第二十一話 海の将軍
突然兄、足柄義氏に「海に行け」と背中を蹴飛ばされた、足柄義直はなれぬ場所で心細く、食事も喉を通らぬ憔悴ぶりで、海賊大将、難破嵐丸たちを心配させたが、半月もすると波にも体が慣れ、食事も取れるようになってきた。それに皆が「将軍」「将軍」と持ち上げるので、海上生活もまんざらでもなくなってきた。
「思えば、陸にはいい思い出がなかったな」
義直は思う。若いうちは兄の遊びに付き合わされ、振り回されてからかわれた。父が亡くなると、兄義氏が棟梁となったが、ろくに仕事をしない。尻拭いに奔走された。足柄家が倒幕に立つための準備も隠密のうちにした。自分は裏での働きの方が得意なのだと思った。それを決定付けたのは、宝条時雪の反乱と、北畠秋家の攻撃であった。いずれも鎌倉を守っていた義直はろくに、戦いもせずに逃げた。兵数が少なかったのもあるけれど、敵に背中を向けて逃げるとは武士として情けない。それに自分は後太鼓上皇の子、森永親王を弑し参らせた。ある意味逆賊である。そんな陸を捨て、大海に出れば、気も紛れるであろう。釣りをしたり、読書などして、気ままに暮らそう。そう考えていると、嵐丸がそばにやってきて、
「将軍もようやく海に慣れてきました。そろそろ我々の首脳を紹介しましょう」
と言ってきた。
「よかろう」
義直は言う。二人は船室に入った。
「ここに揃いし五人は我が海賊軍団の中核をなすものです。大介殿、将軍にご挨拶を」
「おう、わたくし大斧大吉が曽孫、つまり小吉の孫、大斧大介でございます。陸では息子、銛太郎がお世話になり申した」
「そうか、銛太郎の父上か。よしなに」
「はっ」
「続きまするは梅田大輔の玄孫、梅田勝太郎でございます」
「剣の名手、梅田大輔の末裔か、よろしく頼むぞ」
「はっ」
「拙者は木偶坊乞慶が子孫、傀儡三郎でございます」
「力がありそうだの。よろしく頼む」
「私は蟹丸というものの子孫で海老丸と申します」
「義直だ。よろしく」
「俺は四代目茹で蛸ってもんです。礼儀知らずですが、将軍のためなら、命をかけます」
「ありがとう。義直その言葉嬉しいぞ」
思わず義直は涙した。陸を役立たずと追い出され、揺れにもがき苦しんで醜態を見せた自分を、将軍と慕ってくれる。それに、彼らの首脳は平大将軍の直参のお子孫ばかりだ。これで、自分が戦に強ければ、最強軍団の生まれ変わりになれる。だが、自分は戦下手、精進せねばと固く心に誓う義直であった。
「では、固めの杯を」
女中たちが酒を注いで回る。
「よろしいか?」
嵐丸が周りを見渡す。
「新将軍、足柄義直様に忠誠を誓います」
「おー」
海賊たちが雄叫びをあげる。
「ところでな、嵐丸殿」
「はい」
「ここでわしは何をすれば良い?」
「はい。我らの旗印として、男らしくあってください」
「わしは陸では戦下手で、いつも逃げていた男だぞ」
「人間、いくらでもやり直しはききます。これからは敵に背中を向けねば良い話。将軍にも平大将軍の血が流れていますぞ」
「お、おう」
「我らの旗頭、それが将軍の仕事です」
「わかった」
義直は杯をあおった。
翌日から義直は努めて、海賊たちの前に姿を現した。下々の者と会話をし、時にはおどけて見せた。これは全て、兄義氏の真似であった。「兄の振る舞いは計算してのことだったのか!」義直は驚くばかりであった。本能のままにのんびりと生きているように思えた兄が、きちんと計算していた。末恐ろしい男である。兄は。それに気付けただけでも海に来た甲斐がある。自分も船団の中では将軍、最高位である。兄を真似る。そしていつか兄を超える。義直にそういう欲望が出てきたのはこれが初めてである。海はどんどん義直を強い男に変えていった。
そんな中、明国沿岸を荒らす、倭寇が増えてきたとの情報が入ってきた。海賊の本拠地、奪首島では評定が行われていた。
「倭寇を許すは我らの恥。一刻も早く明国に行かねば」
難破嵐丸が言う。
「数は如何する」
「大船五百でどうだ?」
「そんなに?」
「何事も最初が肝心。将軍、いかがでしょう」
嵐丸が義直にお伺いを立てる。
「よろしい。ただし」
「ただしなんでしょうか?」
「総大将はわしじゃ」
「でも将軍は海戦は初陣。見ているだけで結構にございます」
「いや、先頭で戦う。皆、わしの背中を見て戦え」
「無茶です」
「ははは、男が一度決めたこと。変えることはできぬ」
「では、そういうことで」
奪首島は対馬と朝鮮の真ん中にある巨大な島なのだが、なぜか海図には書かれていない。海人の間では、この近辺を航行すると必ず沈没すると言われている。理由は明白である。海賊軍が船を沈めてしまうからである。そこから今、大船五百隻が出港した。
「将軍、敵の倭寇には必ず首領の船があると思いなす。それを探すのが肝要」
嵐丸が言う。
「ならば、小舟を出して索敵すれば良いのではないか?」
「良案でございます。早速小舟五十を出し、敵を探します」
「うむ」
義直は頷いた。
明国の海は広い。索敵に三日かかった。
「将軍。海賊は台湾島にいます」
「そこはどこじゃ?」
「ここよりずっと南に下ったところです」
「よし、全軍で出撃じゃ。目指すは台湾島」
義直は命令を下した。
倭寇は一面、密貿易の商人でもある。台湾島近くの海に約百隻の大船と千近い小舟がたむろしていた。なかなかの強敵である。
「嵐丸殿」
義直が呼んだ。
「はっ」
「馬はあるか?」
「おりまするが、上陸後の戦闘に使うもの。いかがですか」
「一頭借り受けたい」
「なぜに」
「わしは足が遅いし弱い。船を飛び越えられぬ。じゃが、乗馬には自信がある。故に馬を借りたいのだ」
「かしこまりました。しかし、船上を馬で飛ぶとは聞いたことがありません。波に揺れて、たいへん危険です」
「構わん。坂東武者の心意気、見せてやる」
旗艦に馬上の義直が現れた。海賊衆はその凛々しさに驚いた。
「敵は明国、朝鮮の庶民をいたぶる、悪党だ。臆せず進め。残らず仕留めよ」
「おう」
義直は大船から馬で敵の小舟に飛び降りた。その勇姿に、海賊衆はこころ強くして倭寇と戦った。
数は海賊衆の方がもともと多い。その上に、命知らずの義直の戦いぶりに倭寇はびっくりしてしまった。ほとんど戦うことなしに降参。義直の初陣は大成功に終わった。
「将軍」
「将軍!」
歓声が湧き上がる中、義直が旗艦に戻る。難破嵐丸が出てきて、
「素晴らしい、ご活躍です。将軍。ただし、命はお大事に」
と釘を刺した。
「ああ、久々に戦で勝った。兄にも見せたかったわい」
義直は興奮して言った。
その後、海賊衆は倭寇が庶民から掠め取った物品を返してやり、感謝された。取り分は密貿易の品々である。それから朝鮮半島に北上し、またも倭寇を粉砕した。義直は今度も馬上で戦い、活躍した。これで完全に海賊衆の信頼を獲得し、「やはり平大将軍の血は違う」と褒め称えられた。そして船団は奪首島に戻る。
宴席が開かれた。その席で、嵐丸は義直に、
「将軍。将軍の血を絶やさぬために、婚姻をなさいませ」
「えっ? わしは女子は苦手じゃ」
「そうはいきません。平大将軍の血あってこその我ら。より多くのお子を産ませて、勢力を拡大せねばなりません」
「そ、そうか」
「あちらに、妙齢な女子を集めております。どうぞ、お好きに選んでください」
「あ、ああ」
将軍と崇められ、女子まで世話してくれる。義直が喜んだのは間違いない。これが良き方向に向かえば良いのだが……
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