第二十二話 北の動揺
北畠秋家は毎日憂鬱でならなかった。それは父、北畠新房が「秋家、いつ足柄を潰すのだ。いつ新羽を倒すのじゃ」とことあるごとに言ってくるからであった。その度「足柄殿には命を救われました。新羽殿には恨みも何もありません」とはっきり言うのだが「それでは浄土寺の後太鼓上皇がお可哀想ではないか。この日の本に上皇様をお助けする
「殿、秋田城介樫木河内守様がおいでです」
と浪岡軍時が知らせてきた。
「お通しせよ」
秋家は言う。
やがて、平服の樫木正成が来た。
「陸奥守様にはご機嫌よろしゅう」
「そちらこそ」
「今日は良い鷹を見つけましたゆえに参上に上がりました」
小姓が鷹を連れてくる。確かに良い面構えだ。だがそれが本題ではないだろう。
「陸奥守様、お話がございます。源平の時代に鎌倉殿に滅ぼされた、安倍、竹原の勢力がひところのように伸びております」
「なぬ。成敗せねば」
「気を早ませられるな。奴ら、平大将軍の末裔、足柄、新羽両氏に恨みありと申しております」
「どういう意味じゃ」
「この正成、陸奥守様の心根は重々承知しております。私とて住み慣れた河内を追われ、寒い東北暮らし。身にしみます。これは多賀城介様も同様」
「それで、どうしたい?」
「ここは陸奥守様を総大将に、ひと旗あげたいと」
「お主ら足柄氏のお味方と思ったが」
「何を申すか。足柄は中央の利益を独り占めして、われらを東北の田舎に追いやっております。恨みこそあれ、味方などとは」
「そうなのか」
「はい」
「で、兵力は?」
「十万」
「私も十万持っている。合わせて二十万か」
「はい」
「勝てるな」
「もちろん」
「ならば多賀城介を呼べ、軍議を開く。こういうことは早い方がいい」
「左様で」
多賀城介市松円陣入道は吉報を持ってやってきた。
「将軍は鎮西の桃池氏を討ち果たすべく出陣したそうだ」
「これで敵は手薄になりますな」
正成が言う。
「これも天命か。陣立を如何しよう」
秋家が問うと、
「全軍で固まっていくと、何か策をなされた時に窮します。全軍を三つに分けましょう」
正成が献策した。
「うむ」
「左軍はそれがし、十万。右軍は入道殿殿。左右の軍は安倍、竹原が中心となります。」
「承った」
「中央はもちろん陸奥守様」
「よし。鎌倉を押さえ、味方を揃えて日の本第二の勢力になり、義氏と勝負するぞ」
秋家が叫ぶと、腰紐が切れて刀が落ちた。
「不吉な……」
秋家が呟くと、
「これは義氏の首が刎ねられ、落ちるというご託宣でしょう」
と市松円陣入道がとりなした。
「ならば良いが」
秋家は気が重くなった。そこに、
「秋家、よく決断した」
と北畠新房が現れ、正成や入道に酒を振る舞う。
「老骨ながら、わしも出陣するぞ。武芸は駄目だが、軍略は知っておる」
と出過ぎた真似をする。
「大納言様勇ましい」
正成が誉めたたえる。入道も同様だ。
「この戦もらった」
新房は舞い踊った。
「うまくいきましたな」
「見事に決まった。厭戦的だった、秋家の気分を変えたは河内殿、お主の人当たりの良さ」
「いえいえ、入道殿の勇しき態度こそ、秋家を動かしましたぞ」
「さて、このこと将軍に伝えなければ」
正成が周りを見回すと女中が平伏していた。
「足柄の手のものでございます」
「おうそうか、では策なれりとお伝えしてくれ」
「はっ」
女中はぱっと身を翻すと、黒い衣装に装束を変えて走り去った。着ていた着物は消えていた。
「見事ですな」
「そうですな」
二人の武将が感心する女の技だった。
「そうか、秋家は引っかかったか。もう少し、頭のある者と思ったがな」
足柄義氏は脇息の位置を変えた。
「秋田城介様、多賀城介様の手腕でしょう」
と草の者おともが言った。
「彼らは優秀だ。この戦が終わったら都に戻してやろう。ところで新羽貞義はこの戦、納得しているのだろうな?」
「納得とは?」
「我らが秋家を騙すということだよ」
「それは鎌倉にてご説明申し上げました。ご納得いただけていると思います」
義氏はおともに膝枕した。
「どうも最近、奴の飲み込みが早いと思う。前はもっと反抗的だったのに、軍師でもついたか」
「調べてまいります」
「いや、その前に」
義氏はおともを抱いた。
三休宗瑞の出自はよく分からない。本人は日野家のある令嬢と、やんごとなきお方との不倫の子で、幼少時から華麗宗の餡子苦寺に預けられ、そこで得度したとしている。本人曰く、「小さい頃から優秀で、時にはとんちで人を驚かせた」という。曰く、あるご大人が三休をからかって大橋に「このはし渡るべからず」と表札を立てると、三休は表札で大橋を叩き壊し、屋敷に火矢を放った。ご大人が逃げようとすれども橋はない。進退きわまったご大人の前の堀に三休が船に乗って現れ「地獄の川の渡り賃は六文。この世への渡し船は六両」と歌いながら現れたという。また別のものが「金屏風に描かれた虎を捕まえてみよ」と三休にいうと、いきなり高価な金屏風を壊し始め、めちゃくちゃにしてしまった。「何をするのか」と怒るものに対して「屏風より出れば生け捕りにせんと思えど、出る気配がないので、八つ裂きにしてくれました」と言って笑ったという。これはとんちというより横着だ。みんな怒って三休を懲らしめようとしたのでやむなく餡子苦寺を逃げ出し、漂泊の旅に出た。金はなかった。だからとんちで稼いだ。ある時はうどん屋をやって、お会計の時に「一文、二文……七文、八文今何刻だっけ?」
「四刻だい」「五文、六文……」とインチキをやって儲けを水増ししたり、友人から預かった大金を「あれは夢だよ」と嘘をついてかっぱらっていた。そのうち山賊の仲間になったのだが、後太鼓の反乱が始まり、戦乱の世になって、山賊たちも兵卒に組み込まれるようになった。兵卒になったはいいが死ぬのは嫌だ。三休は味方が死なないで、敵を倒すとんちを考えた。そして一番安全なのは高いところにいることだと考え、崖の上から熱湯をかけたり、岩を転がしたりして敵を倒した。またある時は川の上流をせき止め、敵が川の下流を通った瞬間、川を決壊させて敵を滅ぼした。
戦上手の山賊がいるという噂は瞬く間に広がったが、似たようなものが当時は多かったので、自分の雇った者がそれだと、誰も気がつかなかった。
三休は自分のとんちのおかげで味方が勝っているのに、ちっとも褒められないのが悔しくて、木の上でふて寝をしていた。そこに一人の武将が列を作って通ってきた。武将は木の上で寝ている坊主の器用さに笑い転げてしまった。三休は虫の居所が悪かったので怒った。
「なぜ、人を見て笑う。武士とて無礼であろう」
「許せ、坊主。其方が木の上での寝相あまりに滑稽だったからな」
「これは木から落ちぬ様に寝るとんちじゃ」
「とんちか。お主、賢そうだ。俺の配下に入らぬか?」
「当方、ちと気難しいがよろしいか?」
「俺を怒らせなければそれでいい」
「拙僧は餡子苦寺の三休。で、殿様は」
「新羽上野介じゃ」
「ぎゃあ、大した殿様だ」
三休は木から落ちた。新羽貞義はまた大笑いした。今度は痛みで三休は怒れなかった。
おっちょこちょいな出会いであったが、貞義はいいものを拾った。軍師のいなかった新羽軍に有能な知恵者が入ったのだ。貞義が鎌倉に居を構えると、三休は見事な仕置きをして鎌倉を要塞化した。また『孫子』などをよく読み、新羽軍を強固な軍団にした。
「三休、見事」
滅多に部下を褒めない貞義が三休を褒めた。そこへ、北畠秋家出陣の報。貞義も事前に承知のことであった。
「三休。お主軍配を取れ」
「恐れ入ったことでございます」
こうして新羽軍は三休が指揮をとることになった。
北畠秋家は陸奥政庁から、樫木正成は秋田城から、市松円陣入道は多賀城から出陣した。目指すは白河の関を越え、一挙、鎌倉である。白河の関とはいうけれど、その軍事的機能はこの時代には無くなっていた。今はただの史蹟である。秋家はここで一度正成、円陣と軍議を開きたかった。しかし、二軍の行方がさっぱり分からない。これでは連絡の取りようもない。秋家はイラついた。「ならば、我らだけで行く。こちらは十万、鎌倉も十万。良き戦いができよう」
秋家は鎌倉方がきっと、守りを固めてくると思った。しかし、大田原のあたりに軍勢が見える。それも相当な大軍だ。
「どういうことだ?」
秋家は自問した。その時敵方の旗が揚がった。
「一つ引き両はともかく、二つ引き両があるではないか。足柄は九州ではないのか?」
秋家は叫んだ。
「大将軍、敵は驚いていますなあ」
三休が笑う。
「いないものがいるのだから驚くであろう。良いか、秋家は生け捕りにして、出家させろ。わしの御伽衆にでもするかな」
扇を仰いで足柄義氏が笑う。その時、秋家の後方に、樫木正成、市松円陣入道が到着。矢を放ち始めた。
「やや、年寄りども裏切ったな」
後方を攻めようとする秋家。
「殿、さすれば三十万の敵を背にしますぞ」
浪岡軍時が換言する。
「ならば義氏と相討ちせん」
秋家は全軍を大田原側に走らせた。すると新羽の三休が、
「それっ!」
と軍配を上げた。突進する秋家騎馬隊の前に突然落とし穴ができ、騎馬、人間もろとも穴に転落した。
「卑怯な」
秋家は一人、足柄勢に飛びかかったが衆寡敵せず、二度の縄目に会う屈辱を受けた。
「さて、奥州誰に任そうか?」
義氏が言うと、
「我が弟、脇牙義助などいかがか?」
と貞義が言った。
「おう、そうしよう。あとは鎮西だな」
義氏は呟いた。
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