闇と光04

『闇』の中で生きる生物にとって、『闇』は『光り輝き』『色彩溢れる』世界であるとすれば、そこは、『光』の中の世界となんらかわりはないはずである。

『闇』の彼らにしてみれば、『光』こそが『闇』であり、『光』に生きる生物こそが、自分たちとは違う肢体を持つ、『異形』として映るのではないだろうか。


『光』『闇』という言い方で二分すると、まるで『善悪』のように別れるように感じられるが、単に生活環境の違いによる、発達する器官の違い、と考える方が妥当であろう。



 このように、『闇』と『光』に生きる生物の違いを考えてみると、いわゆるファンタジー世界の矛盾が見えてくるのではないかと思う。


 ファンタジー世界では、「光」が善で「闇」が悪、となるのがお約束であると最初に書いた。

 しかし、生物の進化で考えれば、そこには善悪など関連しない。


 では、なぜ、『善悪』という概念が生まれるのだろうか。




 ざっと考えて、善悪の構図を決める要素として以下のような物が考えられるのではないだろうか。


①異形への嫌悪

②生活圏の拡大に伴う、障害物の排除

③憧れ


①の異形への嫌悪はそのままの意味である。

……で終わっては説明にならないので、詳しく考えてみたい。


 人は、理解できないモノに対して、好奇心と同時に嫌悪の感情を持つ。

 この感情が、生物一般に対して当てはまるかどうかは分からないが、『幽霊』『超能力』などが一般的には受け入れられず、『常識』で測れない物事に対して、許容されにくい現実を考えれば、なんとなく見える事ではないだろうか。


 つまり、『光』で生きる”人”としては、『闇』に生きるものは好奇の対象であると同時に、”人”と同程度以上の知能を有しているとしたら……排他するべき対象ともなりうる。

 そして、それは、『闇』側としても同じことがいえよう。



②もし、生きられる空間が手狭になったらどうするか。

 日本の都市圏では、ゴミ処理とあわせて、この問題を解決してきた。

 つまり、埋め立て。

 住宅地が足りなくなれば山を切り崩し、空へ生活圏を伸ばし、『侵略』してきた。

 同じ条件で暮らせるように改造可能な土地であれば、手に入れ、生活圏へ換えていくというのは昔から地球上で普通に行われてきた事である。

 この侵略、当然、先住民がいれば邪魔となる。

 対象が『闇』であっても、同じ『光』の生物である『先住民』であっても、話は同じ事だ。


『闇』であれば……彼らは『光』の中では十分に能力を発揮する事ができないだろうから、場合によっては、生きる事が出来ないとも考えられるから、

 奴隷という選択肢より、虐殺という選択肢の方がより選びやすいと推測できよう。

 ……『闇』が『光』に侵略してきた場合も、同様である。



③憧れ/憎しみ

 ファンタジーの構図で最も多いのが、この理由ではないかと思う。

「光の世界に憧れて」や「光に生きる生物を憎み」など、比較的よく見る語句ではないかと思う。


 ちなみに、感情的には「憧れ/憎しみ」とは別であるが、状況的にこのカテゴリに入れやすいこんな台詞もある。

「私たちも光を使うが、生活に支障がない程度のささやかな物で十分だ。

闇こそ心安らげる」

(10年以上前の記憶で書いているので、かなり怪しい事はお断りしておく)


 ……矛盾は感じないだろうか?


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