第9話
俺の両親には、電話で報告した。聴覚に障害があることも、きちんと説明した。両親は、俺が気に入った相手なら誰だって大歓迎だって。
問題は、佳奈の両親だった。
佳奈の家族は、両親と8歳年下の妹の4人だった。父親は厳格な人で、佳奈が障碍者だからと言って甘えたりすることを決して許してくれなかったし、また周囲が佳奈を甘やかすことも許さなかったそうだ。
でも、それはハンデを持って生まれた彼女に対する父親としての愛情の一種だろうと思った。両親は子供よりも先に死ぬ。親がいなくなった後、残された子供が自活できるようにするのが親の務めだ。俺は、彼女の父親の態度は、ある意味で立派だと思った。
日曜日、俺はスーツを着て、きちんとネクタイを締めて、初めて佳奈の家を訪れた。
玄関には佳奈のお母さんが迎えて出て来て、俺は8畳ほどの広さの和室に通された。和室には、難しい表情の佳奈のお父さんと、俯いた佳奈が座っていた。お父さんは俺が部屋に入って挨拶しても、目を合わせようとしなかった。
なんか、まずい空気だった。
お母さんがお茶を運んできて卓の上に置くと、お父さんの斜向かいの席に腰を下ろした。
俺はお父さんの正面に座った。
そこから、俺とお父さんの攻防戦だった。と言っても、ほとんど俺は攻められっぱなしで、辛うじて最後の一線で踏みとどまっている状態だった。
お父さんの言い分は、俺から見て極端だった。
佳奈は耳が聞こえないし、話すこともできない。結婚なんかしても、続くわけがない。早晩別れることになるだろうし、そうなれば佳奈が傷つくことは間違いない。佳奈だって後悔するに違いないし、そもそも佳奈が不幸になることが分かっているのに、結婚なんか認められない。
お父さんの主張を要約すると、こんな感じだった。
最後には俺はひたすら畳に額をこすりつけて、結婚を認めてもらうよう、お願いするだけだった。佳奈も俺の隣に座って、一緒に頭を下げ続けた。
お母さんは傍目に見てもわかるほど、はらはら・おろおろしながら、なんとか父親にとりなそうとしていたけれど、お父さんには通じなかった。
お父さんが半分切れかかって「もう帰れ!」と大声を上げたときだ。
いきなり和室の襖がガラッと開いた。そこには当時高校2年生だった佳奈の妹の美奈が仁王立ちしていた。きっと、隣のリビングルームでずっと聞いていたのだろう。
「お父さんっ! さっきから聞いていれば、お姉ちゃんのこと、なんだと思ってるのっ!」
いきなりそう叫んだ美奈とお父さんの口論が始まった。
「なんでお姉ちゃんのこと、もっと信用してあげられないの。お姉ちゃんが選んだ人なんだよ。」
「お姉ちゃんには幸せになる権利があるし、例え親だって、それを邪魔する権利なんか無いっ!!」
「結婚して後悔するかどうかなんてわからないし、もしそうなったって、今の後悔すらできない状態よりはよっぽどましでしょ!!」
これが美奈の主張の要点だった。俺は頭の上で行きかう言葉をはらはらしながら見送り続けた。
ちょっと、やばいな・・・俺のせいで派手な親子喧嘩になってるよ・・・出直した方がいいかな・・・
と弱気になり始めた頃、突然美奈が泣き出した。
「わたし・・・お姉ちゃんのウェディングドレス姿を見たい・・・」
美奈はそう言うと、立ったままぽろぽろと涙を流した。お父さんは気まずそうに黙り込んだ。
そのとき、部屋の中に耳慣れない声が響いた。
それは、イントネーションがめちゃくちゃで発音も歪で、まるで動物が初めてしゃべったときのような声だった。
「わたし、絶対に後悔なんかしない。賢太郎さんと結婚したい。お願い。」
その声はそう言った。
俺も佳奈の両親も、あっけにとられて佳奈を見つめた。そう、それは佳奈がしゃべったんだった。
「ほら、お姉ちゃん、ちゃんとしゃべれるんだよ!」
美奈が勝ち誇ったように言った。
これは後で知ったんだが、聴覚障碍者もトレーニングによって、声を出せるようになるんだ。但し、佳奈のような先天性の場合、けっこう難しいらしい。なにしろ、まったく音や声を聴いたことがないんだから。そうした人の場合、発声がうまくできなくて声や発音が歪んでしまう。
佳奈も過去に何度か声を出して、そのたびに周りの人から笑われたり、ばかにされたりしたんで、それ以来、ほとんど人前では声を出さなくなったらしい。自分の声にすごいコンプレックスを持っていたんだ。唯一、妹の前では話していたそうだ。
そのことを知っていた佳奈の両親は、佳奈が話したことに、ショックを受けていた。佳奈が自分の声をどれだけ嫌っていたか、自分の声にどれだけコンプレックスを持っていたか、よく知っていたからだろう。
先に落ち着きを取り戻した佳奈のお母さんだった。佳奈のお母さんは穏やかな声でお父さんに言った。
「あなた、佳奈は大丈夫ですよ。結婚してもちゃんとやっていけます。だから許してあげましょうよ。」
お父さんはすっかり落ち着きを無くして、体をもぞもぞさせて居心地悪そうにしていた。
「そこまで言うのなら、仕方がない。だけど、佳奈が不幸になるようなことをしたら、容赦しないからな。佳奈も、勝手に家に帰って来たって敷居は跨がせないからな。」
お父さんはそう言うと、立ち上がってリビングに行ってしまった。
美奈が泣きながら佳奈に抱きついた。
俺はほっとして、佳奈の顔を見て笑った。佳奈は真っ赤な顔で、泣きじゃくる美奈を抱いていた。よっぽど自分の声が恥ずかしかったんだろう。
今考えると、佳奈のお父さんはただ佳奈を手放したくなかっただけだったんじゃないか、っていう気がする。
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