第三十話 思惑
秋の夕暮れ時、後太鼓帝は政務にお疲れになり、内裏の外を供もつけずに散策されていた。そこに、ピヨピヨと鳥の鳴く声が聞こえる。
「備前、いや小鳥法師だな」
後太鼓帝はおっしゃった。
「はい」
という声とともに目の前に一人の男が現れる。
「相変わらず、身のこなしの早いことよ」
後太鼓帝は感心なさった。
「それだけが取り柄でございます」
現れたのはかつての小鳥備前守高徳、今は小鳥法師である。
「お主には官位を与えておる。正門から入ってくればいいものを」
「身についた性。それに、周りに人のいない方が話しやすいこともございます」
「そうか。そうだな」
後太鼓帝は髭を撫でられた。
「で、鎮西はいつ動く。一向に音沙汰なしだが」
「はい。新羽上野介は、兵糧を蓄えております。これは彼の軍師三休と申す坊主の発案でございます」
「上野介に策士がついたか。奴め、その坊主の言いなりか?」
「いえ、そのようなわけではございません。逆に言えば、仲が悪くなりかけております」
「なぜじゃ?」
「上野介は橘次郎宗茂という知勇に優れたものを召し抱えました。上野介はそのものに全幅の信頼を置いており、三休の献策もいちいち宗茂に可否を尋ねる始末。三休はひねくれ者ゆえ、それにたいそう腹を立てている様子でございます」
「そうか。鎮西にそのような者が隠れておったか。いざとなれば、上野介を切ってそのものを召し抱えても良いな」
「ご慧眼恐れ入ります。宗茂はなかなか見所のある男でございます。ただ義に固い者のようですから、一度主従の契りを交わした上野介から離れることはないでしょう」
「ならば、上野介がみまかればどうじゃ?」
「そ、それは分かりかねまする」
「法師も弓矢くらい使えるであろう。戦の
「拙僧、冷や汗をかきました」
小島法師は手ぬぐいを出して顔の汗を拭いた。
「で、武蔵守はどうした?」
「それが、
「そうか。もう立つことはないな」
「おそらくは」
「また何かあったら知らせてくれ」
「はい。帝もお健やかに」
そう言うと小鳥法師は夕闇に消えた。
さて、征夷大将軍になった足柄義直だが、花の御所で頭を抱えていた。
「秋も深まったというのに年貢が一向に入ってこぬ。鎮西、中国、四国は上野介のせいだろう。坂東も
義直がぼやいていると、梅井忠常が、
「上様、残念ながら我々の勢力範囲は畿内だけでございます」
と情けない顔をして言った。
「分かっておる。しかし、これでは上野介との戦に勝てぬ」
「上野介はじきに動きましょう」
「何かいい手はないものか」
「上様、武蔵守様と和解されてはいかがでしょうか?」
「あ、兄上と? 無理無理。兄上は怒っている。兄上は一度怒ると滅多なことでは許してくれない」
「左馬頭様に仲立ちしていただいて」
「義益は無能だ。兄上を説得する力はない」
「そうですか……では、どうにもなりませんな。無理に政権を保とうとしても無駄ですな。では私は奉行の職を辞し、故郷の三河へ帰らせていただきます」
そう言って、忠常は退出しようとした。
「ま、待ってくれ。お主がいなくなったらこの政権は消える」
「いたって、消えまする」
「分かった。分かったから座ってくれ」
「なんでしょう。もうこれ以上の政権維持は無理です」
「兄上と和睦する。ならいいだろ」
「まあ、それしか方法はございませんな」
「よし、和睦! 決定!」
そう言うと義直はその日のうちに武蔵国に出立した。それも供をつけずに一人早駆けした。
空が高い。赤とんぼが飛んでいる。もうそろそろ見納めであろう。もうすぐ冬が来る。ひょっとすると、この冬は熱く燃えたぎるようなものになるかもしれない。だが他人にその熱さを見せてはいけない。我は謹慎の身、静かにしていなくてはな。足柄義氏は肩に止まった、赤とんぼに話しかけていた。もちろん心のうちでだ。どこに草の者が隠れているとも限らない。ご用心ご用心と自分に言い聞かせた。
そこへ香諸尚が現れた。
「殿、一大事でございます」
「ふん、来たか」
「お分かりで?」
「分かるに決まっておる。わしはあいつの
「ご慧眼恐れ入ります」
「何騎で来た?」
「ただ一騎で」
「なに、よほど慌てていたのだな。山賊に襲われなくてよかったな」
「早速お会いになりますか?」
「ならぬ。用件は其方が聞け。聞かなくても分かるがな」
「では、そのようにいたします」
諸尚は去って行った。
「さて、ついに来る時が来たか」
さすがに日頃は鷹揚な義氏の拳にも力が入る。西方を抑えた新羽貞義と東の衆をまとめた自分とが決戦するのだ。新羽勢には鎮西の衆が多いと聞く。鎮西の御家人の強さは世に知られている。手強い。だが、自分も坂東勢を抑えた。坂東の御家人も強い。互角の勝負となるだろう。では勝敗を分けるのは何か? 義氏は蝦夷衆ではないかと思っている。一度は鎌倉政権に屈したが、未だ財力と武力を豊富に持っている。これをいかに使うかが、自分の大将としての力量だと義氏は考える。
そこに、諸尚が現れて、
「相模守様、泣いてお詫びをされております。このままだと腹を召しかねません。如何しますか」
と告げた。
「なんとも、相変わらずの弱虫だの。腹を切るなら切れと伝えよ。生きていたら、明日会ってやる」
義氏は苦い顔で言った。
「では、明日お会いになると伝えてよろしいので」
「ああ、構わん。ほんに世話の焼ける弟だ。奴は算術だけやっておれば良いのだ。それが征夷大将軍だと。笑わせるわ。諸尚、それより飯だ。あいつにも食わせてやれ。道中、まともに食事もしてないだろう」
「はい。たいそうお
「不憫な奴」
ここでようやく優しい言葉が出た。元は仲良き兄弟である。義氏は大して怒ってはいなかった。ただ“平大将軍の海賊”を陸の戦いに繰りだしたことには腹を立てていた。神聖なものを私利私欲に使ったからである。そのことは明日、叱責しなければならない。
翌日。
義氏のいる部屋に、義直が泣きながら入ってきて平伏した。
「あ、兄上、申し訳ございませんでした。うわーん」
義直は号泣した。
「阿呆。泣いて済むと思うか。“平大将軍の海賊”を自分の利のために動かしおって。会ってやったんだ。潔く腹を切れ」
「えっ? は、はい。腹を切りまする」
義直は短刀を取り出すと、切腹しようとした。しかし、
「手が、手が震えて腹を切れませぬ」
泣きながら義直が言う。
「愚か者め。出来ぬことをするんじゃない。短刀を鞘に収めよ」
「は、はい」
義直は素直に従う。
「本来ならば、首級をとっても良い、大悪党だが、その涙と、実の弟ゆえ、許してやる。今回だけはな」
「あ、ありがとうございます」
「うぬ。ではなあ、早速お前に仕事を与える」
「へ?」
「へ、ではない。百万の兵を食わせる兵糧の数を算出し、東海道、東山道の国々から必要な量を調達せよ。冬になる前にな。さあ、取りかかれ!」
「はっ」
自分の得意領域の仕事を与えられ義直の目に輝きが戻った。
「諸尚、わしは蟄居をやめて鎌倉に入る。そこで旗揚げする。都の御家人たちを一度、鎌倉に戻せ」
「かしこまりました」
ついに足柄義氏も腰をあげる日が来た。足柄義氏と新羽貞義が全面対決するのだ。
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