第7話 日常で彼は彼女と会話する

 始業式から三日後。授業にも慣れ始めていたが──恋は不穏なものを感じていた。背後から感じる、変な視線。いつも、振り向くと誰もいない。でも、確かに感じるのだ。熱い熱い視線が。


「も──もしかして」


 とくん、と胸が高鳴る。


(もしかして──私ったら、誰かを恋にる!?)


 「きゃー!!」と顔を真っ赤にして両手を頬に当て、イヤイヤする恋に、キョトンとしたのは幸人だった。彼は不思議そうな顔をして、恋の顔を見やる。


「あ、あの、恋ちゃん。もしかして……その玉子焼き、しょっぱかった?」

「──はっ。あ、いやいやいやいやいやそんなことないよ!! ちょーおいしい!!」


 今は昼休みだ。屋上は解放されており、自由に弁当を食べることができた。今は幸人とランチである。ちなみに、桃や妙子も誘うのだが、毎回丁重に断られてしまう。なぜなんだろう?

 幸人は子供の頃から料理が得意だ。今日も、お弁当の一部を恋に作ってきてくれた。大量のご飯が必要となる恋にとって、これはありがたい申し出だった。

 実際、ほっぺたが落ちる程、うんまい。


「んむー♪ お母さんのお弁当も素敵だけど、ユキト君の料理の腕も素敵だよね! これなら、良い彼氏になれるよ! もぐもぐ」

「そ、そうかな……僕、こんなことくらいしか取り柄、ないから」


 あはは、と照れ笑いする幸人。その顔はいつも優しげで、少し儚い。だけど、暖かい。そんな顔を見ると、いつも恋は胸の中がほっこりするのだ。


「恋ちゃんは、いつも美味しそうに食べてくれるよね。僕、うれしいな」

「私もー!! こんなに超絶美味しいご飯作れる子が友達って、超幸せだよー!!」

「あはは。僕もだよ」

「あ、でもっ……お母さんとか、お父さんも美味しく食べてくれるでしょ?」


 何気ない一言。しかし、その瞬間──幸人の顔が曇る。


「お父さんとお母さんは、1年前に交通事故で死んじゃって……家族旅行だったんだ。僕も一緒にいて、僕だけが生き残って──この街に来たのも、叔父さんの家に……」

「あ──」


 なんてことを聞いてしまったんだろう。恋は、自分の無神経さを罵った。


「ご──ごめん! 悪いこと、聞いちゃったね……」

「ううん、いいんだ。気にしないで、恋ちゃん」


 そして、彼は笑う。寂しげに。


「ただ、今でも不思議なんだ。僕みたいな、運動もできないし、男っぽくないし、明るくないし。力もそんなに強くないし……」


 時折桜の花びらが、春風で校庭から舞い上がる。それを見ながら。

 

「……そんな人間が、なんで生き残っちゃったんだろうって──」

「そんなこと言わないで、ユキト君!」


 その言葉を遮るように、恋は彼の両肩を掴んだ。びくっと震える彼に、微笑む。


「ユキト君、私よりよっぽど料理うまいじゃない。性格とっても優しいし、あったかくて、私は好きだよ。死んでいい人間なんて、どこにもいないんだから、そんなこと言わないで。ユキト君が死んじゃったら、私、すごく悲しいよ」

「恋ちゃん……」


 少し、眩しそうに。幸人は恋の顔を見つめる。


「ありがとう、恋ちゃん。そうだね──そうだといいな」

「ユキト君……」

「恋ちゃんには、やっぱりかなわないや。明るくて、元気いっぱいで──僕も、そんな風になりたいよ」


 その顔は、少し寂しげで──少し嬉しそうな、不思議な笑顔だった。



*  *  *



 放課後の帰り道。幸人とは帰る方向が違うので、桃と妙子が一緒だ。夕暮れが周囲を赤く染め上げ、遠くで鴉が鳴いている。


「絶対さあ、佐伯君、恋に気があるよねえ」

「ひぇっ!? な、なに、突然!?」


 話題が急に変わり、恋のツインテールが跳ね上がる。すると二人の友達はくすくすと笑い、


「もう。鈍いんですのね、恋さんは」

「お弁当作ってくれる男友達なんて、普通いないぞ?」

「えっ、はい? そ、そうなの?」

「そーなの! まったくもう、側で見ててヒヤヒヤさせんじゃないよっての!」


 冷やかされて、ぶんむくれる恋。


「ぶー。そんなんじゃないったら……ユキト君はただのお友達だよ?」

「はいはい、そーゆうことにしておきましょうかねっ」

「また明日ね。恋さん、ごきげんよう」


 丁度曲がり角で、彼女たちと別れる。

 あんな話をしてしまったので、ついつい幸人のことを考えてしまう。いつも可愛らしい笑顔で、ほんわかと柔和に話す幸人。


(──僕も、そんな風になりたいよ)


 あの声が、リフレインして風の中に消えていく。

 恋は、少しだけ片手を広げた。大気からほんの少し分子をもらって、作り上げるひと粒の飴玉。桜色の、透き通ったピンク色を眺めながら。


「そんなんじゃ……ないよ。私は」


 恋は、困り顔で微笑んで──

 

「早乙女恋」


 後ろからフルネームで呼ばれ、立ち止まる。怪訝そうに振り返ると、そこには一人の少年が立っていた。同じ神楽坂高校の男子制服を着ている。同学年だろうか?

 中肉中背。端正な顔立ちだが、台無しなほどに仏頂面だ。切れ長の目が鋭く光って、恋を睨んでいる。


「ど……どなたですか?」


 おずおずと聞くが──次の瞬間、かあっと恋の顔が赤くなる。


「も、もももももしかして、愛の告白とかですかっ!? こここ困ります、アポなしは困ります心の準備がですねっ!? まずは靴箱にラブレターを入れてから始──」

「──どうも、勘違いをしているようだが」


 暴走し始めた恋の言葉をばっさりと容赦なく切り落として、彼は続ける。


「……君に警告しに来た。今すぐ、神楽坂高校から離れろ。『牙抜かれた者ウンフェルス』。」

「え!?」


(その呼び名は……!)


 同じオーヴァードの人間しか呼ばない、落ちこぼれオーヴァードへの蔑称。

 唐突な話に、恋は頭が真っ白になる。


「同族のよしみという奴だ。とある方に言われてな──君を守らねばならない」


 じり、とこちらに彼が近づきかけた──その刹那。


 ──キャアアアアアッ!!


 絹を裂くような悲鳴が、離れた場所から聞こえた。


「あの声──桃ちゃん、妙子ちゃん!?」

「くそっ、そう来たか!! 早乙女、お前は逃げろッ!!」


 とんでもない速さで走っていく少年。何が起こっているのか混乱したまま、恋も駆け出す。


「待ってよぉ、何があったのぉぉっ!?」


 それは間違いなく──

 日常の崩壊の、ほんの序曲に過ぎなかった。

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