第7話

2ヶ月くらいそんな関係が続いて、だんだん佳奈のことが分かり始めた。

顔と名前は似ていても、やっぱり佳奈は佳奈で、カナとは違っていた。佳奈のことが分かって来れば来るほど、俺は佳奈に会いたくなった。

そうそう、少しややこしいけど、カナと佳奈って、書き分けることにする。カタカナのカナが死んだ妻、漢字の佳奈が、カナによく似た女の子な。

俺は意を決して、佳奈に会って話をしたいと、メールを送った。

その返信が返って来たのは、3日後だった。いつもは遅くとも翌日には返信が来るのに、やっぱり変なことを言われて悩んだんだろうか。

でも、返事はOKだった。ただ、なんだかはっきりしない書き方だった。佳奈は俺に何か内緒にしている気がした。

で、俺は日曜日に、佳奈の家の最寄駅の駅前のあるカフェで、佳奈と会った。

なんだか佳奈の表情が硬かった。電車で酔っ払いに絡まれていたときみたいだ。そのあと家まで送った別れ際のときの、輝くような表情が無くなっていた。

そこで、佳奈が俺になにを内緒にしていたのか、わかった。

佳奈がいきなり俺に携帯電話の液晶画面を突き付けて来たんだ。そこには、


  私、耳が聞こえないんです。

  話すこともできません。

  今まで黙っていてごめんなさい。

  賢太郎さんに嫌われそうで、言えませんでした。

  今まで通り、メールしてくれますか?


そう打ち込んであった。

「えっ? だって、この前俺が言っていること、聞こえてたじゃん。」

俺がそう言うと、また佳奈は素早く携帯電話に文字を打ち込んだ。


  私、読話ができるんです。

  だから、ゆっくりはっきり話してもらえれば、

  言っていることは8割くらいわかります。


「読話って?」

  一般的には、読唇術とも呼ばれています。

そうだったんだ。だから佳奈は、俺が話すときは俺の顔をじっと見ていたんだ。あれは、顔を見ていたんじゃなくて、唇の動きを見ていたんだ。佳奈が俺と一言も話さなかったのは、話さないんじゃなくて、話せなかったんだ。

俺はバッグからいつも持ち歩いているA5サイズのノートとペンを取り出した。ノートに文字を書きなぐる。

急いで書いたんで思いっきり汚い文字で少し恥ずかしかったけれど、8割じゃなくて10割わかって欲しかったから。書き終えた俺は、それを佳奈に見せた。


  話せなくたって、聞こえなくたって、

  俺たち今、こうして会話してるじゃん。

  俺はこれで十分だよ。


それを読んだ佳奈の表情が、蛍光灯のスイッチを入れたみたいにパッと明るくなった。

今度は俺が全てを話す番だった。俺は、俺が佳奈に言ってなかったことを、ノートに一所懸命に書いた。

カナのことだった。

以前に結婚していたこと。妻が交通事故で亡くなったこと。佳奈と顔も名前もそっくりだったこと。

そして、佳奈と会いたかったのは、ただ顔が似ていたからだけじゃないことも。

それを読んだ佳奈はにっこり笑って、携帯電話に文字を打ち込んだ。


  だから私のこと、カナって呼んだんですね。

  なんで私の名前を知っているのか、不思議でした。

  今、やっとその理由がわかりました。


俺たちは顔を見合わせて笑った。

俺と佳奈は同じ私鉄沿線に住んでいて、同じ私鉄を使っているのに、今まで駅や電車で見かけなかったのは不思議だった。でもその疑問はすぐに解けた。

佳奈がいつも使っている駅の佳奈の自宅側に、新しく改札ができたのだ。それで、佳奈は電車の乗る車両の位置を新しい改札に近い場所に変えたんだけど、それがいつも俺が乗るのと同じ車両だったんだ。

新しい改札ができなければ、俺と佳奈は今でも別々の車両に乗って、遇うことも無かったかも知れない。俺たちのキューピッドは、あの酔っ払いのおっさんと電鉄会社ってわけだ。

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