第2話

結婚を機会に、カナは当時勤めていた病院を退職した。人間関係が難しかったらしい。だから、寿退社ということにして、辞めたんだそうだ。当時は薬剤師の資格を持っていれば、アルバイトやパートでも時給三千円取れていた時代だから、当面は薬局のアルバイトでもする予定だった。

結婚して2年目。俺もカナも子供が好きだったし、どうせ子供を作るなら早いとこ作って、さっさと子育てを終えて、まだ体力のあるうちに2人でやりたいことをやろうっていう考えだったから、そろそろ子供を作るか、って言う話をし始めた頃だった。

ある日の午後、仕事をしていた俺のところに、警察から電話がかかって来た。

カナが近所のスーパーに買い物に行った帰りに、事故にあったという知らせだった。

俺の両親は、親父の転勤のため飛行機で2時間かかる場所に住んでいてすぐには来られないので、カナの両親に連絡して、俺は警察から教わった病院に向かった。

病院に到着して受付に尋ねたところ、すぐに警察の人が来て、俺が連れて行かれたのは、地下の霊安室だった。

カナは身長が153センチしかないんだけど、特にそのときのカナの体は小さく見えた。

カナは自転車で歩道を走っていて、脇道から飛び出して来た車にぶつけられて車道に飛び出し、運悪くそこに走ってきたトラックに轢かれたんだそうだ。

見ただけでは大きな傷も無く、まるで眠っているようだった。

俺は悪い冗談なんじゃないかと思った。

昔のラグビー仲間がカナと組んで、俺を騙してるんじゃないか、今にもカナが大成功って笑いながらぱっちり目を開くんじゃないか、って思った。

でも、カナの目が開くことは無かった。


アパートの真っ暗な部屋に帰ると、洗濯物が干しっぱなしになっていた。テーブルには、料理のレシピ本が開かれていて、その横に新聞の折り込み広告が乱雑に置かれていた。きっと今日は開かれていたページの料理を作るつもりで、近所のスーパーで食材の値段をチェックしたんだろうな。カナはしっかり者だったから。

なにもかも、ついさっきまでカナがここにいた、そのままだった。でも、カナはもういないんだよな。

その夜、俺は一人で冷蔵庫にあった昨日の残り物の煮物で、晩飯を食った。これがカナの最後の手料理だと思ったら、もったいなくてなかなか食えなかった。ただの里芋と筍と鶏肉の煮物なんだけど、地球上に残された最後の食べ物みたいな気がしたよ。


後でわかったことなんだが、カナは妊娠していた。

カナの荷物を整理していたら、エコー写真が出てきたんだ。きっと、カナは俺に言うタイミングを見計らっていたんだろうな。

俺は妻とまだ見ぬ子供をいっぺんに失って、抜け殻みたいになってしまった。

感情が出せなくなり、まるで自分が自分じゃなくなってしまったみたいだった。

今考えると、悲しい感情を無理やり押さえつけたせいで、それ以外の感情も全てシャットアウトしてしまっていたんじゃないかと思う。

俺がふぬけになってしまったんで、葬式だとか墓の手配だとか、警察や加害者との交渉とか、いろいろとカナの両親や清川先輩に世話になってしまった。

自分たちだって、最愛の娘や妹を失って辛かっただろうに、ホントにあの人たちには足を向けて寝られない。


納骨も終わり、最後にカナの両親と義兄である清川先輩と4人で食事をした。

お義父さんが、「加奈子のことを忘れろとは言いたくないが、君はまだ若い。今は悲しみに沈んでいてもいいが、もう少ししたら立ち直って、自分のこれからの人生と向き合ってほしい。」というようなことを言った。

清川先輩も、「まだノーサイドじゃない。これは天がお前に与えたハーフタイムだ。しばらく休んで、それから後半戦だ。おまえの人生はこれからも続くんだ。しっかりしろ!」って励ましてくれた。

こめんな、みんな。俺があまりに落ち込んでいたから。ホントにみんな、ありがとう。

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