第三十一話 西方出陣
鎮西探題に小雪がちらついた。新羽貞義は鎮西とは温暖な地だと思っていたので少々驚いた。桃池武時に聞くと普通のことだという。日の本は広いなと貞義は感じた。
「殿、そろそろ出陣の時かと思います」
軍師の三休が進言する。最近意思の疎通が滞っている主従だが、ここは貞義は素直に受けた。
「よし、陣立をしろ」
「はっ」
早速、陣立を三休は行った。
「ふむ、先鋒は鳥津薩摩守と桃池次郎か。なぜ先鋒が二人いる?」
「軍を山陽道、山陰道に分けます。中国にはまだこちらになびいていない御家人もおります。それを掃討しつつ進軍し、機内で合流し、都に攻め入ります」
「ふーん。三休、この陣立に俺は不満だ」
貞義は機嫌を損ねた。
「なぜでございます?」
三休は問う。
「なぜだと! なんで俺が先鋒じゃないんだ!」
貞義は叫んだ。それに三休はひるむことなく、
「大将が先鋒を務めるなどということは古来ありません」
と答えた。それに対して貞義は、
「平大将軍の例がある」
と静かに言った。
「し、しかし……」
「先鋒は俺と橘殿、薩摩守と桃池次郎は次鋒だ。あと、桃池次郎に、しかるべき官位を与えるよう奏上しておけ。次鋒が無位無官でどうする!」
「ははあ」
三休は平伏した。
出陣は正月を外して行われることになった。兵士たちには銭が与えられ、村に帰ることが許された。
兵の士気は上がっている。帰して里心がつくのではないかと桃池次郎らは疑念を抱いたが、軍師三休は「この戦、有利に進められると思われるが、それでも戦死する兵は出る。最後の団欒をさせてやるのが兵のためでございます」と言った。総大将新羽貞義は橘宗茂に意見を求め、宗茂は「軍師殿の言うことごもっともです」と答えたのでそれを許した。兵に与える銭は、鎮西じゅうから集められた年貢を、三休が米相場をうまく利用して利益を太らせたものである。兵糧も充分にある。鎮西はいつになく熱く盛り上がっていた。三休は兵たちに「睦月の十五日には帰ってきなされよ」と言って送り出した。
正月になった。貞義軍の主要な武将が鎮西探題に集まり、宴を開いた。貞義は終始上機嫌で、鎮西、中国、四国の武将に、酒を注いで回った。
「皆、飲んでくれ。これから足柄を倒し、後太鼓帝の元で、俺が政権を取る。だが俺は馬鹿だ。皆の協力が必要だ」
その言葉に、桃池武時が反応した。
「わしも馬鹿ですぞ。戦しか出来ない」
それに対し、貞義は、
「戦のない世などありえん。必ずどこかで反乱が起こる。それを退治するのが其方の役目だ」
と持論を展開した。そして、
「次郎殿には贈り物がある。受け取られよ」
と言って奉書を読みあげた。
「桃池次郎武時、従五位上、筑前守に任ずる」
「えっ、わしに官位がいただけるのですか?」
「そうだ。我が軍を背負って立つ者が無位無官では示しがつかん」
「あ、ありがとうございます」
武時は感涙した。
その他、武時の弟、桃池武則は、正六位下、筑後介になった。他にも無位無官の御家人武将には官位が与えられた。後太鼓帝が貞義に大きな期待しているのが分かる。
最後に貞義は、橘宗茂に、
「橘殿には正五位上、左衛門督をいただいた」
と話しかけた。破格の待遇だ。だが宗茂は、
「私には官位は不要。戦は官位の多寡で決まるものではございません。どうぞ、その官位は、殿が預かっていてください」
と言って任官を断った。気まずい空気が流れる。貞義の勘気に触れたらどうなることやら。斬り合いでも始まるかもしれない。しかし、
「なんと、なんという豪気さ。貞義、ますます橘殿に惚れた」
貞義は怒るどころか、感涙を浮かべた。
「皆、聞け。橘次郎殿は男の中の男よ!」
貞義は宗茂のために大杯に酒を注いだ。
「さあ、飲まれい」
「はっ」
豪快に飲み干す宗茂。
「見事」
貞義は元の席に戻ると、
「他の任官したものは、遠慮なくもらってくれ。橘殿が特別なんだ。俺と同じで橘殿はとんだ大うつけだ」
この一言で、座が和んだ。そして、各武将は「橘次郎には勝てぬ」と宗茂を尊敬の目で見つめた。これで、新羽軍の実質的副将に宗茂はなったと言っていいだろう。
睦月十五日。この時までにほとんどの兵士が帰ってきた。逃走者はほぼ皆無だった。それだけ兵の士気が高いのだ。三休の手腕の高さが認められる。
「よし、皆の者。よく聞け。俺は今回の戦で日の本を良くしようと考えている。皆、命がけで戦え。たとえ死んでも、その命は日の本のために戦って死んだと末代まで称えられるであろう。俺は神や仏は信じないが、お前たちの信仰しているものがお前たちを笑顔で迎えてくれるだろう。では薩摩守、前例に従い号令をかけよ」
新羽貞義が訓示をし、薩摩守、鳥津忠久が号令をかける。
「皆の者、正義の戦いに出発進行!」
「おう!」
百五十万の兵士が動き出す。ついに新羽貞義にとって最大にして最後の戦いが始まるのだ。思えば、鎌倉政権では得宗、宝条花時に目をつけられ、ろくな働きをさせてもらえなかった。鎌倉攻略も足柄万寿丸(義益)に栄誉を奪われた。足柄義氏には結局口車に乗せられ、名誉ばかりは高いが、これまた思い通りの仕事ができず、不満が心に溜まっていった。しかし、今日からの戦は思い通りにできる。三休という、小うるさい軍師がいるが、まあ役には立つからいいだろう。あんまり腹が立ったら斬り殺せばいい。己の思い通りに大軍を采配する。なんと素晴らしいことであろう。
しかし? と貞義は考える。俺の敵は誰なんだろう。あの小憎らしい、足柄相模守義直か? ならば戦は
「で、結局。俺は誰と戦うんだ?」
新羽貞義は馬上で悩んだ。三休に聞けばわかるかもしれないが、癪にさわるから聞かなかった。
長門国に着いた。
長門の少弐甲斐は足柄方だが姿形が見えなかった。
「まあよい。最初に血祭りにあげてやろうと思ったが、逃げ出したならそれでいい」
新羽義貞はつぶやいた。
ここからは貞義を先鋒とする軍と橘宗茂を先鋒にする軍に分かれて都を狙う。新羽軍は山陽道、橘軍は山陰道を行く。途中、敵がいれば掃討することにしている。
「では、殿。畿内でお会いしましょう」
宗茂が言う。
「おう、次郎殿こそ健勝で」
両軍はそれぞれの道に分かれた。
両勢の行軍は粛々と進んだ。敵が現れないのである。そのことを最初に不審と感じたのは橘宗茂の副将鳥津忠久であった。
「次郎殿、これはおかしい」
「どうしました?」
「出雲は足柄方の塩山高貞の守護地。奴は逃げ出すような者ではありません」
「そうですか……どこかに伏兵でも?」
「ありえます」
「では、全軍走るぞ。一刻も早く出雲を抜けるんだ!」
宗茂が号令した。
だが、伏兵の影も形もなかった。
「あの男をして逃げ出すか……」
忠久は首をひねった。
「薩摩守殿、あまり気にせずとも良いだろう」
宗茂は鷹揚に構えた。
新羽貞義軍は無人の野を行くように山陽道を進み、播磨まで来た。
「殿、播磨には市松円陣入道がおります。奴の白旗城を攻め落とさねばなりません」
三休が進言した。
「よし、一気にひねり潰そう」
貞義は軍配を振るった。しかし、白旗城は門が開いており、人の気配もない。
「なんだ、みんな逃げ出した後のようだぞ」
貞義が叫ぶ。
「お待ちあれ。あれぞ諸葛孔明の『空城の計』やもしれません。ご用心。ご用心」
「馬鹿か。入道にそんな知恵があるわけない。入城だ」
貞義はずんずん城に迫る。
「お待ちを」
三休が止めるが、貞義は入城してしまった。しかし、何も起きない。
「ほら見たことか」
自慢げな貞義。
「しかし、古狸の入道が、城を捨てて逃げるとは考えにくうございます」
「大方、我が大軍を知り、逃げ出したのであろうよ。そういう男だ、入道は」
貞義は断定した。
「ふうむ」
三休は納得いかないようだった。
橘宗茂率いる山陰道軍は丹波に入った。
「丹波は足柄一門の所領。一戦の御覚悟を」
副将鳥津忠久が進言する。
「そうですな。ここは斥候を出しましょう」
宗茂が言った。しかし、斥候たちは戻ってきて、
「これより丹波黒豆城まで、ねずみ一匹おりません」
と報告した。
「これは面妖な」
忠久が首をひねる。
「皆、都に集結しているのではないでしょうか?」
宗茂が忠久に問う。
「それしか考えられませんな。こうなったら畿内に入り、総大将軍と合流し、まずは樫木河内守を血祭りにあげましょう」
「樫木殿は名将と伝え聞く。楽しみですな」
宗茂は指をポキポキ鳴らして微笑んだ。
春の香りが近づいている頃、新羽貞義の山陽道軍と橘宗茂率いる山陰道軍が合流した。兵を一人も損なわずにである。
「だが、ここからはそうはいかない。樫木河内守正成の赤坂城を攻略する。河内守は、食えぬ男よ。皆の者、覚悟して掛かれ」
貞義は喝を入れた。
「おう」
意気上がる新羽軍。
新羽軍は赤坂城を取り巻いた。赤坂城には大量の旗がなびいている。
「ふん、あれは寡兵をごまかす、河内守の常套策。皆、恐れずに掛かれい」
「おう!」
兵たちが、山城である赤坂城に上り始める。そこに、大岩が何百と転がり落ちてくる。
「うわあ!」
兵たちが岩に潰される。
「恐れるな、岩の数には限りがある!」
貞義は檄を飛ばした。
やがて、岩は尽きたようで、城は静かになる。
「上れ!」
各将が命令を下す。敵の抵抗は全くない。やがて赤坂城は落ちた。しかし、
「だ、誰もおりません」
城下に陣を構えた貞義に伝令が入る。
「なんだと! じゃあ、大岩は誰が落とした?」
貞義は怒鳴った。そこへ、
「村人の娘を捕まえましたぞ」
雑兵がニヤニヤしながら娘を連れてくる。
「そこの雑兵。娘から手を離せ。斬り殺すぞ」
清廉な貞義は鯉口を切る。
「ひえー」
雑兵は逃げ出した。
「なあ、娘。樫木殿はどこへ行った?」
「お、おら、山に山菜取りにきただけだあ。なんも知らねえ」
娘は答えた。
「本当だな?」
「本当だ」
「よし、じゃあ家に帰れ」
「いいのけ?」
「構わん。村人をいたぶるほど、俺は飢えておらん」
貞義は娘を解放した。まさかその娘が、足柄義氏の草の者、おともだとは気づかなかったのだ。しかも赤坂城で大岩を落とす仕掛けを動かしていたのが彼女だったとは全く考えの埒外だった。
数日後、新羽軍は都を包囲した。しかし、全く足柄勢からの攻撃もなければ、降伏の使者もこない。陣幕の中に座った新羽貞義は、
「どうなってんだ。誰か見てこいよ」
とイライラしながら言った。
「では私が」
と橘宗茂が単騎、都に入城した。初めて見る都の内部は荒廃しており、いやなにおいがした。宗茂は都の住民に花の御所への道筋を聞いた。
「ああ、あそこを右に曲がって四番目の道を左に曲がったとこだ。でも、足柄の衆はだーれもおらんよ」
と住民は言った。
「なんだと!」
これにはさすがの宗茂も動揺した。
「足柄はいないのか?」
「ああ、みーんなでまとまって、どっかへ行っただ。坂東に帰ったんじゃないですかねえ」
「そうか。ありがとう」
宗茂は早速帰陣し、貞義に事の次第を話した。
「なんだって、誰もいないだと? この数日の帯陣は無駄だったってことか」
「そのようで」
「相模守の弱虫。征夷大将軍などと、空いばりして、雑兵以下の振る舞いじゃ」
「さするに、坂東に落ちたとなると、武蔵守殿の差し金かもしれません」
「やっぱり出てきたか、又太郎。奴と戦するのは不本意だが、こうなった以上は仕方あるまい。坂東攻めだな」
「しかし、その前に都の治安を回復しなければ」
三休が話に入ってきた。
「都などどうでもいいわ……と言いたいところだが、そうも言っていられないな、橘殿」
「左様に存じます」
「よし入京するぞ。花の御所に入り、後太鼓帝に謁見だ」
新羽軍は粛々と都に入った。
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