第二十六話 不協和音
足柄相模守義直は摂津の湊から船を降り、悠々と都に向かって進軍した。敵はもういない。兄、義氏は降参して髷を落とし、新羽の小次郎は逐電した。海賊衆百万に守られながら入京する。義直の気分は最高だった。途中、足柄直夏の軍、百五十万と合流する。
「伯父上、おめでとうござります」
「なに、わしはなにもしてないよ。海賊衆と宮内、お前の活躍のおかげだ」
義直は髭を引っ張りながら言う。
「あとは後太鼓帝をいかに抑えるかだな」
「帝は伯父上がお嫌いとか」
「まあな、いろいろあるわよ。だが、今回帝の位に復しさせ給わったのは、わしだからな」
義直はまた髭を引っ張りながら答えた。
花の御所には降参した、樫木河内守正成や市松円陣入道らが平伏していた。
「鈴木道世入道がおらんな。あとで打ち滅ぼしてくれよう。ははは」
義直は戯言を言いながら御所に入った。
「さて、御家人諸君。海賊衆よ、わしは後太鼓帝から征夷大将軍の位をもらい、日の本の政を行うことになった。誠に重大な任務である」
そう言いながらも義直の顔はほころんでいる。
「まず、はじめに行うべきことは逐電した新羽貞義を追討することである。だがなあ、その前にこの度の戦に功のあったものに朝廷へ、官位をお願いせねばならんの。なあ、嵐丸よ。そなたが一番の功じゃ」
義直は海賊の長、難破嵐丸に声をかけた。しかし、
「征夷大将軍に申し上げます。我らは父祖の代より、官位は貰わぬのが掟です。さらに申せば、大将軍が陸に上がった以上、お手伝いも無用のことと存じます。なれば、早速にも海に帰りたいと思うのですが、大将軍の跡目を継ぐ方がいらっしゃらない。一門の方で結構でございます。どなたか、お世継ぎを」
と
「なんと、海賊衆はわしの家来ではなかったのか!」
怒る、義直。
「当然です。“海賊の海賊”の頭領だからこそ、お仕えいたしました。ですが地上の権力に拘泥するならば、我らの頭領にはなれません。できれば、征夷大将軍の位を捨て、海に戻りましょう」
説得をする嵐丸。
「しかし……わしには子がおらんし。征夷大将軍になったばかりで返上する例もないだろうし……」
義直がうじうじしていると、
「伯父上、わたくしが海に参りましょう」
直夏が手を挙げた。
「いかん、いかん。お主はわしのために働き、将来はわしの後を継ぐものじゃ」
義直は必死で止めた。だが、
「伯父上はまだ若い。これから子の出来ることもありましょう。さすれば、わたくしが疎ましくなると思います。それに地上の権力闘争にも飽き申した。この度の戦いで、伯父上へのご恩もお返しできたと思います。どうぞ、我が願いお聞き届けください」
直夏はそう言って聞かない。喜んだのは嵐丸だ。
「やっと立派な頭領を得た。宮内様、どうぞご一緒に」
「嵐丸とやら、俺は官位を捨てた。又三郎でよい」
「はっ、又三郎様」
二人は早々に御所を出て行った。そして摂津の湊に係留していた海賊衆もすぐに海の彼方へと消えた。義直は百万の兵力をあっという間に失った。さらに、
「我らは宮内様を旗頭として立ったもの。相模守様の手下にあらず」
と鎮西の桃池武時らが席を立った。これで兵力五十万減。兵力は梅井忠常ら、もともと義直の配下であったものだけが残った。その兵力わずか五十万。二百五十万いた勢力がもののわずかな時間で、五分の一になってしまったのだ。
「わ、わしはそんなに人望がないのか……」
義直はがっくりきてしまった。
「そうお嘆きなさるな。これからの仕事次第で、いくらでも挽回できます」
梅井忠常が必死になだめる。
「そ、そうじゃな」
なんとか平静を取り戻す、義直。だが、
「わしには征夷大将軍、身に重いかもしれぬの」
とポツリとつぶやいた。
その後、内裏でまたも帝位にお付きになった、後太鼓帝と足柄義直が対面した。
「この度のことご苦労である。これからも朕のため働くよう」
とだけおっしゃると帝は退室された。
(やはり、森永親王のことを帝は怒っておられる。ああ、全てが裏目じゃ)
帰りの牛車の中で、義直は暴れた。牛が敏感に反応し、興奮して暴走した。そして五条大橋で川に落下。牛は溺れ死に、義直はすんでのところをお付きのものに救われた。
この事件は京都の庶民にまで広く伝わり「今度の大将軍は駄目だ」とか「溺れる将軍、久しからず」と義直を揶揄する言葉や落書が飛び交った。
「駄目だ。もういかん。兄の嫡男、義益に征夷大将軍を譲ろう」
義直は重い、坂東にいる兄、義氏に書状を書いた。だが、
「義益に将軍は荷が重い。そなた、算術が得意だったではないか。それを活かして政をせよ」
とつれない返答が来た。
「算術で政ができるかなあ」
半信半疑で、義直は政を始めた。
その頃、海に入った直夏は、旗艦の船べりに立ち、青い空を眺めていた。
「海はいい」
思わずつぶやく。そこへ、嵐丸がやってきて、
「そのお言葉。ご先祖の平大将軍が言われた言葉と同じです」
と教えてくれた。
「平大将軍は自由を求めて海に入ったという。俺も自由を求めていたのだろうか?」
「さあ、それは分かりかねますが、又三郎様は船に酔いもせず、魚も嫌がらない。久しぶりに良き頭領を得た思いです」
「そうか。ありがたい言葉だ。ところで嵐丸、今、四海は平和と聞く。これから我々はどうするのじゃ」
「はい。常時船に乗るものを減らし、諸外国に田畑を与えます。そこで自給自足の暮らしをしながら、万が一に備えます。心の半分は農民、半分は海賊です」
「日の本には作らないのか?」
「平大将軍の命令で、日の本には作りません」
「なぜじゃ?」
「日の本は狭すぎます。すぐに田畑を領主や領民に見つけられるでしょう。するといざこざが起きます。だからだと思います」
「俺はなあ、嵐丸。日の本から争いをなくしたい。だが日の本にお主達は留まりたくないのであろう」
「正直、あの言葉は義直様に聞かせた言葉。日の本の平和を願う気持ち、よくわかります。主だったものと談義を図りましょう」
「ありがたい」
直夏はまた海を見た。海は広い。あの狭い日の本でくだらない戦を続けるのはいかにも馬鹿らしい。しかし、平和を得るためには、どうしても戦が必要になる。その矛盾を考えると、苦い気持ちが心を苦しめる直夏であった。
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