闇と光01

※結構いい加減なことを言っていますのでご注意を。


 顕微鏡。

 可視光の顕微鏡は、レンズの限界で、分子のようなミクロの構造を見ることは出来ない。

 それほどまでに細かなものを見るためには、電子顕微鏡などを使用する。


 望遠鏡。

 宇宙の塵は、可視光を吸収する。つまり、見えない。

 より詳細な宇宙の構造を知るために、より遠くの星を見るためには、

 違う波長の光を観測する必要がある。


 可視光以外でも、モノを見ることは、可能だ。


 さてさて。

「光と闇」の構図と言えば、ファンタジー世界の定番である。

 当然、「光」が善で、「闇」が悪となる。

 お約束である。

 が。

 どうしようもない、命題がここに生まれる。

”何故「闇」は「光」を侵略するのか”


 その理由と、条件を、てれてれ考えてみたいと思う。

 ………………続けば。(おい)




 本当に先ほど思い立ったので、全くまとまっていない。

 ので、思い立った理由から書いていこうと思う。

 てれてれと。


 一般的に人間が見るのは「可視光」である。

「可視光」は、『光』の中のごく一部。

 X線、紫外線、可視光(紫、青、緑、黄色、オレンジ、赤)、赤外線、電波 ……短い方から並べてみると、こんな感じだ。(多分)


 最初に書いた通り、人が『見る』ために使っている波長はごく一部で、

 人間以外の生物の「可視」範囲は若干ずれる。

 有名なのは昆虫だろうか。彼らは紫外線側の波長をみているとされる。(たしか)


 さて、

『光り輝く』 とか、

『色彩溢れる』 とか、

「光の世界」を強調する言葉として、使われることがある。

 これらはどんな状況を意味しているのだろうか。


 可視範囲が生物によって違うとなれば、『光り輝く』も『色彩溢れる』も、

 主観として扱われている生物にとってのものといえよう。

 大抵は、『人間』もしくは『人間に近い』生物が主体として書かれるから、

『人間にとって』と言い換えても差し支えはないだろう。


 光の強弱は一般的に、エネルギーの大きさ、波の震幅に相当するから、

『光り輝く』は、可視光のエネルギーが強い ということになるし、

『色彩溢れる』は、可視範囲の光が、まんべんなく降り注いでいる とも言い換えることができよう。

 つまり、少なくとも、人間が見える範囲の光が、十分なエネルギーをもって降り注いでいる状態のことを示しているのである。

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