第二十三話 鎮西からの吉報
浄土寺に半幽閉されている後太鼓上皇は足柄義氏への敵愾心を隠しながら慎ましくお過ごしになられていた。経を書写し、謡を楽しみ、酒を少しだけ嗜んだ。女中は中宮喜子しかいないのが寂しかった。阿野恋路は義氏に睨まれ、烏丸少将の家に軟禁されている。逢うことはかなわない。悲しみにくれ鼻を噛む。そこへ、
「ピヨピヨ」といつか聞いた小鳥の鳴き声が聞こえる。
「備前か?」
上皇が問うと、
「はい、お久しゅうございます」
と小鳥三郎高徳改め小鳥備前守改め小鳥法師が屋根から飛び降りてきた。
「相変わらず、身軽じゃの」
上皇が褒めると、
「これだけが取り柄、足柄義氏の首も持ってこれず申し訳ございません」
平伏する小鳥法師であった。
「ところでお主が来るということは、何か耳寄りな話があったということだな」
「はい」
「聞かせてみよ」
「はい。足柄方の鎮西探題に足柄宮内少輔直夏という若者がおります」
「余は足柄は好かぬ」
「話は最後までお聞きください。この直夏、義氏と下女の間に生まれた庶子で、本妻の子、義益や数氏のように、義氏に可愛がられず、嫌われているものでございます。ただ、若年ながら聡明、体躯は大きく、武芸も一流と大将の器に優れております。義氏がなぜ、ヘロヘロの義益や頭でっかちの数氏を愛し、勇猛清廉な直夏を愛さないのか理由がわかりません」
「足柄の中のはみ出しっこだな」
「はい。それに後ろ盾だった義直が放逐され、勢力作りに奔走している最中だとか」
「味方は揃うか?」
「それが鎮西の衆が、桃池武時、武則兄弟を始め、足柄方、上皇様方関係なく、直夏を慕っております」
「うん、それはいい」
「直夏、鎮西の衆を集め、都に上る決心を固めたようでございます」
「よし、これはまるで讃岐宮様を奉じて都に上った、平大将軍のようではないか!」
「誠に」
後太鼓上皇は扇をパチンと閉じて縁側を叩いた。
「あとは余に手を貸すものはおらんか」
「必ずいます。もう少々お待ちを」
そう言うと小鳥法師は消えた。
「殿」
香諸尚が寝ている足柄義氏を起こした。花の御所の寝室である。
「如何した、まだ夜明け前だぞ」
「宮内様が蜂起しました」
「あのガキが」
義氏は直夏の名前も呼ばず、苦い顔をした。
「して、数は?」
「鎮西、中国勢を合わせて四十から五十万」
「嘘だろ?」
「宮内様は人望のあるお方です」
「あのクソガキがか。とりあえず、市松円陣入道を播磨に戻し、樫木河内守を河内に配して迎撃だ。新羽殿にも来てもらうしかない。義直はどうしたのだ? こんな時のために海にやったのに」
「義直様は宮内殿の烏帽子親。宮内様に冷たくなさる、殿に変わって親代り。呼び寄せたらどちらの味方になるか……」
「あのようなもの生まれなければよかったのだ」
「それは親の勝手。わたくしは早々の和睦をお勧めします」
「いやじゃ、戦う。全兵力を集めろ。あのガキに吠え面かかせてやる」
義氏は吠えた。正妻、塔子に遠慮して庶子の直夏を避けるまではわかる。だが、義氏には憎悪が入っている。幼少時から対面を許さず、成人して、嫌々対面したものの、直夏の活躍を苦々しく見て、鎮西に飛ばしてしまった。その訳は? と皆が問うと義氏の答えは「生理的に受け付けない」だった。誰も反論できなかったという。
鎮西探題、元の太宰府は九州、中国地方の守護を統括するだけでなく、朝鮮、明国の動静も探る機関であった。故にその長官たる足柄宮内少輔直夏は大海に帆を張る伯父、足柄義直とも緊密に連絡を取っていた。書状にて直夏は、
『父上の上皇様に対する横着、ここに極まれり。私は鎮西、中国の御家人の協力を得て、父、義氏を討つことにいたしました。つきましては伯父御の合力を頼みたく候。よって件の如し』
と義直に協力を要請した。しかし義直は、
『私は上皇様に嫌われている。森永親王を弑し奉ったからだ。そのお怒りが解けぬうちは陸に上がることはない』
と要請を断った。
「ならば」
と直夏は浄土寺の後太鼓上皇に義直の赦免を依頼した。
「義直、あやつは許せん」
憤る上皇に、ちゃっかり浄土寺に逃げ込んできていた、北畠新房が、
「帝の座にお戻りあそばしたければ、毒も飲み込む器量がなければいけません。ここは義直をお許しになり、強力な味方にされるのがよろしいかと思われます」
と助言したので後太鼓上皇は義直をお許しになり、勝手に相模守に復してしまった。
「嵐丸殿」
足柄義直は海賊の長を呼んだ。
「如何致しました? 将軍」
「わしは甥、足利宮内少輔とともに、都に攻め入ることにした」
「しかし、都は兄君が大将軍として守られている地。なぜにお攻めになる?」
「兄は耄碌した。三人の息子の中で一番優秀な宮内少輔を避けられ、無能で有名な左馬頭を正妻の嫡男というだけで後継者にしてかわいがっている。わしは宮内少輔がかわいそうでならない」
「ふむ。困りましたな。足柄氏が分裂するのをただ指をくわえて見ていることは我らにとって良いことではありません。しかし、我らは将軍の家臣。命令に逆らうこともできません」
「して協力してくれるのか? くれないのか?」
「大将軍、左馬頭様の命をお助けするのならば協力いたしましょう」
「もちろんだ。兄と甥だからな。では決まりだ。我が海賊軍は都を攻める」
都には新羽貞義が弟の脇牙義助とともに参陣し、早速軍議が開かれた。香諸尚が布陣を説明する。
「宮内殿は大軍。おそらくは山陽道、山陰道と二ヶ所から攻め入るでしょう。なので加古川に新羽軍、丹波に左馬頭様、篠山に、市松軍、大坂に樫木軍が後詰に、大将軍は都を守っていただきます」
「先鋒は俺ということだな」
貞義が言う。
「山陽道の敵が初めにくれば」
「山陰道から来たら俺は次鋒か。悔しいな。山陽道から直夏がこないかな」
久々の戦に貞義は逸っている。だが敵は思い通りには来なかった。
足柄宮内少輔直夏は鎮西探題の大広間で副将格の桃池武時初め、鳥津、中友、横花、小内、唐子の面々にこう命じた。
「全軍で山陰道を進む」
「それでは山陽道の敵に後ろに付かれまいか」
名将、唐子経久が問う。
「山陽道の敵は海賊が倒してくれるよ」
直夏は詳細を話す。武将たちから溜息が漏れる。
「だから安心して山陰道攻めを敢行してくれ。良いな」
「おう」
足柄宮内少輔直夏軍は唐子経久を先陣として都に向け鎮西探題を出立した。
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