第二十八話 銛太郎の懊悩

 大斧銛太郎は、髷を落とした足柄義氏に従って武蔵国、鶴見の苦災寺に入った。銛太郎は出家する気などさらさらない。しかし、面妖なのは、義氏も一向に得度する気配がなく、酒や獣肉など、仏教の禁戒を破って平然としている。住職の雷雲も見て見ぬ振りをするどころか、ちゃっかりご相伴にあずかっている。何を考えているのであろう。銛太郎が海賊時代に訪れた印度という国の僧侶は妻帯もせず、肉食は厳格に禁じられている。高僧になると、虫も殺さぬよう、修行僧が高僧の歩む道を放棄で掃き取り、虫を退ける。僧は皆やせ細り、粗末な植物を食べて飢えをしのいでいる。それに比べて、日本の僧侶の荒廃ぶりはなんだ。義氏や雷雲に限らず、妻帯するものあり、酒を般若湯とごまかして呑み明かす。真面目に仏教に取り組んでいる僧侶はいないのか? 銛太郎は頭に来ている。


 その上、銛太郎は少々、気が滅入っている。この度の海賊衆の活躍、そして撤退の速さ。見事だった。その輪の中に自分が入っていないことへの違和感。そして、自分には挨拶一つくれなかったこと。それがだいぶ衝撃だった。一度、おかに上がったものは、再び、海賊衆には戻れぬのか。銛太郎は人知れず涙を流した。そして、気持ちが落ち着いてくると「今度こそ、お一人の方を主君と定めよう」そう心に決めた。候補は三人だ。まずは、征夷大将軍、足柄義直。だが、銛太郎はあまり、義直が好きではなかった。頭は良いのだろうが、その上手に香諸尚がいる。諸尚ののほうが一枚も二枚も上手である。そしてなにより頼りないのが、戦に弱すぎることだった。今回は海賊衆に助けられて大勝利を収めたが、それまでは連戦連敗。いつも兄、義氏に尻拭いをさせていた。武士の頂点を極める人物ではない。実際、海賊衆と足柄直夏がいなくなると、離反する者が続出し、兵力も三十万前後まで落ちている。配下の武将も使えるのは梅井忠常くらいで、残りの一門衆、太川義春に昔川義国あたりはのん気にやっているようだ。危機感が全くない。内部崩壊は避けられないだろう。


 二番手は新羽貞義。伝え聞くところによると、鎮西、中国、四国の御家人を従えて、虎視眈々と都を狙っているという。足柄義直には勝ち目はないだろう。そうするとどうなる。義直はいつものように、兄、義氏に助けを求めるのではないか。果たして、義氏は一度、自分を裏切った弟を許すだろうか。

 ここで、銛太郎はハッと気がついた。義氏はそれを見越して、得度していないのだ。市松円陣入道や、鈴木道世入道のように得度しても、政治の表舞台に立つ者もいる。しかし、征夷大将軍が僧体ではちと面目が立たない。義氏は髷は落としたが、得度していない。髪などすぐ伸びる。出家は口実で、実は、捲土重来。時を待っているのではないか?


 義氏はお気に入りの鈴木道世入道や雷雲と酒を喰らって上機嫌だ。そこに銛太郎が現れる。

「おう、銛太郎。しけた顔をしていないで、般若湯を呑め」

 義氏が杯を渡そうとすると、銛太郎は、

「武蔵守様は再び、政権の首座につこうとしているのですか。この酒盛りも、世を欺く偽装ではないのですか?」

と義氏に問いかけた。

「銛太郎」

 義氏は酔眼から、厳しい目つきになって、銛太郎を睨んだ。そして、

「お前も成長したな。わしの策に気づくとはなあ」

と銛太郎を褒めた。

「恐れ入ります」

「銛太郎。お前には三つの選択肢がある。一つは相模守。もう一つは上野介、最後にわしじゃ。今ここで決めよ。誰に着くかを。もし、わしでなくても一向に構わん。その時は最後の杯を酌み交わそう」

「武蔵守様。私は私は……」

「なんじゃ、早く申せ」

「私は武蔵守様の全てが好きではありません。しかし、構想の大きさ。度量の深さに感服いたしました。つきましては武蔵守様の家人にしてくだされ」

 銛太郎は平伏した。

「頭を上げよ。杯を取らす」

「はい」

 こうして、銛太郎は正式に義氏の家人になった。


「さてところで銛太郎。西では上野介が派手にやっているようだな」

「このまえ、小鳥備前守改め、小鳥法師がやってきて、教えてくれました。上野介様は“平大将軍の末裔”を謳い文句にして、鎮西や中国、四国のほとんどの御家人を味方にしました。今は、三休という軍師の指揮のもと、内政に力を入れているようですが、いずれは京の相模守様を倒すでしょう」

「つまり日の本の西は上野介のものということだな?」

「はい」

「ならば、わしは日の本の東を味方につけよう。遠き、蝦夷地にも行って味方につけなければならん。銛太郎、やってくれるな」

「力の限りやらせていただきます」

「うぬ。有能な家臣を十名つけよう。指導はよろしくな」

「はい」

「わしは、畿内の味方を集める。坊主ごっこはこれまでだ。道世、わしの名代で畿内に行ってくれ」

「かしこまりました」


 平大将軍の威光は主に西日本が中心で、坂東はともかく、甲信越や東北にはあまり縁がない。銛太郎は平大将軍の話は捨て、足柄義氏がいかに有能で日の本を統べるべき男であることを強調した。もともと足柄家は鎌倉政権の有力な御家人だったので、坂東、甲信越、陸奥の調略は簡単だった。しかし、問題は蝦夷である。蝦夷の安倍氏、竹原氏はその昔、平大将軍と激しい戦をして、惨敗している。その子孫である足柄義氏につくことがあるだろうか? 銛太郎は疑問に思いつつ、その門を叩いた。


「武蔵守殿が、わしらの力を借りたいだと」

 安倍家の当主、安倍頼益あべ・よりますが厳しい目つきで行った。年の頃は五十過ぎか。でっぷりと太っている。

「我らは鎌倉に一度は屈服させられた。しかし、鎌倉は滅んだ。愉快至極だ」

「その、鎌倉を倒したのが主人あるじ武蔵守でございます」

「ああ、そうであったな」

「どうでしょう。かつての好敵手の子孫が手を結び、天下を取る。面白くはありませんか?」

「我らは中央には興味がない。だが、天下分け目の戦に立つということには感ずるところがある」

「どうぞ、武蔵守をおたすけください」

「分かった。俘囚の汚名を晴らす時だきたと思う。竹原清佐たけはら・きよすけはわしが説得しよう」

 頼益が快諾した。

「では、仔細は後日。私はこの吉報を武蔵守に伝えに戻ります。失礼」

 銛太郎は急いで出て行った。それを見て頼益は、

「せっかちなやつだのう。一献傾けようと思ったのに」

と呆れた。

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