第二十九話 上野介の躍進

 新羽貞義は、薩摩国の奥にある“隠れ里の森”というところに来ていた。かの平大将軍が讃岐宮(のちの道徳帝)を奉じて旗揚げした場所だそうだ。昔は政治的亡命者が住んでいたというが、今はその面影もない。

「何もさあ、日の本の端まで来なくてもいいじゃないか。旗揚げなら鎮西探題で盛大にやればいい」

 と文句を言う貞義に対し、軍師の三休宗瑞は、

「こういうことは形が大切なのです。平大将軍が旗揚げしたこの場所で、我等も立つのが、皆の士気に関わるのです」

と貞義に説いた。

「逆に士気下がらないか? こんな遠くまで連れてこられて」

「そんなことはありません。皆、日の本を世直ししようと燃えております」

「でもよう、俺には奉ずる方がいないぜ」

「いますよ」

「どこに?」

「都に後太鼓帝が」

「俺、また後太鼓帝につくの? いやだなあ」

「そう言わずに、せいぜい祀りあげましょう」

「でもさ、相模守だって、後太鼓帝を奉じてるんだぜ。仲間になってしまう」

「相模守様は後太鼓帝に嫌われています。実は、人をやりまして、後太鼓帝の奉書を頂いております」

「けっ、手回しがいいな。諸尚みたいだ」

 貞義は苦虫を潰したような顔をした。


 出陣式には南鎮西の御家人たちが集まっていた。これも、平大将軍旗揚げの前例に沿ってのことである。北鎮西の御家人は鎮西探題で待ち、中国、四国の御家人は下関で落ち合うことになっていた。総勢三百万人。


 前例によって、薩摩守、鳥津忠久とりづ・ただひさが出陣の気勢を上げた。

「えい、えい、おう!」

 皆の気合いが上がって行くのを、新羽貞義は冷ややかに見ていた。今は結束しているように見える鎮西の御家人も、最前まで後太鼓側、足柄義氏側、中立派と分かれて揉めあっていたのだ。そんな野心むき出しの輩たちを自分が御しきれるだろうか? 自分は奇矯な男だ。時々、自分を抑えられなくなる時がある。その姿を見て、御家人たちが、どう思うだろう。当然、俺に疑念を抱くだろう。「本当に平大将軍の子孫なのか?」と。もちろん、俺は平明光の長子、明良の直系の流れだ。しかし、明良は明光の後継者にされなかった。次子、明風が家督を継いだ。足柄家だ。父、島太郎は言わなかったのだが、明良も自分同様、奇矯だったのではあるまいか。そんな家系の自分が日の本を統べていいのか。貞義は儀式の間じゅうずっとそんなことを考えていた。


「さて、次は鎮西探題に参りましょう。大将軍。お言葉を」

 三休が貞義に声をかける。仕方ない。大きいことを言ってやろう。

「俺は新羽上野介貞義だ。平大将軍に成り代わり、日の本の平和のため戦う。皆の者、ついてこい」

「おう!」

 どよめきが起こる。貞義の一言は間違いなかったようだ。

「では、出陣!」

 先鋒の鳥津忠久が軍配を下ろす。義貞、一世一代の戦いが始まろうとしていた。


 鎮西探題へ向かう途中、日向の山間部で、貞義軍は敵襲にあった。貞義は、

「なんだよ。鎮西にまだ敵がいるのかよ。平大将軍が鎮西で敵に襲われたなんて聞いてないぞ」

と怒鳴った。

「殿、落ち着きなされ。どうせ、山賊あたりの痴れ者。慌てることなし。総大将は悠然と構えなされ」

 三休が貞義をなだめる。

「そうだな。陸奥守、敵を掃討してまいれ」

「はっ」

 貞義は弟の脇牙義助に命じた。敵は山の中腹から矢攻めをしてくる。木々に隠れて、義助軍は敵影を見ることができない。一方義助軍は丸見えである。矢が兵たちを的確に捉える。

「これはいかん。木々の間に隠れよ」

 義助は兵を木々に隠した。すると、大地に掘られた穴から敵兵が現れ、木々に入った兵を次々と斬り殺す。

「駄目だ。撤収」

 義助軍は敗走した。


「陸奥守、いや義助。小勢相手に逃げ帰ってくるとはどういうことだ」

 貞義は逃げ帰ってきた義助を叱責した。

「なれど、兄上。敵の戦略は見事なもの。漠然と攻めていたら味方が全滅いたします」

「ふーん。それだけの采配者が山賊もどきにいるのか。逆に会ってみたくなったわ。次は俺が攻める」

 貞義が兜の緒をしめる。

「待たれい」

 声をあげたのは日向守護、宮崎国春みやざき・くにはるであった。

「ここは拙者の守護地。それに敵将も誰だか見当がつきます」

「聞いても知らないと思うけど、誰?」

橘宗茂たちばなのむねしげ鎮西一の弓取りでござる」

「なんで、そのようなものが山賊まがいになった?」

「やつに将たる器のあるものがいないからです」

「其方もか?」

「無理です。ただ、大将軍ならば、下につくかも」

「これは、俺に対する挑戦の一矢か。ならば、やはり受けて立とう」

 貞義は言い放った。三休はもはや止めなかった。これは、貞義が真に鎮西衆を懐に収めているかの試金石。橘宗茂を捕らえれば良し。敗れれば、天下統一の夢もここまで。好きにすれば良い。それが総大将だ。三休はそう考えたのだ。

「よし、日向守、案内せい」

「はっ」

 貞義は宮崎国春に伴われて橘宗茂の潜む山間部へと駒を進めた。


「大将軍、ここは神が降りたもうた山と言われております」

 宮崎国春が言う。

「そうか。だがな、俺は神も仏も信じない。俺の力だけでここまでやってきた」

「強いお言葉でございます」

「そうか」

 貞義がそう言った瞬間、矢が飛来してきた。

「皆の者、盾を頭上に掲げよ」

 貞義は命じた。そして、

「山の中腹の木の茂みを狙って、弓矢を放て」

と兵に命じた。矢が一斉に放たれる。

「わあ」

「うわあ」

 わめき声が聞こえ、人影が木から転落するのが見えた。

「義助のたわけ。やみくもに矢を撃つから当たらないんだ。人の隠れていそうな場所を狙えば、必ず当たる」

「お見事」

 国春は感心した。そして、

「敵は逃げたようですな」

と言った。

「俺は宗茂という男に会いたい。ここからは駒は無理そうだ。徒士かちで行こう」

 貞義は騎馬隊を下馬させ、山に登ることにした。下士と合わせてその数、五千。

「罠に気をつけろ。奴は絶対そういうものを仕掛けているはずだ。薙刀の棒の先で地面を探りつつ、一歩一歩ゆっくり進むんだ」

 貞義は命令した。すると、

「わああ!」

と一人の兵が声を上げた。見れば薙刀が天高く蔓のようなものに持って行かれている。これが足だったら宙吊りだ。

「なかなかやるなあ」

 貞義は感心してしまった。そして、

「橘宗茂とやらに申す。俺は平大将軍の子孫、坂東の新羽上野介だ。無駄な人死には出したくない。二人で一騎打ちをしようぞ」

大音声だいおんじょうで叫んだ。すると、

「私相手に、一騎打ちを所望とは豪気な方だ。面白い。受けて立とう」

と声がして、雲をつくような大男が出てきた。

「おお、なんたる偉丈夫ぶりよ」

 猛将が大好きな貞義は相手が一騎打ちの相手ということも忘れて喜んだ。

「ワクワクするぞ、橘殿。いざ尋常に勝負だ」

 貞義は駆け出した。念のため書いておくが駒は置いてきたのでいない。宗茂も徒士だ。

「とりゃあ!」

 身のこなしの早い貞義は素早く宗茂に駆け寄り剣を出す。

「とう!」

 宗茂はその攻撃を剣で受け止め、力ずくで押し返す。貞義は重い甲冑を着けているののも関わらず、とんぼ返りして態勢を整えた。

「やるの、大将軍の末裔」

 初めて宗茂が貞義を褒めた。

「いや、其方こそ力と技が卓越している。なあ、なんで俺たち一騎打ちしているんだ?」

「それはお主らが、我が縄張りを侵したからだ」

「そうか。じゃあ、それは謝る。許してくれ」

「そう言うなら許そう」

「ついでと言ったらなんだが、其方の器量に俺は惚れた。家来とは言わん。同格

で良いから我が軍に入ってくれないか? 付して頼む」

「恐れ入ったこと。私こそ、あなたの力量に感服しました。長きの浪人暮らしのため、不調法ですが幕閣の端にお入れください」

「そうか。やったな」

 貞義はたいそう喜んだ。貞義軍にはまともな武将は弟の脇牙義助くらいしかいない。そこに橘宗茂が入ったのだ。軍師三休、猛将宗茂と直参の配下が充実してきた。これで鎮西の衆に臆することなく指揮が取れる。いいことずくめである。


 新羽貞義が橘宗茂を連れて陣に戻ってきたので、北鎮西の衆は驚愕した。

「あれは鬼宗茂だ!」

「大きいなあ」

「凛々しい眉だ」

「恐ろしい」

 様々な声が上がる。貞義は、

「こちらに居るは、今日より俺の直参となった、橘太郎宗茂殿だ。皆よく知っておるのだろう? 何はともあれ、古いことは忘れ、新たに味方となった門出に、一献いこう」

と大声で言った。

「上野介殿、家来の私に殿などつけてはいけません」

「ははは、そうだな。宗茂、飲もう。皆も飲めや」

 急ごしらえの宴が始まり、御家人や兵士たちは大騒ぎとなった。その中で、三休だけが、

「こんなにのんびり進軍して、兵糧は足りるのだろうか? 明日は殿に進言して行軍を早めよう」

と独り言をつぶやいていた。


 三休の小言が聞いたのか、翌日以降は貞義の南鎮西軍は早い速度で進んだ。五日後には鎮西探題に到着した。探題には桃池武時、和田博学を始め、北鎮西の御家人が集まっていた。新羽貞義は大歓声の中を騎馬で進んだ。


「さて、殿様。ここからが思案のしどころですぞ」

 三休が貞義に囁く。

「何を考えることやある? 一刻も早く都を相模守めから奪い取らねばならぬだろう」

「無理です。今の兵数では兵糧が足りなくなります。兵糧なくして戦には勝てません」

「うん。それはそうだな。宗茂、どう思う?」

「軍師様の言う通りだと思います」

「そうか、宗茂がそう言うなら、三休に従おう。で、どうする?」

「兵のほとんどは農民です。この半分には国に帰って米作りに励んでもらいます」

「兵数を減らすのか?」

「そうです。帰れと言われれば喜んで帰るでしょう」

「しかし、そうすると残った兵が不満に思うんじゃないか?」

「残るものには、充分な給金を与えます。それなら文句ありますまい」

「そうだな。ところで宗茂、どう思う?」

「良き策だと思います」

「だそうだ。三休それでいこう。義助、御家人たちへの報告を頼む。俺は、宗茂と積もる話があるのでな。邪魔するなよ」

「……はっ」

 貞義は橘宗茂が大のお気に入りになってしまった。別に男色ではない。男として、武将としての宗茂の器量に惚れ込んでしまったのだ。このままでは、軍師の職を宗茂に奪われかねないと三休は思っていた。それならそれでいい。他の主人を探すだけだ。本当は自分が大将になってもいいが、押し出しが悪い。貞義や足柄義氏、義直には風格がある。宗茂にもある。いっそ、宗茂を寝返らせて天下をとらせるか? と一瞬考えて「あほらしい。首をすげ替えただけじゃないか」と独り言をつぶやいた。三休は独り言が多い。


 三休、脇牙義助が、御家人たちを呼び、先ほどの策を皆に伝えた。だが意気上がる鎮西衆の多くは「このまま京都まで走るべき」との意見が多かった。

 三休は鎮西の衆に、都は皆が思っているほど、良いところではない。物資も兵糧もほとんどないに等しい。都の唯一の利点は、帝がいらっしゃるだけだ。その、帝ですら満足に食事ができていないと、ちょっと誇張も入れて説明した。鎮西の衆からは反論の意見が消えた。

「だからですな。今年の米の収穫が終わってから都に入ったほうがいいわけでございます。その間に兵を鍛え、武具を揃えて最強の軍として都に登るのでございます。桃池殿、和田殿いかがかな?」

「軍師殿の言うことに従います」

 桃池岳時が鎮西の衆を代表して答えた。

「最後に言っておきます。敵は足柄相模守にあらず。真の敵は足柄武蔵守でございます」

 三休がとんでもないことを言った。なぜなら、先般、足柄義氏が鎮西に逃げてきた時に義氏を助けたものが鎮西の衆には多数いるのだ。動揺が広がった。

「武蔵守に恩あるものは早々にここを発たれよ。とがめ立てはいたしません」

 そう言うと三休は席を立った。義助が続く。義助は三休に、

「お主、余計なことを言ったのではないか?」

と詰問した。三休は、

「戦場で裏切られるよりましです」

と返した。

 義助は何も言えなかった。


 下関にいる中国、四国の衆にも、三休の策が伝えられ、御家人と兵の半数が鎮西探題にやってきた。残りの兵は国に帰った。

 都攻略はこの冬と決まった。それまでは、大掛かりな軍事訓練が行われることになった。指揮は橘宗茂が抜擢された。桃池武時や和田博学は不満そうだったが、宗茂の恐ろしさと賢さを知る、南鎮西の衆は何も言わなかった。


 最後の戦いの時が近づいている。



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