第十八話 花の御所

 北畠秋家らを兵力の差で圧倒した足柄義氏は、吉野に籠る後太鼓帝を迎えに行くため、二十万の兵を率いて山を上った。

「帝は英邁にあらせられるが、逃げたり、籠ったり、嘘をついたりで困ったお方だ」

 輿に乗って弁当を使っていた義氏はぼやいた。

「そのたびに、十万、二十万と兵士を動かさねばならぬ。山を上らされる兵士の気持ちも察して欲しいものだ。弁当は終わった。わしも歩く。輿はその辺に捨ててしまえ」

 配下のものを思って義氏は輿を降りた。ここがら御座所までは歩いて行く。


「帝、わたくしは武蔵守に嫌われております。ここで首級を斬られるでありましょう」

 北畠新房が後太鼓帝に泣きつく。

「あたくしも駄目かもしれません」

 阿野恋路もお側にすがりつく。

「もうよいよい。義氏には朕がうまく取り繕ってやる。ああ見えて、義氏は義に厚い。朕のことを思ってくれている」

 後太鼓帝はのん気なことをおっしゃられた。

 そこに、

「足柄武蔵守様ご到着」

と大音声が聞こえる。足柄義氏、樫木正成、市松円陣入道が入ってくる。

「帝、お遊びが過ぎましたな」

「そうか?」

「おかげさまで、鎮西くんだりまで物見遊山に行く羽目になりましたわ。ははははは」

 義氏一人が笑う。あとは誰も笑わない。

「さて、冗談はこれまでにして、帝には都に戻って政務を取り計らっていただきます。積み残された書類が山のように残っております」

「朕がそれをして良いのか」

「もちろん。何せ、帝はですから。それに代わるお方なぞおりません」

 義氏は軽く嫌味を言った。

「それからなあ、武蔵守。北畠大納言は朕の片腕。彼ものがお前に、悪さしたのも、朕の命令。命ばかりは許してやってはくれぬか」

「そういうことも、都に着いてから決めましょう。それがし、難しいことは今、すべて香諸尚に任せております。諸尚は今日は連れてきておりません。だから難しいことは決めかねます」

「そうか……諸尚は優しいか?」

「いえ、厳しい者です。峻烈とって良いでしょう」

「朕の言い分は?」

「さて」

「義氏!」

「ははは、冗談でございますよ。それだけのことを帝方がなされたのはお忘れなく」

 そう言って義氏らは席を立った。


「武蔵守、朕を誑かしおって」

 帰りの輿の上で、後太鼓帝はたいそう不機嫌であった。しかし、義氏は後太鼓退位のことを一つも言わなかった。退位はないのか? いや、普通では考えられぬ。少なくとも宝条の時代はそうであった。流罪になるか、謹慎になるか。今や、日の本の武士のほとんどが足柄義氏に心服している。あれは気宇壮大だ。だが少し抜けている。それがいい。切れ者すぎては天下は取れまい。それはそうと、もう後太鼓を助けてくれる武士はいないだろう。これで後太鼓も終わりか。しかし、義氏は退位のことは何も語らない。在位か。それならば、前回の失敗を活かして良き日の本を作ろう。それには義氏が邪魔だ。誰かあれを倒す忠義者は出てこないか。樫木河内! あれも今は義氏についているが元は後太鼓が見出した者だ。小勢だが遣り手と聞いている、故縄伯耆の息子太郎義智、小太郎智光兄弟。官位もくれてやってないがまた朕を助けてはくれまいか? そう考えているうち、輿は都に着いた。


 一行が都に着くと、早速評定が開かれた。

「一応、今回の乱の処分と恩賞を記してみました」

 香諸尚が足柄義氏に紙を見せる。

「帝、爵位を剥奪し、平民・義治として死罪」

 義氏の顔色が変わった。

「いくらなんでもこれはないだろ。わしが主殺しの大悪人となる」

「臭いものは元から断てと申します」

「そうは言ってもやりすぎだ。謹慎止まりにせい」

「殿がそうおっしゃるならば」

「義永親王、爵位剥奪し平民に落とし死罪。成永親王、爵位剥奪し死罪。大納言、北畠新房 死罪……阿野恋路 死罪。以上五百二十一名死罪」

「どれだけ、死罪にすれば気がすむんだ。もっと死罪を減らせ」

「殿、おっしゃりますが、これだけ殺さねば誰かがまた反逆を起こします。敵の根は徹底的に断たねば、また生えてきます」

「うぬう」

 義氏は考え込んでしまった。

(諸尚のいうとおり全員殺してしまったら、政敵がいなくなる。いや、だが日の本で公に帝を殺したものも、大量に、死罪を出したものもいない。わしは悪人になる。大悪人じゃ。それは嫌だ。わしは正義の人になりたい)

 義氏は決めた。

「諸尚、明日評定の場で、これを読め。ただし、最後に、わしの温情により、罪二等減らすと宣言しろ」

「かしこまりました。帝は」

「御退位のみだ。次の帝は黄金帝の重祚だ」


 翌日の評定は氷に覆われたように固まった。帝の罪には触れなかったが、死罪、死罪の連続に「あの温和な武蔵守様が」「裏で香諸尚が操っている」「そういえば相模守様のお姿が見えないが」「それも香諸尚の差し金よ」「ひええ」と冷酷な家宰、香諸尚の存在感がだんだん大きくなってきた。温和な義氏の下に潜む毒ヘビ。それが諸尚だった。

「以上が死罪だが、足柄武蔵守様のご温情により、罪二等を減じる。以上」

 評定から大量のため息が出た。涙を流すものも出た。失禁するものまであった。皆、義氏の温情に心から感謝し、忠誠を尽くすと誓った。北畠親子以外は。帝の交代も同時に発表された。後太鼓から上皇におなりになっていた黄金が帝に重祚した。ただこの言い方には諸説あって、後太鼓が隠岐に流されている間も帝だったと自らが宣言しているから、黄金帝は初めての即位だと言うものがいて、その一方、じゃあなんで黄金は上皇になっていたんだと言う声もある。まあ、どうでもいいことではあるが、一応記し、このお話では前者を取ることとする。


 戦後処理が済むと、足柄義氏は都に武士の政庁を作ると宣言した。六波羅探題以来だ。場所は室町と決めた。室町家の花亭と今出川氏の菊亭を買い取った広大な土地に、義氏の命で四季折々の花木を植えたため、人々は『花の御所』と呼んで外観の美しさを眺めた。義氏は上皇になった後太鼓を慰めるために、何度も上皇を花の御所へ招いて酒を飲んだ。もともとこの二人は性格が合うので、政治抜きにすれば馬があった。

「これで、落ち着いた世ができればいいが」

 と義氏は思ったが、上皇後太鼓を始め、天下を混乱させる狼たちがまだこの国にはたくさんいた。

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