第9話 彼女は、固く決意する

「父君と母君には既に連絡しておいた。来るが良い、恋。お前を保護できる施設に案内しよう」


 その夜のこと。

 神威の言葉に従うまま、疲労困憊した体を引きずって、恋は商店街を歩いていく。あんな騒ぎがあったのに、商店街はいつもの賑わいを見せていた。なんでも、ジャームと戦った際には普通の人間は気絶してしまう『ワーディング』なるものが張られ、そういったことが知られて騒ぎになることはないそうだ。


 先ほどの死体などの後処理は、神威が連絡してUGN構成員が向かったらしい。別の事件として内うちに処理され、桃や妙子も保護されるだろう。それを聞いて安心した。記憶も一部除去・操作されるらしい。二人にとっては、その方が良いかもしれないと思いつつも、恋としては複雑な気持ちである。


 ちなみに京介はというと、強く頭を打っただけのようで、しばらく休む時間を設ければ、一緒に歩けるまでに回復していた。しかし、それにしても強靭だ。これもレネゲイドウィルスの力なのだろうかと、恋は思案する。

 四ノ宮京介しのみや きょうすけと彼は名乗った──UGNで育てられたという戦闘員、UGNチルドレンだと言う。彼は神妙な面持ちで、無言のまま神威の後をついていく。


「さあ、ここじゃ。入るが良い」

「え? こ、ここ?」


 しばらくすると、なんとも古めかしい駄菓子屋の前に通りかかった。この街で育った自分でもうっかり見過ごしてしまうような、ひっそりとした小さなお店。錆び付いて傾いた看板には、「神楽駄菓子屋」と書かれている。保護されるにはなんとも似つかわしくない、不釣り合いな感覚に襲われてしまう。

 構わずズンズンと中に入る鴉に、不安になった恋は思わず声をかけた。


「か、神威。ほんとにここで合ってるの?」

「うむ。なかなか風流な店じゃろ」

「風流っていうか……古くさいっていうか……」

「なあに、見た目はな。しかし風流なのは、


 にやり、と嘴で笑って。黒鴉は、カァと一声、鳴いた。


「儂を誰だと思っておる。空間を支配する申し子バロールじゃぞ?」


 その瞬間──


 店内奥の扉がぎゅうっと歪んで一点に吸い込まれたかと思うと、地下への階段が現れる。


「歓迎しよう、恋。UGN神楽市支部へようこそ」


 そして、また信じられない──もう今日は驚きすぎて、感覚が麻痺していたが──一言を、この鴉は言ってのけた。


「儂がこの支部の支部長、天照神威あまてらす かむいじゃ」



*  *  *



 地下は驚くほど綺麗で、床はピカピカと磨かれた檜の板が丁寧に並べられている。作りは純和風、どうやったらこんなものを作れるのかと思うほど、繊細で風流という名にふさわしい。行灯が柔らかく灯された長い廊下を歩くと、なんと中庭までしつらえてあることに気付く。さらさらとした水音と共に、時折鹿おどしが、「カコン」と音を響かせた。

 もちろん、入る前に第二玄関にて靴を脱がせる徹底ぶりだ。


「す、すっごぉぉぉい……」

「ふっふっふ。昨今の日本人は西欧にかまけすぎておる。なぜこの、昔から伝わる美しい自国の文化に気付くことができないのかのう。嘆かわしいと思わぬか? ここは全て儂のデザインで構築しておる。鴉の身でここまで建築デザインを勉強するのは、なかなか骨が折れたぞい。インターネッツは偉大じゃな。ドヤァ」

「いやあの、ドヤ顏したいのはわかるけど、そこ口に出していうところじゃないからね?」

「ドヤァ」

「……言いたいんだね、うん」


 なんというか、色々諦めた笑いを浮かべる恋。しかし、納得のいかぬ顏で、


「でもでも、神威がここの支部長だったなんて聞いてないよ? びっくりした」

「ほっほっほ。まあ、お前の家族はオーヴァードといえど、戦えぬ身なのは先刻承知じゃ。無用な戦いに巻き込みたくはなかったのでな。父君の蓮城くんはよく働いてくれておるぞ。事務員兼レジ店員として」

「レジ店員」

「駄菓子屋店員として近所の子供達に大人気じゃ」

「……すんごく天職な気がする」


 ほんわかと子供達と接する父を想像して、恋は思わず微笑んだ。


 最奥の障子を開けると、中は広めの居間になっていた。畳のいぐさの香りが心地よく、お婆ちゃんの家を連想させる。畳の中央には、少々季節外れのこたつ机がある。


 神威は二人を机に座らせると、奥に引っ込んだ。再び現れたその翼の先には、バロールの重力を操る力で吸着させたのだろう、急須、茶葉筒、熱く沸騰した鉄瓶がくっっついていた。そのまま急須に茶葉を入れ、予め温めてある鉄瓶からお湯を注ぐ。

 つくづく、器用な鴉である。


「玉露じゃ。鉄瓶で入れておる。まろやかな味わいじゃぞ」

「わーい、いただきまーす!」

「……いただきます」


 初めて飲む香ばしい玉露の味わいに「すごーい!」と女子高生らしく感嘆する恋とは対照的に、終始俯向いたままの京介。見れば、玉露にも口をつけていない。そういえば、先ほど気絶から回復してから、何も話していない。

 何か話したほうが良いだろうか──恋は、京介に話しかけようと口を開きかけ。


「……神威様」


 唐突に、京介自身の声に遮られる。


「もうご存知かと思いますが、あのジャームは……能力を三つ併せ持つ者トライブリードでした。キュマイラ、モルフェウス、そしてオルクス……俺の叩きつけた炎の剣を、あいつはオルクスの結界能力で、すべて砂にしてしまった。相手の能力を見誤りました。トライブリードが現れ始めたこともお聞きしていたのに。しかもあろうことか、護衛対象を護ることもできず──」


 彼は、首を深く垂れる。


「──申し訳ありません」

「……ふむ。昔に比べて、反省できるようになったのは成長じゃな。しかし──」

「待って、神威!」

「……!!」


 思わず出てしまった恋の言葉に、京介が目を丸くする。


「四ノ宮くんは、私を護ってあんな危険な目にあったんだよね? だったら、もういいから。助けてくれただけで、友達が助かっただけで、私は十分。だから神威、四ノ宮くんを怒らないであげて」

「この──元はと言えばッ!!」


 突然、思いもよらぬ方向から声を上げられ、ぎょっとして振り向く。そこには、激昂もかくやという京介の姿があった。燃えるような──実際、怒りのあまり自身の能力で体から火花が散り始めている──瞳で睨みつけ、怒鳴り散らす。


「自分の身も守れぬ『牙抜かれた者ウンフェルス』の役立たずめ……!! お前のような力のない腰抜けを、なぜ俺が護らねばならないっ!?」

「──っ!!」


 ざくり、と胸に刺さる音がした。氷のような、冷たい言葉。

 役立たず。

 力のない腰抜け。

 なおも怒りは収まらず、京介は恋の目の前まで顔を近づける。


「神威様も神威様です! このような者に人員を割く暇など、我々UGNには毛頭無い!! すでに分かっておられるはずだ!! 『脳味噌吸いの蜥蜴ハンニバル・バジリスク』に好きに喰わせておけば──」


「──気は済んだか、京介」


 ぞくり。


 今度こそ、身の毛もよだつほどの殺気を受けて、京介は言葉を止める。

 神威はただ、机に座っているだけだ。

 座っているだけなのに、まるで、心の臓を掴まれたような感触がした。


「もう一言も発すまいぞ。発したその時は──儂も容赦するつもりは


 その容赦無い殺気は、恋にも感じられた。このまま京介がさらに無礼な言葉を自分に浴びせたその時は、この鴉は一切の躊躇なく、彼を八つ裂きにしてしまうだろう。

 しかし、同時にそれは──間違いなく、神威の優しさに違いなかった。彼はこんな無力で役立たずな自分のために、本気で怒ってくれている。


「わかり……ました」


 京介は青い顔のまま、ただ、頷いた。

 ふうと嘆息すると、玉露をすすり、神威が呟く。


「大体勘違いしておるようじゃが、何も理由なく恋にお前を付かせたわけではわけではないぞ」

「えっ……? どういうことです、神威様?」

「期を見てから話そうと思っておったのじゃが、いささか事の進みが早かったのでな──恋、お前の周囲にあのジャームは近付いておる」

「え……私の近くに?」

「左様。お前は気付かなんだが、この儂のネットワークによれば、脳喰い事件の現場はあの神楽坂高校近辺じゃ。最初の事件はかなり離れておったが、少しずつ学校に近付き、周囲の住宅・公園で被害が出始めておった。それも、決まってお前の生活環境の近くにて出現しておったのじゃ」


 神威は京介を一瞥し、困ったような顔を見せる。


「であればこそ、恋に京介を付かせた。編入させ、お前の近くを護衛しておれば、やがて目標は現れると踏んでおった。言っておくが、囮では無いぞ。本当に、恋の身を案じてやったことじゃ。──それから、京介」


 びくっと身を震わせる少年を、黒鴉は静かに見つめる。


「勘違いをしてはならん。この者もお前と同じ、同じ宿命さだめを持つオーヴァードじゃ。力を使いすぎればジャームと化し、衝動に苦悩する一人の人間に他ならぬ。我々は、力を持つ者同士で協力していかねば、所詮困難には打ち勝てぬ。それを一番身をもって知っておるのは、京介……お前じゃろう?」

「……はい……」


 少年は何かを思い出したのか、その瞳は遠くを見つめている。そして、少し言いづらそうに、京介は恋に向き直った。


「早乙女……すまない。酷いことを言った」


 精一杯の謝罪の言葉。

 そして、ずいと近づいてくる。


「早乙女。俺の顔を一発殴ってくれ」

「……えぇっ!?」

「そうでないと俺の気が収まらん。遠慮するな」


 え、えええっ、あわわわわ、とあたふたする恋。思わず神威に助けを求めるように見るが、当の鴉は肩をすくめて──恋は鴉が肩を竦めるという姿を生まれて初めて見た──首を振る。


(ええっ、そ、そんな!! そんなことないよ、四ノ宮くんのせいじゃないもの、だって、だって……!!)


「や、やめて、四ノ宮くん!! ぜんぶ、四ノ宮くんの言う通りだもん。そんなことしないで!!」

「さ、早乙女……?」


 きっと怒鳴り付けられると思ったのだろう。ちっとも怒らないどころか、少し申し訳なさそうにしている恋を見て、戸惑う京介。そんな彼に、困り顔のまま恋は頷く。


「重力を操ったり、炎とか剣とか操ったり……それでジャームをコテンパンにやっつけられるんでしょ? すごいよね、私たちにはそんな力、無いもん」


 えへ、と寂しそうに笑う。それは、幼い頃から自分に刻まれた『牙抜かれた者ウンフェルス』とは何であるかをまるで表すような、そんな寂しい笑顔だった。


「キュマイラ能力はあるけど、せいぜい遠くの天気がいつ来るのかとか、水の中でも普通に歩けちゃったり、あんまりうまくないけど、猫に変身するくらいしかできないし。モルフェウス能力なんかはほんと酷くって、色々作れるけど日用品しか作れないし、料理は美味しく作れるけど、それだけで」


 だんだん、視界がぼやけてくる。

 あれ、なんで私、こんなに悲しくなっているんだろう?


「さっきだって、壁とか頑張って作ったけど、簡単に壊されちゃって……私たち、あなたたちの力になんてなれない。きっと、お荷物にしかならない」


 ──だから。


「だから、私たちは──私たちのような能力者は、みんな、UGNとか、色々頑張ってる人たちの応援をするんだよって、お父さんもお母さんもそう言うんだ。足を引っ張らないように、距離を置いて。二人とも、そうやって頑張ってるんだって」


 父と母の言葉が、脳裏に響く。


 ──だから、恋、みんなと仲良く生きなさい。もしかしたら、同じオーヴァードの人たちに酷いことを言われるかもしれない。しかし、耐えなさい。彼らのサポートにつくんだ。


 ──私たちは、陰からサポートしていくことが大切なの。雑務や様々なことを私たちがやれば、彼らは戦いに専念できる。その分、彼らは自分の命を危険に晒し続けている。


 ──だから、彼らに感謝しなさい。彼らの命で、私たちの生活は支えられている。私たちだけじゃない。能力を持たない人たちも、世界がそれで支えられているんだ。


「神威や、四ノ宮くん……ううん、それだけじゃない、もっとたくさんの戦える人たちに、いつも感謝しなさいって言われてきた。私も、そうありたいって、思ってた……でも、違ったの」

「……恋」


 沈痛な面持ちで、神威は恋を見る。恋の両目には、大粒の涙が溜まっていた。


「私……怖かったの。日常が、幸せで平凡な日常が、ほんのちょっとそちら側に足を踏み入れたら壊されちゃうって思ってた。だから、UGNの事件も聞かないふりしてた。お父さんの仕事も見ないふりしてた。戦うことは戦える人に任せようって。死んだ人はって。戦ってる人のこと──ずっと知らんぷりしてた」


 ぽろぽろと少女の頬を伝いこぼれる涙。止まらない。


「だから、こうして友達が死んじゃうかもって、すごく怖いことになって。初めて戦う人たちの隣に来て、わかったの。私、何もできない。何も力になれない。本当に戦えないんだなって、友達も守れないんだなって……でも、あのジャームが、何でかわからないけど、私のそばに来ているなら。また、桃ちゃんや妙子ちゃんが危険にさらされるなら」


 頭から血を流す友人たちの姿が、脳裏にフラッシュバックする。


「──私も戦う。もう、逃げたく無いの。目を逸らしたくない」

「なっ……恋、それだけは──」


 と言いかけて。

 ジャームさえ威圧するこの鴉は、その小柄な少女の大きな瞳に、言葉を飲んだ。

 その、見たことも無い瞳は──

 あまりにも、突き刺さるように真っ直ぐで。

 とても戦闘を経験したことの無い者とは思えぬほどの、固い覚悟が感じられた。


「……まったく……止めても無駄なようじゃな」


 嘆息する。どいつもこいつも。この鴉の計算に外れた行動ばかりしおって。

 しかし──

 計算外の要素は、一発逆転の要素を秘める。それは、長年の勘であった。


「恋、お前の気持ちは分かった。お前も含めて、この事件を皆で解決しようぞ」


 その言葉に、ぱああっと顔が明るくなる恋。


「やったぁぁぁ!! 神威、だーいすき!!」


 そのまま、黒鴉に熱い抱擁をする。まんざらでもない顔で、神威は頷いた。

 それを少し惚けたような顔で、京介はただ、見守ることしかできなかったが──

 少年の顔が、不意に強張る。

 次の瞬間、炎の剣が瞬時に背後の襖を焼き切った。


「曲者めッ!!」

「おやおや。曲者とは、ご挨拶ですねぇ」


 緊張した京介の声とは裏腹に、のんびりとした男の声。

 いつの間にか、背後には、時代錯誤のような和装をした男性が佇んでいた。


「はじめまして、UGN神楽市支部長『闇を齎す者ダーク・ブリンガー』。──今宵は、良い夜になりそうだ」


 にっこりと、柔和な瞳に一筋の狂気を潜ませて──諸石星霜FHエージェントは、ひょいと帽子を外し、会釈したのだった。

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