第三十二話 義氏、髷結わず

 鎌倉将軍府には足柄義氏の嫡男、足柄義益が責任者として駐在していた。今までご覧頂いた方にはお判りだろうが義益は完全なるぼんくらである。唯一の活躍はまだ幼名万寿丸のであった頃、新羽貞義の鎌倉攻略のさいに、その旗印になって多くの御家人を集めたことだけである。その義益に義氏から密命が届いた。

『坂東、出羽、陸奥、東海道、東山道の年貢を都に送らせず、鎌倉に集めよ』

「へえ?」

 義益には何のことか分からなかった。なので管領の上杉景鷹うえすぎ・かげたかに、

「この消息の意味を教えてくれ」

と率直に頼んだ。義益にいいところがあるとすれば、素直で、人の意見をきちんと聞くことだった。

「左馬頭様、これは戦の始まりでござるな」

 景鷹は言った。

「戦? 都は帝と相模守様が和解して平和になったのであろう?」

「相模守様は都を出奔し、苦災寺でお父上と寝食をともにしておられます」

「き、聞いてないぞ。そんなこと」

「若殿が動揺しないよう、黙っておりました」

「余計なお世話だ」

「申し訳ございません」

「相模守さまはなぜ、都を出た?」

「新羽上野介が鎮西、中国、四国で兵馬を集め、都を攻めるとの話でございます」

「上野介が都を? これはたいへんだ。こちらも兵馬を集めて、都を守らなければ」

「いえ、その必要はございません」

「なぜじゃ?」

「お父上は坂東を固め、守りの戦をする所存でございます」

「そうか。ゆえに年貢を都に送るなと消息を届けられたのだな」

「はい。さすが若殿。察しがいい」

「いやそうでも」

 義益は嬉しそうに鼻をかいた。飛んだお人好しである。景鷹のいやみを素直に受け取っている。

「では景鷹、年貢の件、任せたぞ」

「はい」

 景鷹は退出した。


 しばらくすると、西国や畿内の足柄方の御家人が軍勢を率いて鎌倉に続々と詰めかけてきた。出雲の塩山高貞、丹波の足柄一門酒樽明政さかだる・あきまさ畑野行季はたの・ゆきすえ柳原金重やなぎはら・かなえ外藤信豊ほかとう・のぶとよ三芳岩鉄みよし・がんてつ、都からは梅井忠常が樫木正成、市松円陣入道を伴い、三河からは一門の長老吉良貫首きら・ぬきくびが太川一門、昔川一門、日記一門を引き連れての鎌倉入りである。義益はその宿割にてんてこまいになった。

 その頃には足柄義氏も鎌倉入りして、来訪した御家人一人一人に「ありがとう」「息災か」などと声をかけて握手して回っていた。その時、樫木正成が「髷は結わないのですか」と尋ねた。義氏は充分髪は伸びたのに、ざんばら頭だったのである。

「ええ、結いませぬ。わしは謹慎の身、いずれ得度するでしょう。しかし、この度は新羽上野介が、我が弟、相模守と我が息子、左馬頭を討とうとしていると聞き、いてもたってもいられず、鎌倉に来てしまった。幸い、一門衆と、お仲間が助けに来てくれた。ありがたく思う。よって、これを人生最後の戦いにしたい」

 義氏は語った。

「何を言われる。あなたはまだ若い。この戦いに勝って、帝を屈服させ、征夷大将軍に復帰し、政を見るべきです」

 正成は言った。

「いや、世の中が安定したら、わしは義益に座を譲り、隠居するつもりだ。だからこの最後の戦、必ず勝つ!」

「しかし、上野介、攻めてくるでしょうか? 都を押さえて満足してそうですが」

「うぬ。それも一理ある。しかし、奴は戦好き。必ずわしの首級を狙ってきましょう。念のため、挑発をしましょう」

「どうするので?」

「新羽の庄を燃やすのです」

「ああ!」

「どうせ、上野介の妻子は逃げていよう。村人には悪いが敵の地元を燃やしてしまう。これ以上の挑発はありません。相模守、新羽の庄を燃やせ」

「村人は如何します」

「うまく逃げさせろ。燃やすぞと事前に通告すれば良い」

「かしこまりました」

「これで、怒りに任した上野介が来る。本気で奴と戦えるのだ」

 義氏はいつになく熱くなっていた。


 所変わって、都の花の御所。後太鼓帝から征夷大将軍に任じられた新羽義貞は、政務を軍師三休に任せ、お気に入りの橘宗茂と碁を打っていた。

「また俺の負けだ。なんでだ。橘殿は囲碁は初めてと言ったな。嘘か?」

「本当です。殿は一箇所の戦局に集中しすぎて、全体を見られておりません。それが敗因です」

「そうか。これは本番の戦闘でも言えるな。俺は、目の前の敵を倒すことしか考えておらん」

「分かっておられればそれでいいのです」

「自戒しよう」

 そこへ、下士が慌てて駆けつけてきた。新羽から来ているものだ。

「殿、たいへんです」

「どうした。慌てて」

「新羽の庄が武蔵守に命じられた相模守によって燃やされました」

「なに、村人はどうした?」

「わかりません」

「ちくしょう。卑怯者め。武蔵守に限ってそんなことはしないと信じた俺が馬鹿だった。坂東を攻めるぞ。三休を呼べ!」

 憤怒の表情を浮かべる貞義。そこに三休がゆっくりと現れた。

「遅い!」

 一喝する貞義。

「まずは落ち着かれませ、殿」

「これが落ち着いていられるか!」

「殿、お聞きなされ。坂東が足柄のものになった以上、新羽の庄も足柄のものです。足柄は自分の領地を焼いたのです。この意味が分かりますか?」

「分からん」

「殿を挑発しているのですよ。坂東に早く来いと」

「言われなくても、今すぐ行くわ!」

「挑発に乗っては駄目です。坂東には足柄峠、碓氷峠の二つしか入り口はありません。そこを押さえられたら坂東に入れません」

「だからどうした?」

「こちらも、足柄の領地、三河を攻めるのです。坂東から引きずり出すのです」

「ふん、三河など攻めても面白くない。だが、又太郎の野郎を引きずり出して、一騎打ちで勝負を決めたら面白いな」

「武蔵守は、一騎打ちに応じないでしょう」

「けっ、へなちょこが。三休、一騎打ちに持ち込めるように策を練ろ!」

「難しいと思いますが、考えてみます」

「とにかく、東に出陣だ。各御家人に伝えろ。都はほっとく。全力で又太郎をやっつけるんだ」

「はっ」

 貞義は即決した。一度は盟友となった足柄義氏だが、自分の地元、新羽の庄を焼き討ちしたことが許せなかった。


「絶対、ぶっ殺す」


 貞義は心に誓った。


 鎌倉では御家人総出で軍議が開かれていた。家宰の香諸尚が司会を務める。

「殿、まず戦いの道筋をお決めください」

「おう、そうだな。わしは坂東にこもって敵を消耗させ、その上で総攻撃をかけようと思っていた。しかし、万が一、放置されると、新羽方が、戦力を蓄える恐れがある。そこで、東海道に出陣することに決めた」

「全軍ですか?」

 樫木正成が効いた。

「いや、十万人ほどだ」

「では先鋒をわたくしに」

 市松円陣入道が名乗りをあげる。

「せっかくだが、入道殿は坂東に居残りじゃ。先鋒は弟、相模守。次鋒は吉良のじいだ」

 御家人たちがざわめく。

「失礼ながら相模守様は戦下手。よろしいので」

 諸尚が義氏に尋ねる。

「いいんだ。この戦、負けなくては話にならぬ」

「へっ?」

 当の足柄義直が、素っ頓狂な声を出す。

「阿呆な声を出すな。この戦、わざと負けて、敵を坂東におびき寄せる。だから戦上手がわざと負けると、相手に疑われる可能性がある。その点、相模守なら普通にやっても負けるから相手に悟られない」

 御家人たちは一斉に笑った。相模守は唇を噛んで屈辱に耐えた。

「敵は百五十万と聞きました。我が方は百万。ちと不利では」

 梅井忠常が尋ねる。

「うん。まもなく、蝦夷地から、安倍と竹原が五十万の兵を連れてやってくる。それに足柄峠と碓氷峠に強固な砦を築いている。かつての平水盛の戦法でちと縁起が悪いが、戦略的には良手だ。戦は守りが有利。同数なら我らに理がある」

 義氏は明確に答えた。

「では、相模守、十日のうちに出陣じゃ。支度せい。吉良のじい。負けすぎぬように相模守の手綱を締めてれい」

「あい、わかりました」

「後の皆様は、本戦に向けて英気を養ってくだされ。諸尚、兵にも気を配ってな」

「はっ」

 会合は義氏の一人舞台で終わった。義氏が自らこんなに話すのは珍しい。彼も新羽との大戦おおいくさに興奮しているのだろう。

 この日、坂東には雪が降った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る