第十五話 武蔵守上京

 足柄武蔵守義氏は新政策を進めるとともに、吉野にお隠れになった後太鼓帝を説得するため、十万の大軍を率いて都に入った。義直を助けるため、勝手に宝条時雪の乱に参入して以来の都である。今、日の本の頂点は後太鼓帝だが、実際に政治を動かしているのは義氏とその眼鏡にかなった有能な公家、武将たちであった。後太鼓帝は、自分のお気に入りだけに恩賞を振る舞い、政治も理想とは遠く、賄賂のはびこる最悪の状態だあった。その主たる原因は帝ご寵愛の阿野恋路であった。彼女はご寵愛を笠に着て、自分の産んだ子が帝になるために、勇猛果敢だった森永親王を捉えさせた。だが足柄義直が殺すとまでは思っていなかった。女の浅はかさである。後太鼓帝にとって森永親王は不仲だったとはいえ、ともに倒幕の為働いた長子である。その死は悲痛であった。我が子を殺した足柄義直が憎い。だがその兄、足柄義氏にはなぜか悪い感情を持っていなかった。茫洋として、才気があるのかないのか分からない義氏は人をよく笑わせ、なごました。後太鼓帝は足柄義氏が好きだった。だから、彼が吉野に来て、頭を下げてくれたら許そうと思った。ただし義直は許さぬ。首級をはねなくては気が済まぬ。そう思っていた。 

 一方、今日の足柄屋敷では、

「義直!」

義氏が弟を読んだ。

「はい、参上いたしました」

「お前、荷物をまとめて鎌倉に帰れ」

「はあ、かしこまりました。じゃが、何故ですか?」

「帝がなあ、お前が森永親王を弑し賜ったことに大層なお怒りじゃそうだ」

「左様ですか。あんなに不仲であらせたのに」

「血とはそういうものだ」

「心得ました」

「代わりに小次郎、いや上野介殿をこちらに差し向けてもらいたい。奴にも政治というものを教えたい」

「承知しました。では」

 足柄義直は鎌倉に行き、新羽貞義は都に行く。この交代劇が、のちの大乱を招くとはこの時点で誰も知らなかった。


 足柄義氏は駐留十万のうち、三万を連れて吉野の山に入った。攻撃するつもりはない、恫喝である。帝方には兵は五千といない。さらに有能な武将はなく、公家の北畠新房が軍配を振るう。もはや、軍の体をなしていない。

「伯耆船上山ではもっと少数で大軍勢を倒したものを」

 帝はご立腹である。そこへ、

「足柄武蔵守の使いというものがやってきております。いかがいたしましょうか?」

「帝、いかがに」

吉田照房が問う。

「会う」

 帝は短く言った。使者は庭に平伏していた。大した官位のものではないらしい。帝はがっかりした。しかし、

「御家来の方に申し上げます。私、前の船上山の戦いにおいて幕府方の鈴木昌綱を討ち取りし、大斧銛太郎と申します」

 と銛太郎が口上すると、ニコニコしだした。

「おう、銛太郎。その大男、忘れはしないぞ。直答を許す。縁側へ座れ。誰ぞ、茶を持て」

 と大喜びである。帝は勇者がお好きなのだ。

「あまりの高待遇、銛太郎、感激の極みにございます」

「堅苦しいことはよせ。今日は何に来た。足柄の使いと申したの。聞くぞ」

「あ、ありがとうございます。では主人、足柄武蔵守の言い分を申し上げます。帝のお始めになったご新政は、残念ながら一部の強欲な公家衆によって不公平な、悪しきものになりました。それを正すには政治になれた、我が主人、足柄武蔵守を征夷大将軍、新羽上野介を副将軍兼鎮守府将軍に人ずれば、諸国の御家人収まって平和な日の本ができます。当然、帝には帝としての公務に勤しんでいただければ、思うところはない」

 と申しております。銛太郎はまた平伏した。

「なるほどの。悪いのは公家か」

 後太鼓帝は呟いた。そこに、

「足柄武蔵守様がいらっしゃいました」

 と兵士の声。

「何、武蔵が」

 帝が言う間もなく、

「いやいや皆様、ご苦労に存じます。足柄武蔵守でございます」

庭石にのっそり座ってしまった。

「武蔵、久しいの」

 後太鼓帝が声をかける。

「おお、そんなところに帝がいらっしゃるとも知らず、失礼しました。足柄武蔵守、帝を都にお戻しに参りました。どうぞ、ご一緒に参りましょう」

 足柄義氏はにこやかに話した。見ているとこちらもほのかに明るくなる。良い特徴だ。

「そのことだが武蔵、こちらに来て茶を喫せ、そこで話そう」

「もったいないことで」

 義氏は腰を上げた。

「さて、話とは?」

「相模守の首級くれぬか?」

「えっ?」

 それを聞くと、義氏は平伏し、

「相模守義直、我が大事で可愛い弟でございます。どうぞ、命だけはおたすけください。奴が森永親王を弑し奉ったこと重々承知でございます。帝のお怒りもごもっともでございます。もし弟が許されるのならなんでもいたします。すべての官職を捨て、平民になっても構いません。どうぞ、お命だけはお許しを」

顔を真っ赤に染めて弟の釈明をする義氏を見て後太鼓帝は哀れになられた。いつも鷹揚な義氏が、必死になって弟を助命する。これが家族というものか。朕は森永を愛おしく思ったことがあるだろうか。戦の道具にしていたのではないか。後太鼓帝は自己嫌悪に陥られた。

「武蔵、武蔵がそこまで言うなら相模を許そう」

「ありがとうございます」

「兄弟、仲良く。王家ではなかなかできぬことよ」

 と言うと後太鼓帝は立ち上がり、

「足柄武蔵守の先導で都に帰る。支度せい」

と叫んだ。

 平伏した、義氏の顔の部分は涙で池ができていた。

「結局、信用できるのは武蔵だけか」

 と呟いた後太鼓帝の後ろから北畠新房がぬうっと首を出し、

「帝、まだ諦める必要はありません」

とだけ言うと去って行った。

 都に戻った後太鼓帝は人心を一新、征夷大将軍に足利義氏、同副将軍兼鎮守府将軍に新羽貞義を正式に登用した。平大将軍の血脈がここに揃ったのである。帝も御座し、政治も安定するかと思われたが、帝の懐刀に獅子身中の虫がいたのである。

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