しかも、ほとんどゼロ距離で……しかないではないか!!


「む、むご……むごむご……むきゅ」

「……? 早乙女、熱でもあるのか? さっきからどんどん体温が上昇しているようだが」

「む、むきゅう、むきゅう」

「こころなしか、顔も赤くないか?」

「……きゅう」

「お、おい!? 早乙女!?」


 自らの暴走した妄想熱にやられてしまったらしく、口を塞がれて羽交い締めされたまま、ゆっくりと意識が遠ざかる。


(か、かむばっく、マイ日常……!)


 やけに月明かりが照らす中、逆光になった京介の顔が、やけに印象的で──

 改めて少女はこの夜、自らの日常が色んな意味で音を立てて崩れていくことを痛感したのだった。はっきりと。

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